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三国志後伝の挿絵と人物紹介19

三国志後伝にかかる、挿絵一枚につき、該当する人物の人物紹介にいきます。これは20枚ある口絵の19枚目です。
【注意事項】
 1回目を参照

口絵19

苟晞(こうき)字:道将(どうしょう)

年齢:20歳ぐらい
血縁:
所属勢力:晋
智:9
武:6

晋の兗州刺史です。青州刺史に転任します。智謀・見識・武勇に優れ、韓信や白起といった古来の名将と並ぶと評されており、討伐の指揮官が苟晞であると聞くだけで反乱軍が逃亡するほど恐れられていました。十四路諸侯の一人として、晋漢大会戦に参加します。石勒に敗北しますが、講和後に追撃してきた劉霊・王弥・劉曜を伏兵と火計で追い詰めます。その後も汲桑を討ち取りますが、「屠伯(とはく)」と呼ばれるほど刑罰が多く、洛陽陥落後に孤立してしまい、石勒に敗北して捕らえられます。後に逃亡を図り、殺されました。

凌霄(りょうしょう)

年齢:30歳ぐらい
血縁:凌操のひ孫、淩統の孫
所属勢力:呉→晋
智:3
武:6

琅邪(ろうや)王配下の安東将軍です。武略にすぐれていました。方天画戟の使い手です。「東呉四世の虎将」を自称していました。晋漢大会戦において、晋軍として参加し、劉曜と戦う東海王(司馬越)配下の宋冑(そうちゅう)・施融(しゆう)の助けに入ろうとして、石勒と一騎打ちを行います。石勒に敗北し、討ち取られました。宋冑も石勒に敗北し、負傷します。施融は逃走しようとするところを、劉曜と石勒に討ち取られ、晋軍は大敗しました。

許超(きょちょう)

年齢:30歳ぐらい
血縁:
所属勢力:晋→趙王政権
智:4
武:5

趙王(司馬倫)に仕えました。槍の使い手です。牙将に任じられ、劉淵討伐時には、士猗とともに左右護軍に任じられます。北漢軍を相手に善戦しましたが、趙王とともに敗走しました。趙王の賈皇后(賈南風)討伐の際には、腹心として活躍し、趙王政権成立時に、侍衛将軍に任じられた。諸王の決起にも、孫会の配下として成都王(司馬穎)との戦いで、その将・公師鎮を討ち取り、勝利へと導きます。夜襲を受けて、汲桑に馬を斬られ落馬したところを捕らえられ、処刑の上、一族は皆殺しとなりました。

夏侯駿(かこうしゅん)

年齢:35歳ぐらい
血縁:夏侯惇の孫(史実では夏侯淵の孫)、夏侯騄(かこうろく)の兄
所属勢力:晋
智:6
武:9

大刀の使い手です。晋の扶風寧西大惣戎(ふふうねいせいだいそうじゅう)に任じられ、涇陽に駐屯していました。武勇に傑出し、騎射に優れていたため、羌に恐れられ、その名は広く知れ渡っていました。弟の夏侯騄(かこうろく)の仇を討つべく出撃し、斉万年と激しい一騎打ちを繰り広げましたが、斉万年の矢を受けて負傷し、扶風に逃走したため、涇陽は落とされます。扶風を守り抜き、趙王(司馬倫)とともに戦いましたが、涇陽で敗北し、また、扶風に逃れます。知勇ともに優れており、敗走した時も少ない損害で済ませています。

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