死んだばあちゃん

引きこもりの弟を連れてばあちゃんの安置室に行きました。ほとんど感情を表に出さない彼は、ばあちゃんの冷たい顔を見ても落ち着いていました。

私はみんな、骨になったばあちゃんを見て泣くと思います。今のばあちゃんはまだ寝てるだけなので。

母が私と弟を置いて葬儀屋さんの受付部屋的なところに行った際、弟に「あんた何歳で死にたいの」と聞きました。「ん〜あと10年くらいかな、もうやる事ないし結婚もしないし、てか親が死んだら詰みじゃね?」
こいつ、あたしと全く同じ社不思考してやがる。

でも言ってやりました。あいつらあたしらより元気だからあと2,30年は生きるよと。そんなに?と反応をもらったところで母が戻ってきて、なになに〜?と結局話が全部筒抜けでした。母は全貌を聞いて、ええ〜、そしたら最後私かしら?なんかそんな感じがしてきました。母も父も人生楽しそう過ぎて全く死ぬ気がありません。子供らは申し訳ないけれどもなんの希望も持ち合わせていません。

母はまた子供らの前で言います。「育て方間違えちゃったのかしら」私はこの言葉はもう聞き飽きました。
でも初めて聞かされた弟はシンプルに「そんな事ないよ」と返しました。私よりはるかに大人でした。借金返す気はないクズだけど。私が初めてそれを聞かされた時は「そうだよ、箱入り娘させすぎだよ、あたしに理想を押し付けたお前が悪い」とまで思っていたのに、弟の対応ったらシンプルで漢だった。負けた。
私は最初その言葉になんて返したか忘れたけど、全く嫌な印象しか残ってません。最後に言ったのは「お母さんもお母さん初めてだったし環境のせいとかもあるから誰も悪くないよ」とかぐずぐず返した気がします。

車の中で小声で弟に「あんたどうやって死ぬ予定?」と聞いたら「んなの親の前で言えるかよ」と正論をぶちかまされました。金銭面はクズだけどモラルはどこで学んだのか、なかなか立派でした。その辺は姉の私と正反対です。私もまだ1円も返済してないけど。ていうか親の前で言えないって親より先に死ぬ前提かよ。ふざけんな。
弟に先に死なれても面倒だけど、私が弟より先に死んでもムカつきます。なぜかと言うと見えないカネがあるからです。身内が全員いなくなった時点でこの家系の財産は残った1人に受け渡されます。弟に渡したくねえ。でも生きて管理するのも面倒。親が2人とも死んだら姉弟2人で家を片付けて心中したい。でいちばん仲のいい従兄弟に財産は渡す。


従兄弟は沢山いますが、結婚してるのはたったの1人です。私は従兄弟の中で真ん中よりちょい上くらいで、過半数がとっくに成人しているのに、皆ちょっとおかしい。特に父の弟(次男)の子らが変人ばかりです。美人でスタイル抜群なのにその自覚が全くないけれどゴリゴリにプライドが高過ぎる瞬間湯沸かし器付きの女の子と、何も考えず生きてそうな地頭の弱いフリーター、変わり者の農家の雇われ弟子、一見まともな消防士など。消防士三男がいちばん普通っぽいのですが、婚活パーティーなどに行くと自衛隊員と消防士が半分を占めてるくらいには出会いがない環境にいるので勿体無いです。
農家が次男家の中で最年長なのですが、彼が就職した年に私らにお年玉をくれて気持ち悪かったです。なに大人ぶってんの、たいして仲良くしてくれてなかったくせに急に大人マウントかよ。確かちょっとグレてた私はそう思いました。親同士で、子供らのお年玉はお返しが面倒だから辞めましょうと決着をつけてくれました。

私達が子供の頃、毎年お盆にうちに集まって子供らでピザやおはぎなどを皆で机を囲んで食べたりしていたのですが、私、弟、ばあちゃんの長女の息子、この3人だけで盛り上がって、上記の次男の子供ら4人は黙秘権行使でした。こいつら変だ。我ら子供は集まったら普通ぎゃーぎゃー遊ぶだろ。毎年、帰る頃になって渋々ババ抜きなどを始めるなどしていました。
でも気付けば我ら長男の父の子供らが一番社会的に不都合な大人になってしまいました。父ちゃんの顔に泥を塗っている気がする。申し訳ないです。


私はばあちゃんの長女の子供らに自分の遺族金やらなんやらは渡したいです。従兄弟のその兄ちゃんはよく遊んでくれました。確かミュウツーを捕まえてくれようとしてAボタン連打していたら、画面が真っ白になり、Aボタンの上あたりから青い液体が画面に内出血状態で出てきて私のゲームボーイがぶっ壊れた時、「おれゲームボーイふたつ持ってるから一個やるよ、ごめんな」と言ってでかいゲームボーイをくれました。わー!大きいゲームボーイだ!と喜びましたが、大人になって気付いたのは、兄ちゃんがくれたゲームボーイは私の壊れたピンクカラーの白黒ゲームボーイよりも一世代前の、初期中の初期ゲームボーイでした。当時で言えば型落ちモンですが、今では逆にプレミアかもしれません。残念ながらもうありませんが。
あとスーパーファミコンも貸してくれました。初めてのテレビゲームでした。まだ弟が生まれる前だったか、いても赤子くらいの頃だったので、喧嘩もせず1人で夢中でドンキーコングを駆使していました。


ていうか、精神疾患だらけになって希死念慮だの自殺願望だの、死について親近感しか無くなった私には、ばあちゃんが死んだことについてはやっぱりお疲れ様、でしかありません。苦しんで死ななくてよかった。死んじゃって悲しい、ではないです。よくそんな長生きしたなあ。しんどかっただろうに、怒り狂って施設の人らにちょっかいを出して、なんとか最後まで楽しもうとしていたようにも思います。


私はガキの頃から一人暮らしに憧れていて、当時田舎に住んでいたばあちゃんの家に母、私、弟で夏休みに田舎のばあちゃん家に行っていたのですが、私だけ1週間延長してばあちゃんと2人暮らしをさせてもらっていました。家族とばいばいした瞬間は寂しかったけど、ばあちゃんとの生活は気楽で楽しかったです。ばあちゃんの作る料理は美味しいし、田舎なので水も美味しいからなんでも美味しくなる。
田舎のばあちゃんの家の風景は今でも覚えています。棚には金平糖があって、冷蔵庫には三ツ矢サイダーと個包装のチョコレートが常備してあって、台所の下の棚には梅酒が漬けてあってたまに飲ませてもらってました。多分ノンアルコールです。美味しかったので。
小学校の同級生が皆ちゃおを買っていたので、皆に合わせるべくちゃお読者だったのですが、私はどうしてもりぼんが読みたくてりぼん8月号くらいだけを買って、それだけを繰り返し読んでいました。
奥には謎の部屋があって、開かずの扉があって、別の建物もまた開かずの倉庫がありました。


スーパーの2階のゲームセンターに行くのが好きで、私はそこでずっと同じゲームをしていました。メダルを入れて、画面内で射的みたいに発砲してぶら下がってる景品の上の紙ペラを破いて、景品を落としたらメダルがもらえます。他のゲームに浮気せず一途にずっとそればっかりやってました。
ゲーセンあるあるなのか分かりませんが、たまに知らない兄ちゃんから「お嬢ちゃんメダルいる?俺もう帰るから」と言って、大量のメダルが入ったメダルカップをもらったりしていました。私でもやり切れないので、田舎な事もあって持って帰って後日そのメダルでまた遊ぶなどしていました。
弟が一緒に来た時は、母が一階で日用品などの買い物をしてる間、ばあちゃんに見守られながらプレイランドみたいなところで遊んでました。静電気バチバチになる事も気にせずボールの海で荒れ狂ったりしていました。弟はよく知らない見るからに歳上の男の子にケンカを売って母ちゃんに怒られていました。多分彼は右から左だったと思います。

父ちゃんが来た時は、3人で近くの川に行って釣りをしました。私が過集中的なのが出てどんどん川の奥まで行って腹を冷やすもんだから、帰って見事に腹を下して我ながらアホでした。父ちゃんは釣り上手なのでたくさん釣ってました。別にそれを食べるわけでもなく、子供らに適当に遊ばせてから後日川に戻してたのかな、分かりません。


母には弟がいて、私の弟より多分社会的にゴミです。お盆にたまにばあちゃんちで一緒に過ごすのですが、全然遊んでくれないけど、別に暴言とか暴力とかはなく、無害なつまらないおじさんでした。
気付いたら家賃滞納し過ぎて母(ばあちゃん)に多額の借金というか、ばあちゃん的には「この金やるからもうツラ出すな」だったと思います。だからばあちゃんが死んだ事も弟は知りません。誰も、今どこで何をしているのか知りませんし、完全に縁を切ってるみたいです。でも最後の情報では、世話好きな女と付き合ってた気がするので、こっちに迷惑がかからなければいいのでしょう。母は葬儀屋との商談時に「お母様(ばあちゃん)には他に身内の方はいらっしゃいますか」と聞かれた時、自分の弟の事は一切口に出しませんでした。


ばあちゃんとの思い出はまだたくさんありますが、たまに思い出して楽しかったなと思い出に浸るくらいでいい気がします。はやく死にたいな。


眠剤が効いてきたのでこの辺にしておきます。

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