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三国志後伝の挿絵と人物紹介20

三国志後伝にかかる、挿絵一枚につき、該当する人物の人物紹介にいきます。これは20枚ある口絵の20枚目です。
【注意事項】
 1回目を参照

口絵20

李雄(りゆう) 字:仲儁(ちゅうしゅん)

年齢:7歳
血縁:李慕の孫、李特の子、李蕩の弟
所属勢力:成
智:7
武:6

父の李特に従い、趙廞(ちょうきん)・羅尚との戦争に参加しました。槍や刀を使います。李特・李蕩の敗死後、晋への降伏を願う叔父の李流に対して、抗戦を主張し続け、兵を鼓舞して、羅尚の軍と戦いました。李雄の奮戦により流民側は勝利し、攻勢を取り戻します。晋との戦いに勝利を重ね、李流の死後、配下の流民を率いることになります。さらに、成都を落として、羅尚に大勝し、成王を名乗ります。外征を行わず、蜀の地に安定した治世をもたらしました。後に、大成皇帝として即位します。

郝元度(かくげんど) 字:中立(ちゅうりつ)

年齢:45歳ぐらい
血縁:西涼(せいりょう)の人・郝貫(かくかん)の孫
所属勢力:匈奴→北漢
智:3
武:6

匈奴・羌の北部主帥(しゅすい)。刀の使い手です。騎射(きしゃ)を得意としていました。故郷で人を殴り殺し、北部に逃げ込みました。その教養と武勇、寛容な人格により、北部の主帥に推されています。晋に対して反乱を起こし、晋軍を破り、晋により羌胡都督(きょうこととく)に任じられました。劉淵の決起に加担して、馬邑にて、晋軍と戦いますが、孫秀の計略により、趙王(司馬倫)の軍に敗北し、張泓(ちょうおう)に討ち取られます。史実では郝度元(かくどげん)というのが姓名です。

李特(りとく) 字:玄休(げんきゅう)

年齢:35歳ぐらい
血縁:東羌の出身、李慕の子
所属勢力:趙廞政権→晋→成
智:6
武:6

家が豊かでした。故郷である略陽を離れた時に、道中で飢饉により関中から蜀に流れる流民たちに食料を分け与えたため、彼らを率いることになりました。蜀の地に入った後、晋からの自立を図った趙廞の配下となりますが、弟の李庠が殺されたため、趙廞を殺します。新たに蜀の地に入った羅尚に、関中への帰還を命じられたため、晋への反乱を起こしました。勝利を重ね、戦闘を優位に進めましたが、油断して豪族から人質を取らず、兵を分散させたところに、羅尚からの夜襲を受けて戦死しました。

拆瀘(きろ) 字:盧水(ろすい)

年齢:40歳ぐらい
血縁:張翼の孫
所属勢力:匈奴→北漢
智:3
武:5

「盧水」と字(あざな)で表記されます。北郡の羌胡(きょうこ)撫帥(ぶすい)です。本名は、張瀘といいました。蜀漢滅亡後に魏軍に追われて、名を変えて羌族に入ります。北郡の留守(羌の族長?)の養子に迎えられ、撫帥(ぶすい)となります。数万の兵を有し、馬蘭とともに、郝元度の晋への反乱に加わりました。郝元度とともに晋に反乱を起こし、馬邑を落としますが、趙王(司馬倫)の軍に敗北します。涇陽で斉万年と合流しましたが、趙王配下の士猗と許超に討ち取られます。


馬蘭(ばらん) 字:国馨(こくけい)

年齢:45歳ぐらい
血縁:馬鉄(馬超の弟)の孫
所属勢力:匈奴→北漢
智:3
武:5

馮翊(ふうよく)の羌胡(きょうこ)撫帥(ぶすい)です。馬一族は西涼において栄えていましたが、蜀漢滅亡後、反乱を起こして、盧水のもとに逃れます。盧水の推挙により、馮翊の撫帥(ぶすい)となりました。先祖(馬騰?)が使った六十斤(約36kg)の大刀を所持しています。扶風で趙王(司馬倫)配下の司馬雅と一騎討ちを行いましたが、盧水が討ち取られ、逃げるところを士猗に討ち取られました。常に盧水と行動をともにしました。

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