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三国志後伝の挿絵と人物紹介12

三国志後伝にかかる、挿絵一枚につき、該当する人物の人物紹介にいきます。これは20枚ある口絵の12枚目です。
【注意事項】
 1回目を参照

口絵12

姜発(きょうはつ)字:存忠(そんちゅう)または継約(けいやく)

年齢:15歳ぐらい
血縁:姜維の子、姜飛の兄
所属勢力:蜀漢→北漢→劉趙
智:8
武:5

智謀があり、諸葛亮から受け継がれた父の兵法を習得していました。父に従い、蜀漢を復興する計画に加担します。父の死後は、青城山において隠棲していました。蜀漢の再興を行うことを条件に趙廞(ちょうきん)に加担しましたが、騙されたと知り、劉淵の元に参じ、侍中に任命されます。晋漢大会戦の援軍においては石勒の参謀、その後は劉曜の参謀として北漢軍に大きく貢献します。北漢滅亡後も、劉趙王朝に仕えて太傅に任命され、劉曜を度々諫めます。劉曜が諫めを聴かなかったため、劉曜の元を離れて、隠棲しました。戦略よりも戦術に優れた参謀です。

姜飛(きょうひ)字:存義(そんぎ)、または守約(しゅやく)

年齢:15歳ぐらい
血縁:姜維の子、姜発の弟
所属勢力:蜀漢→北漢→劉趙
智:5
武:8

武勇は「三軍に冠たり」や「万人の敵」と呼ばれていました。槍の使い手です。姜発とともに蜀の地に残り、趙廞に加担して、陳総を討ち取ります。劉淵の配下となった後も漢の中心的な戦力として、上官巳などの名だたる武将を含めた多くの敵将を討ち取りました。嶢関(ぎょうかん)では、守将の王因への使者と赴き、降伏の説得に成功します。劉趙王朝にも仕え、大将軍に任命されます。姜発に忠実で、常に同じ勢力で活躍しました。姜発とともに、蜀の地に避難しました。

関謹(かんきん)字:継武(けいぶ)

年齢:25歳ぐらい
血縁:関羽の孫、関興の子、関防の弟、関河・関山の兄
所属勢力:蜀漢→北漢
智:5
武:8

蜀漢では兄の関防とともに俊才であり、名声がありました。青龍大刀の使い手です。兄とともに、劉淵の配下に加わり、劉淵の即位時に、平難龍驤(へいなんりゅうじょう)大将軍に任じられています。山西・河北侵攻戦の時で活躍し、五振りで五人の副将を討ち取ることもありました。陸機には、関防・張実・張敬とともに、祖父の武勇に劣らないと言われています。晋漢大会戦や洛陽攻略戦でも活躍しましたが、関防の死を嘆いて、病気になり、死去します。劉聡に、忠順王を贈り名されました。

関防(かんぼう)字:継雄(けいゆう)

年齢:25歳ぐらい
血縁:関羽の孫、関興の子、関謹・関河・関山の兄
所属勢力:蜀漢→北漢
智:6
武:9

青龍大刀の使い手です。正義感が強く、乱暴を見過ごせない性格でした。劉淵の即位時には、右大司馬に任じられました。また、折衝将軍にも任じられています。山西・河北侵攻戦、・晋漢大会戦・洛陽侵攻戦において、大活躍しています。その武勇は北漢軍でも傑出しており、常に中心的な戦力であり続け、危機に陥ることもほとんどなく、敵将を幾人も討ち取っています。劉淵の死後、劉淵とともに羌の土地に逃げる夢を見てから、病死します。劉聡に、忠烈王を贈り名されました。子に関勇と関曼がいます。

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