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三国志後伝の挿絵と人物紹介16

三国志後伝にかかる、挿絵一枚につき、該当する人物の人物紹介にいきます。これは20枚ある口絵の16枚目です。
【注意事項】
 1回目を参照

関河(かんか)字:継遠(けいえん)

年齢:20歳ぐらい
血縁:関羽の孫、関興の子、関防・関謹の弟、関山の兄
所属勢力:北漢
智:5
武:8

老病の母のために、蜀に残っていましたが、左国城にいた劉淵に弟の関山とともに招かれます。劉淵の即位時に建威将軍に任命されました。大刀の使い手です。劉淵の存命中は、目立つことはありませんでしたが、劉淵の死後は奮戦して劉曜を支え続けました。陳安を落馬させるほどの武勇を誇り、劉曜を何度も諫めました。陳元達の自殺後に、弟とともに辞職しました。解梁に隠居していましたが、関山が靳準暗殺を決意したため、泣いて見送った上で、蜀の地に避難していきました。

関山(かんざん)字:継安(けいあん)

年齢:15歳ぐらい
血縁:関羽の孫、関興の子、関防・関謹・関河の弟
所属勢力:北漢
智:4
武:7

左国城にいた劉淵に兄弟の中で一番先に向かいました。山西・河北侵攻戦を行うことを進言したこともあります。劉淵の即位時には護軍都尉に任命されました。大刀の使い手です。短慮なところもありましたが、積極的かつ勇猛な人物で、負傷しても激しく戦いました。常に前線に立って活躍しています。劉淵の死後、老将と呼ばれながらも劉曜の元で活躍し、韓豹のとどめを刺しました。関河とともに辞職しますが、靳準が北漢を滅ぼし、劉氏を絶滅させたことを聞いて、靳准の暗殺に向かいます。暗殺は失敗に終わり、靳準に殺されました。


関心(かんしん)字:継忠(けいちゅう)

年齢:15歳ぐらい
血縁:関索と鮑三娘の子
所属勢力:北漢→劉趙
智:7
武:7

病気のために、蜀の地に残ります。姜発兄弟を探して合流してから、劉淵の元に向かいました。晋漢大会戦の援軍として、劉曜配下の正先鋒となり、劉曜を助け活躍しています。母の鮑家莊に伝わる「紅錦套索(とうさく)の法」も習得し、投げ縄で呂鐘を捕らえます。大刀を使い、敵将を何人も討ち取っています。軍略にも優れていました。忠誠を尽くした敵将を憐れんで葬ったこともありました。北漢の滅亡後も劉曜に仕えて支え続けましたが、姜発らとともに蜀の地に去っていきました。

漢 曹嶷(そうぎょく、曹爽の子孫)※2回描かれており、2回目に登場している。


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