リストカット始めました
冷やし中華ではなくリストカットです。
内容ぐろい部分がほとんどになりそうなので、繊細な方は閲覧をおすすめしません。
気付いたら切ってました。10月末のバーでのハロウィンイベントが大盛況で終わって3連休をとった時に、気付いたら始めていました。
やり始めは定番の手首の裏を、カッターが錆びてるのしかなかったので5枚刀のカミソリで横に剃りまくって浅い傷をたくさん作り、流れる血を見て安定剤にしていました。
なんで切ったのか分かりませんでした。今でも分かりません。めちゃくちゃ調べました。「リストカット なぜ切る?」的な検索の仕方をしたら、「リストカットをやめさせるには」とか「リストカットをやめたいなら」とかやめるやめるばっかりで呆れました。別に辞めたくないんです。YouTubeで国が認定してるみたいなチャンネルで、リストカットをする原理について説明してくれている動画をやっと見つけました。
その動画でめちゃくちゃ腑に落ちました。言語化出来ないストレスを腕に当ててるようです。で、自傷することによって出来る傷や痛み、血などで脳内に一時的にストレスを緩和する(というか誤魔化す)成分が分泌されるそうです。
ストレスの根源は解決できないけど、溜め込み癖のある私には最適じゃないか、これがあった、なんでもっと早く切らなかったんだろうと後悔するくらいでした。たばこや酒よりもずっと快適です。
以前、バーのオーナーに「あなたは店長候補で考えています」と言われました。嬉しいに決まっています。人生初の昇格のチャンスです。
ただそこから地獄の始まりでした。とりあえずキャストを降りて黒服的な立場に回り、期待に応えようと店を回していたところ、タイミング悪く系列店のマネージャーが飛びました。そして気づけばそやつの仕事も押し付けられていたのです。それでも私はやらなきゃやらなきゃと無駄な使命感に駆られて仕事をまた背負いすぎて、爆発したんだと思います。
リスカを覚えたのでストレスを発散しながらしばらくは頑張ってみましたが、系列店がずさんすぎて、もうこりゃダメだと思った日の仕事終わりに、知り合いのバーに寄って、テキーラロックを2〜3杯一気飲みしました。この時のテキーラが人生で一番美味しかったです。でその後、携帯とカッターだけ持って、裸足で店の外に出てリストカットを始めました。意味がわからなくなり、気付いたら号泣しながら救急車を呼んでいました。
搬送先は精神科ではないので、話なんか聞いてくれません。傷口に何かを塗られて湿布を貼られて終わりです。5千円取られました。
バーの店長には「無事家に帰りました」と謝罪の連絡を入れて、後日そのバーに粗品をお渡ししてイエローカード1枚で済みました。
皆さんいいですか、ODやリストカットなどの自傷行為や自殺未遂で病院を頼ると、保険が効かないので大金を要求されます。知り合いが自殺するために頭痛薬2箱を酒で一気飲みしたらしいのですが、夢叶わず苦しい思いだけして結局病院に搬送され、何百万だか取られたらしいです。
私はODだけはしないと決めています。睡眠剤や安定剤が効かなくなるのが怖いからです。それとニュースかなんかで見たのは、ODする若者の影響もあって、本当に薬が必要な人が手に入らなくて困るみたいな社会現象もあるみたいです。とにかく人に迷惑をかけたくない私は、自分で自分の体を傷つけて、自分で勝手に苦しんで(今のところ気持ちいい)それで終わりでいいのです。
他人なんて変えられないのは私の中で常識の範囲内なのですが、自分を変えるのもだいぶ苦労するので、とりあえず環境を変えようと思い、一旦バーをお休みする事にしました。今のところこのまま辞めるつもりです。
休み始めてから1週間くらい、風呂も入らず、食事もまともにとらず、食べても味なんかしない、要は食の喜びなんかないです。ただ腹が減るとイライラするので胃にぶち込むだけです。掃除洗濯なんか当たり前にしない、なにもしたくなくなりました。考えることを放棄したいので、目が覚める度に眠剤を継続的に飲んでずっと寝ていました。疲れる夢しか見ませんでした。あとから病院にその話をしたら、一日一回の服用の眠剤を継続的に飲むのもODに近しいものなのでなるべく避けてくださいと言われました。すみませんでした。
しまいには荒れるようにしていた性行為もしたくないと思ったのが決め手です。「今の私、人間の三大欲求が何もないじゃないか」と突然思い立ってリュックに荷物を詰めて、実家に飛んで帰りました。
戻れないところまで来てから親に連絡しました。今から帰りますと。どうしたの?と返って来たので、生活が出来なくなりましたと言いました。帰っておいで、いったん休みなさいと言ってくれました。帰る家があるのが本当にありがたかったです。同時に情けなかったです。この歳になって親のスネをまだかじり続けるのか。みっともない。おそらくこの辺りから自己肯定感がタダ下がりしていった気がします。
帰ったら親はギリギリ起きていて、腕の話、搬送された話、仕事がもうきついなどの話をしました。隠すことが面倒な私は「リストカットはやめろと言われるとストレスで余計やりたくなるから頼むからやらせてくれ」と言いました。ギリギリまで我慢するのが私の悪い癖なのです。
親は精神疾患の知識もなく、私の説明が下手なのか理解も乏しいため、その辺はもう諦めて、ああしてくれこうしてくれ、これは言わないでくれなど要求して、出来る限り普通に接してもらうようにしました。
とりあえず実家への引越しの手続きなどはあとにして、一旦何も考えず寝る事にしました。ただ相変わらず眠剤が切れて起きてしまう時もあります。全く効かない時もあります。起きてると本当に余計なことしか考えられず、自己肯定感が奈落の底まで落ちていきます。私は地球にとってゴミだと本気で思いました。今でも思っています。でもだからと言って死にたいとはあまり思わなくなりました。自殺については散々考えたあげく、たいへん勇気のいる事だし、誰かしらに結構な迷惑をかけることになるので、死ぬのは諦めました。ただその代わり「もういつ死んでもいいや」に変わりました。ちょっと不安定になると「早く死なないかな」になりますが、前よりかは希死念慮はマシになったと信じたいです。
ただもう、生きてても寝てるだけだしそろそろ親の世話をする歳なのに、まだ親にお世話されてる自分が本当に情けないです。そして自分がいなくてもとりあえず回ってる店に対してもストレスを感じてしまい、社会って自分がいなくても回るじゃん、あー、ほんとにあたしっていらないんだな、と思ってしまいます。
そんな私に「そんなことないよ」が通用しないので、この気持ちはあまり人様に言わないようにしています。実際に自分で社会や地球にとっていらないと確実に判断しているので、無理矢理そうでないと言い聞かせられても応えられないのが申し訳ないです。
キャストの女の子たちには、実家に飛んで帰ったことをまだ言っていないので、私を待っていてくれて、はやくお店きてよーと言ってくれます。悩んだけど多分もう出勤しません。あーあクリスマスコスプレしたかったなあ。ハロウィンイベントのチンピラはめちゃくちゃ楽しかったです。オールバックにして、我ながら似合ってました。
リストカットしてる方達は「飼い猫にひっかかれた」とか「チャリで転んで低木に腕を突っ込んで傷だらけになってしまった」とか誤魔化すらしいのですが、私はリストカットの事は平気で話します。これはヘルプを要求したり、つらいから構ってくれなどメンヘラ行為をしている訳ではなく、単に隠す事がだるいからです。引いていく人は引いていきました。別にいいです。普通に接してくれる人を私は求めます。興味本位で色々聞いてくれる人にはペラペラと陽気に話しますが、まあ普通ではない話なので、だんだん怖がられて、途中で「もう怖いからやめて」と言われるのがオチです。「リストカット見せて」と言ってきた知人に腕の写真を送ったら「イカ焼きみたいだね」と言われました。随分不味そうなイカ焼きです。
あとはこの気持ちよさを伝えたいという気持ちがでかいです。お勧めしているわけでもないし、もちろん誰にも理解されません。なのでここに書かせてください。綺麗に深く切れた時は本当に血と同じ量の脳汁が出ている気がします。逆にうまく切れなかった時や、気持ちよくなかった時は、場所を変えて切り続けます。でも綺麗に切れた時も調子に乗って、その隣を同じように切るのですが、気持ちいいです。本当に。傷口から流れ出てくる血がティッシュにじんわり染み込んでいくのを見てると安心するし、血を拭き取ってどれだけ深い傷に出来たか確認して、ここまだ浅いな、ってところを、またサクサクと切って均等な深さにして、まるで彫り師です。
あと綺麗に切れた時は多分アドレナリンが出て、全く痛くありません。逆に失敗した時の方が痛くて、イライラしてまた別のところを切ります。でもだいたいその日はうまくいかなくて、血の量でなんとか安定剤にしています。しかもうまく切れなかった時の方が後から痛くなります。
切り続けて一通り気持ち良くなったら、一応消毒して絆創膏を貼って、タバコを吸って眠剤を飲んで寝ます。念の為腕に保冷剤をあてておきます。
最近の悩みは、左腕の手首がもう切る場所がなくなってしまった事です。完全イカ焼き状態です。
そこで2回目の救急搬送に至るのですが、実家で寝れなかった時、腕の裏のまだ綺麗な肘寄りの方を切ったら全然気持ち良くなくて、そこからプッツンした私はラリってしまい、なんでだよと静かにキレながら切り傷をシャカシャカとつけまくりました。いつもは数本を深く切る行為で落ち着いてるのに、その日はなぜかイライラして浅い傷を何個も何個も切りつけました。
裏だけでは気が済まず、腕の表も切り始めました。無数にザクザクと、なんでだよなんでだ、と何に対してなんでたと思ってるのか分からなくなってもずっと切ってました。しまいには手の甲まで切り進みました。とにかく切り続ける右手が止まらなくなりました。気付いたらまたボロボロと泣いていました。
ここで親に迷惑をかけたくない私は、ひとりでまた素足で玄関から外に出て119をしました。そしたら「親御さんを連れてきてください」と言われました。いや親に頼りたくねえからお前ら呼んでんだよ、と思いながらもう私はいつも救急車を呼んだら指示に従うしかなくて、左腕を真っ赤なティシュとタオルで押さえつけながらとりあえず母を起こしました。朝の4時頃だった気がします。
母は飛び起きて、どうしたのなんじゃこりゃのパニック状態です。いいから親連れてこいって言われてるんだ、外についてきてくれと言って適当なサンダルを履かされて救急車に乗って、いつものように脈とか酸素濃度とか体温とか計られて、それであれ、なんでなのでしょう毎回警察来るの。前はサツにカッター没収されて「それだけは持ってかないでくれ」と狂ったように大号泣したので、今回は没収されてたまるかと思ってカッターは母に預けました。でまた搬送先で傷口になんか塗られて、今回は切った範囲が広すぎたので包帯を巻かれました。親は2万取られてました。すみませんでした。もうあんなことしたくないので、とりあえず慎重に切るように努めようと思います。
実家の近所の精神科に初診に行きました。結構良く話を聞いてくれました。その先生は私に「不適応ですね」と言いました。不適応ってなんですかと聞いたら、要は社会不適合者でした。社不です。終わりました。なんかどの仕事も長く働けないと思っていたらこれか。前に障害検査をしてくれるでかい病院で自閉スペクトラム(自閉症とアスペルガーの混合らしい)も診断されていたので、それの影響もあるそうです。
はーあ、この先どうしよう。です。貯金もないし、相変わらず彼氏はすぐ捨てちゃうし、日本に石油王はいないし、とりあえず親が生きてる間に実家でスネをかじりながらなんとか金を貯めときたいところです。たださすがの親も「まだ仕事するな」と言ってくれてるのでお言葉に甘えて、一旦引越しのバタバタが落ち着くまでは休ませてもらおうと思います。
切る場所についても悩みます。もう気持ちいいところは大体切り終わってしまいました。腕の表の傷跡に便乗して表も切り始めました。まあまあ切れますが、裏ほど気持ち良くはないです。でもまあ切る本数は増えますがそれなりに満足は出来る感じです。手の甲も深く切りました。後先考えないで今のストレスの残骸の解放と気持ちよさ、多分依存してるのでしょうけど、切ったら快眠できる気がしています。手の甲は跡が残ったら社会に出たら引かれますが、まあ適当な仕事を転々としようと思います。
太ももの付け根の裏も切りました。あまり気持ち良くないし痛みもないですが、私はなぜか跡を残したいという欲が大きくて、とりあえず深く切ります。ただ風呂に入るとめちゃくちゃ痛い。腕はなんとかお湯を避けれるけど、脚は上から流れてくるお湯やシャンプーで痛いです。あとずっと湿布を貼っているより一旦乾燥させたほうがいいかなと思って傷口全裸で過ごすと、少し歩いただけでもこすれて痛い。でも太ももは日常生活でいちばん目立たないからいいかなと思っていましたが、やはり痛さの残骸が少しきついです。
あとは足首も切りました。表側の皮膚の厚いところだったら深く切れるかなと思いましたが、全然面白くない。血もそんなに出ないし、謎にめちゃくちゃ痛い。多分骨の近くは痛みが強いんだと思います。
ちなみに手首らへんは彫り続けてると痛みが麻痺してきてどんどん深く切れてきて、満足できるくらいの流血もしてくれます。
搬送後、処置された後に丸2日手首は包帯で巻いとけと言われたので切る場所がなくて、次は足首の内側を切りました。切れ味はいいけれどここもあまり気持ち良くないです。なので数えてないですが多分10本くらい少し深い傷だけ切って諦めました。
多分もう依存していて、切らないとやってられないんですよね。特に寝る前。プラシーボ効果的なやつなのか、依存あるあるで「切りたくなるためのストレスをわざと溜める」みたいなことをしてるんだと思います。切ってその後じんじんと来る痛みを感じるとすやすやと寝れます。切って気持ちいいのは、深く切ると皮膚が開眼するような形になるのです。それまで彫り続けます。リスカ跡に後悔する未来なんて今は考えられません。今が良ければどうでもいいです。
あと初めて救急車を呼んだのはひとりでパニックになった時です。その時もサツが来て、あれやこれやと聞かれて、その時はまだリスカをしていなかったので、普通にタクシーを呼んでもらって帰りました。人生で3回税金を無駄遣いさせて頂きました。納税しているみなさん、本当にすみません。
でもその時も、一応パニック発作を和らげる頓服薬を飲んでいました。効きませんでした。
あまり好きではない、とりあえず付き合った彼氏とドライブで助手席に乗らせてもらった時も頓服を飲みましたが、慣れない高速道路と弾まない会話と、改造しまくったダサいプリウスと、出口の見えないトンネルでやられました。ただ高速道路なので窓を開けると防風が吹き込んでくるのでもうどうしようもありません。泣きながら高速を降りてくれと言って降りてから体感40分くらいで着いたコンビニで彼が買ってきてくれたのは、水ではなくアイスでした。こんなもん食えるか。もうこいついらねえ、そしてアイスごと捨てました。
最近電車などに乗る時は、申し訳ございません、駅のトイレの個室で切ってから乗ります。その時は、なるべく痛みが継続するように切ります。その痛みと、謎の「切ったから大丈夫」という洗脳でなんとか電車に乗ってます。あまり良くないですね。すみません。
毎度救急隊員にお願いするのが、「私ごときで急がないで、赤信号も止まってください、ピーポーも鳴らさないで」とお願いするのですが、病院に連れて行くには鳴らさないといけないみたいで、それがもう情けなくて毎度もすみませんと泣いてました。
リストカットはおすすめはしませんが、我慢を重ねてもう無理ってなって自殺するよりかは、その場しのぎでストレスを解放する為の延命措置にもなるので良いと思います。やるのは自分の勝手です。まわりに心配もかけてしまうと思いますが、搬送されない適度に綺麗に切れれば気持ちいいのと、そのあとのじんじんする痛さがなぜか自分を守ってくれてるような感覚になります。
あとはオナニーと似た感覚です。なので人前までやるものではありません。私の写真フォルダにアルバムを作っていて、リストカットのハメ撮りがたくさんあります。11月から切り始めて、こんなに血が出るんだと感動して、そっから写真を撮り始めたのが始まりです。傷の経過なども撮ってます。それで客観的に見て「ここまだ綺麗だから切れるな」となってその辺を切って全体的に均等に傷だらけにしています。あとは血が流れるところを動画におさめたりしています。それを見返すだけでも安心します。
まさか自分が自傷行為をするなんて思ってもいませんでした。そしてこんなにも依存するとは昔の自分も予想していなかったでしょう。昔Twitterで「彼氏と別れた、もぅ生きてられない、、リスカしよ、、」を文字って「単位落とした、、もうゃだ、、マリカしよ、、」的なのが流行っておもろいなと思っていましたが、その時は本当にリストカットなんて縁のないものだと思っていました。まあ彼氏と別れてリスカはしませんけど(だいたい捨てる側なので)、多分いつも社会生活で、本来の自分を殺してまわりに同調して生きているのがしんどいのかなあと、新しい病院の初診で話を聞いてもらって思いました。
私はいつか健常者に戻れるのでしょうか。いや多分無理だし付き合ってくしかないと精神疾患者は皆そう言うので付き合うことにします。ODは死ぬ時までやりません。リストカットの先輩がいるのですが、やはり無理矢理やめるのは逆にストレスでODもしかねないそうなので、いつか必要にならなくなる時を待てばいいよと言ってくれました。そうします。
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