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三国志後伝の挿絵と人物紹介17

三国志後伝にかかる、挿絵一枚につき、該当する人物の人物紹介にいきます。これは20枚ある口絵の17枚目です。
【注意事項】
 1回目を参照

口絵17

劉曜(りゅうよう)字:永明(えいめい)

年齢:1歳ぐらい
血縁:劉備のひ孫、劉禅の孫、劉諶の子
所属勢力:北漢→石趙
智: 5
武:10

父の劉諶が自殺する時に、劉淵に託されました。晋漢大会戦の援軍の将を決める時に、石勒と争い、それからは石勒と不仲な関係となります。竹節銅鞭(ちくせつどうべん)の使い手です。二手に分かれた援軍の一方を率い、四度の戦いに勝利し、劉聡率いる本軍と合流します。その後は、石勒と並ぶ北漢軍を率いる存在となります。正義感が強く、勇猛ではありましたが、酒による失敗や、諫めを聞かずに敗北することが度々ありました。北漢滅亡後、漢の名を捨て劉趙を建国して、皇帝となります。

石勒(せきろく)字:世龍(せいりゅう)

年齢:5歳ぐらい
血縁:趙雲の孫、趙統の子、趙染・趙概・趙藩の弟
所属勢力:北漢→石趙
智: 7
武:10

元は趙勒を名乗っています。幼少の頃より、巨大な器量を感じさせる人相をしていました。兄たちとはぐれ、上党にいた石莧(せきかん)の養子となり、石勒と名乗ります。12歳で優れた武芸を身につけます。刀の使い手です。石莧が処刑された後、晋と敵対します。劉淵の配下となり、晋漢大会戦の一方の援軍を率いてから以降、北漢の中心的な存在となり大活躍します。劉曜との敵対を予感して北漢からの自立を図りました。張賓らの支持を得て、北漢滅亡後、石趙を建国し、皇帝に即位しています。

汲桑(きゅうそう):民徳(みんとく)

年齢:30歳ぐらい
血縁:
所属勢力:蜀漢→北漢
智:2
武:9

渭北(いほく)の楽郷出身です。斧の使い手です。荒々しい気質をしていました。力が強く、馬に追いつくほど速く走ることができました。虎の穴に入り、虎を倒したところを、趙雲の子・趙広に見出されます。荒馬の調教を行い、蜀漢では趙府(趙統の将軍府)の牧馬帥に任じられました。張賓と行動をともにしますが、途中で趙勒(石勒)とともにはぐれてしまいます。後に、石勒とともに北漢に仕え、馬に乗らずに戦い、多くの敵将を倒します。苟晞との戦いで火計により戦死しました。

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