三国志後伝の挿絵と人物紹介5
三国志後伝にかかる、挿絵一枚につき、該当する人物の人物紹介にいきます。これは20枚ある口絵の5枚目です。
【注意事項】
1回目を参照
諸葛慎(しょかつしん)
年齢:40歳ぐらい
血縁:諸葛瑾の孫
所属勢力:呉→晋
智:7
武:3
父は不明です。呉の南蛮校尉(なんばんこうい)である陸玄(りくげん)の中軍司馬(ちゅうぐんしば)に任じられていました。智謀に優れ、祖父(諸葛瑾)のような風格がありました。晋の広州討伐による郴嶺(ひんれい)の戦いでは、周処の参謀として、晋軍の伏兵を見破り、周処に助言を与えました。陸晏や陸玄、周処とともに晋に降伏します。その後の事績(じせき)は不明です。なお、陸玄は、陸晏の弟にあたります。
賈模(かぼ)字:思範(しはん)
年齢:40歳ぐらい
血縁:賈充・賈南風の遠縁の一族
所属勢力:晋
智:6
武:4
傑出した才覚はありませんでしたが、純朴で先を見る目を有した賈氏の中では優れた存在でした。呉平定の後、建平討伐を命じられ、吾彦に敗北を喫します。その後は、要職である侍中に任命されます。楊駿討伐後、賈皇后(賈南風)を補佐して、汝南王(司馬亮)・衛瓘・張華を用いることを勧めます。汝南王・衛瓘の死後も張華に政治を委ねるよう賈皇后に勧めました。賈皇后を排除し、政治を司馬遹(しばいつ)に委ねることを張華・裴頠に相談しますが同意を得られず、趙王(司馬倫)の賈皇后討伐の際に処刑されました。史実では、それ以前に死去しています。
陸晏(りくあん)
年齢:30歳ぐらい
血縁:陸遜の孫、陸抗の子、陸玄(りくげん)・陸機(りくき)・陸雲(りくうん)の兄
所属勢力:呉→晋
智:7
武:5
呉の広州刺史です。兵法に通じ、祖父や父の風情を持っていました。晋の呉平定を知り、都の建業(けんぎょう)を救おうと兵を集めましたが、すでに呉の皇帝・孫晧(そんこう)は降伏していました。呉の再興を図るため、晋の広州討伐に抵抗し、晋軍の攻撃を防ぎます。周処や諸葛慎を郴嶺(ひんれい)に派遣して、晋軍を破りました。孫晧や吾彦(ごげん)から降伏をうながす手紙を受けて、晋に降伏します。史実では晋の王濬(おうしゅん)と戦い、戦死しています。
賈充(かじゅう)字:公閭(こうりょ)
年齢:63歳
血縁:賈逵(かき)の子
所属勢力:魏→晋
智:7
武:4
晋王朝建国の功臣です。魏の皇帝(曹髦(そうぼう))を殺害しています。晋の武帝(司馬炎)の腹心となり、魯国公に封じられました。呉の討伐には一貫して反対の立場をとりましたが、大都督に任じられ、呉平定軍の監督を行います。呉への侵攻中にも呉平定の中止と、賛成派の張華を斬ることを武帝に進言しています。呉平定の功績により加増を受け、武帝に己の不明を陳謝しました。娘の賈南風が司馬炎の子、恵帝(司馬衷)の皇后となっています。
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