どうでもいいはなし

ちゃれんじしたことがないから
挫折もしたことがなかった
ようなきがする。

さいきん どうしても 向き合わなくてはならないことがあり

いまだに 朝起きると きが おちこんでいることがある。

いや ニュースのようなものをみても
いみが わからない ふめいだから

かといって 
そうだ 掃除をしよう

部屋をかたずけたりだとか 動けばいいのに

なんだか やるきがないというか

30代や 40代の やたら うきうきとしたがっていたような
若さのなごりがないのか

じこちゅうで  ひとのために つくそうと いう情熱にかけているから
なのか

くるしみも なやみもないけれど


そういえば
受験のときにも がんばらなかった

から うけたい ところに チャレンジして 失敗をするという挫折感も 経験がなかった

部活も 
水泳大会などは 小学生のときにでて すこし きんちょうしたけれど

これといって 努力とともに なにかを なした けいけんもなかった。

から 挫折との 対面も  
逃げていたので 避けてきた。

そういえば 暇 暇つぶしという ワードは よく あたまによぎっていた。


たーこ いま 暇 ?
暇なら アップルパイとりおいで

と 

ケーキ屋さんの アップルパイのホールを いとこのうちで 幾つも よくかってきて
けっこう おいしいからということで ときどき いとこが でんわくれるときに

たーこ いま 暇 ? 

という きりだしの でんわだったからかな。

よく 暇つぶしだけを 暇つぶしを意識していたような きらいがあった。

若いときにも 人生を チャレンジする 度胸もなく

恋愛だって だれかと チャレンジする 一緒に そいとげるというのは
賭けのようなものだから

賭け事は きらいだ というような

失敗を避ける発想で あまり なにもかんがえずに 内気なまま

でも ときどき 清水から とびおりるようなこともしつついや ほとんどせずに

なんとなく 親切なひとの ことばじりなどから 警戒して
ひきこもるような

過去を引きずるかのような へんなまま としをとり

パーとなーをみつけたときには 中年すこしまえだったので

それまでとは ちがうかんじで おつきあいして

あっというまに としをとり

いまというかんじ。


最近の悩みは

ふと さきほどおもった。

そうだ うけたい 学校に 落ちた。

そして 滑りのところに かよう。

まるで 自分の人生ではないかのような
人生計画だけれども

そこで そこに すごすということで
落ちてしまったのだから

まえむきに すごすしかない。

というような

もしも まじめに がっこうとか うけて おちていたとしたら
いまのような 落ち込んだときには

落ちてしまった さくらはちった けれど 人生は すすむのですよ。

という 

まるで 他人の 人生を いきることに

まわりのひとからの きたい 価値観を 裏切って 
自分なりに えたものを 
自分の人生として うけとめて 

生きていく。

それは 不合格ごの 人生を うけとめて いきていく。

そんなひとを 見習って
チャレンジしたことがないから 挫折したことがないような気がしていたけれど

挫折をうけとめて いきていく。

それが まわりのひとに 
じぶんが きおちしていて 
わざわざ 励ましてもらう
という めんどくささを 経験させない

自分にできる 努力 というようなきがふとした。