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人同士の協創を促すWSD活動を通しての気づき

29期WSDのトミーです。ANA社内で問題解決やプロジェクトマネジメントの研修設計・講師したり、実務での問題解決の壁打ちや伴走したりしてます。

あれから早くも5年が経ち、「現在までのふりかえり」と「未来に向けてのむきなおり」をしてみようと思いました。自分の整理のために書くのですが、読まれた方にとって何らか参考になるところがあれば嬉しいです。
書く順番としては、以下の4つの構成でいきます。
①そもそも、何に困っていたのか 
②なぜWSDを選んだのか 
③WSDに取り組んで何が変わったか
④これからどうしたいのか 

①そもそも、何に困っていたのか

僕自身のキャラクターは「好奇心が強い」「掘り下げて理解するのが好き」な一方で、「一瞬で仲良くなれる人と、そうでない人との差が大きい」というオタク気質なのだろうなと自覚しています。
生活する上では全く問題ないですし、むしろ好ましいと感じているこのキャラですが、「仕事」で利害が必ずしも一致していない人や組織と協働しなければならない場合のストレスたるや、なかなかのものでして・・・。
特に若い頃(特に30代の頃まで)は「正しいことを言っているのに、なぜ相手は理解・協力しないのか」と憤ることが多かったと思います。
なので「ファシリテーション」関連の書籍を読み、実践して試行錯誤を繰り返しつつも、軸となる考え方・在り方が自分の中で明確ではなかったので、その時々のアドリブで上手くいったりいかなかったり。上手くいかなくても「次にどうすれば」につながりにくかった感覚がありました。
まとめると「こだわり気質で人付き合いは得意ではない」僕が「必要に応じて協働しなければならないことに困難さを感じていた」ということなのだと思います。

②なぜWSDを選んだのか

きっかけは忘れちゃいましたが、多分「ファシリテーション」関連の知人か書籍からではなかろうかと思います。「コミュニケーションの場づくり」における理論と実践を短期集中で学べるらしいとわかり、「協働を促す仕掛け・仕組みづくり」に役立つのではないか?と可能性を感じたのです。
あの頃を振り返ると、本当にバカで、「WSを仕掛けると、多くの人が自分ごととして協働するようになるのではないか」と、猟師が野山の獣に罠を仕掛けるような感じでWSを捉えていました。つまり、参加者の自発性を尊重しているように見せかけて、落とし所は予め決めてしまっている状態でなんと自分勝手・独り善がりな発想でしょうか。恥ずかしい。
これを自分が陥りやすい「WSDのダークサイド」と呼んで戒めています。

③WSDに取り組んで何が変わったか

人や物事に対する見方が「優しくなった」ように感じてます。
これだけでは、わけがわからないですよね。補足します。
a.自分が気づいてないことに気づけてない「認識のスキマ」を前提とするようになった
人や物事に対して「こうあるべき」の意識が強めだったところから、相対的に捉えるようになれた(大人になった)。その重要性を頭では分かっていたのですが、身体で理解しきれてなかったのでしょうね。
どこかで「自分の頭の中に描いた風景は正しい」という思い込みがあったけど、アンゾフの窓的な「自分が知らないことに気づけてない」認識のスキマがあるよね、と腹落ちしている感覚があります。
b.その「認識のスキマ」を、他者が気づかせてくれることにワクワクできるようになった
どんな物書きにも編集者がいるし、名選手にもコーチがいます。能力が高く経験が豊富でも必ず「盲点」があり、それを指摘、修正してくれる「他者」の存在は、とても有難いものです。WSD受講前は他者からの指摘をそもそも期待してなくて、指摘があっても「中立的」に淡々と受け止めていたのが、受講後は「誰がどんな指摘をしてくれるのかな」と楽しみになりました。これは多分a.自分には「認識のスキマ」があることからつながっていると思います。
c.一緒に「納得解」を作ることが楽しみになった
いわゆる社会構成主義的な感じです。
・絶対的な正しさというよりは、関係者の認識が揃って初めて納得解が構成される
・なので、それぞれの正しさを突き合わせて、より良い納得解を作って、それが機能するか試してみる
・もし上手く機能しないならば、改めて考える
ことを身体の芯から出せるようになってきた、ということですかね。
上記a,b,cについて、WSDの体験が中核となり、修了後の経験学習サイクルで血肉となった感覚があります。

④これからどうしたいのか

人間は2種類あるように思っていて1つは「ゴール達成に動機付けされるタイプ」、もう1つは「プロセスの楽しさに動機付けされるタイプ」かなと。
WSDには前者の「ゴール達成タイプ」が多いし、素晴らしいと思ってます。一方で僕は「プロセス充実タイプ」寄りだと感じてます。なので「WSDを使ってこういう世界を実現したい!」っていうビジョンは今のところないです。
そんなわけで、ようやく「協働の楽しさ」も見えてきました。WSだけでなく会議・研修・相談事の壁打ちといったコミュニケーションを「設計・運営」を工夫することでより良くしていくことの奥深さを感じています。
一方で自分自身を「整え」ないと「設計・運営」も上手くいかないなと感じていて、「自分自身の心身の整え」(サウナではなく、もっぱら坐禅とか気功とかですが)を改めて大事にしているところです。
自分自身にさえ丁寧に向き合わないのであれば、他者や場に丁寧に向き合えないよね、ということで、今年で55歳になりますが、楽しいおもちゃを手に入れたようにあれこれ試していこうと思ってます。

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