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三国志後伝の挿絵と人物紹介11

三国志後伝にかかる、挿絵一枚につき、該当する人物の人物紹介にいきます。これは20枚ある口絵の11枚目です。
【注意事項】
 1回目を参照

口絵11

孟観(もうかん)字:叔時(しゅくじ)
年齢:25歳ぐらい
血縁:
所属勢力:晋
智:8
武:7
晋の折衝将軍から、楚王(司馬瑋)の司馬となり、殿前(でんぜん)左司馬に遷りました。双簡(そうかん)の使い手です。機略・謀略に長けた、冷静沈着な人物です。馬隆と並ぶ知勇兼備の名将と呼ばれていました。周処の敗死後、平西副元帥として、劉淵討伐に向かいます。斉万年を計略で討ち取りますが、その後は敗北を重ね、北漢との和議を提案しました。和議は成立し、侍衛虎賁(じえいこほん)大将軍に任命されました。賈皇后(賈南風)の楊駿討伐では主導的な役割を果たしています。淮南王(司馬允)が殺害された後に趙王(司馬倫)に殺されています。

程朽(ていきゅう)
年齢:25歳ぐらい
血縁:程昱の孫
所属勢力:晋
智:7
武:4
晋の常山太守です。押し寄せる北漢軍に対し、援軍を待ちつつ、城に籠り迎え撃ちました。常山城を巧みに防衛して、十日も支えています。張賓による偽りによる陽動作戦にも対応し、常山を守り通しました。北漢軍を水攻めして大きな損害を与えますが、城から打って出て攻撃したのが裏目に出てしまい、北漢軍から反撃を受けて敗北して、常山城を落とされてしまいます。洛陽へ逃亡しようとしたところを、王弥に捕らえられ処刑されました。刀を使って自ら戦ってもいます。

典升(てんしょう)字:子高(しこう)

年齢:25歳ぐらい
血縁:典韋の孫、典満の子
所属勢力:晋
智:3
武:8

梁王(司馬肜)の配下の牙将です。その後、大将となり、梁王の出撃後の汴梁(べんりょう)を守りました。武勇に優れた槍の使い手です。常山郡の総兵(軍司令)に転任し、鉅鹿郡の援軍に赴き、北漢軍を防ぎます。許戌と「掎角(きかく)の勢」となり、北漢軍を苦しめました。常山郡の援軍に向かった許戌と合流しようと軍を進めるところを、北漢軍に包囲され、王弥に捕らえられています。許戌とともに劉淵のいる平陽に送られました。

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