ジュニア世代育成の指導者が「心掛けるべき大切なこと」とは
みなさん、育成年代の良いコーチとはどんなコーチだと思いますか?
良い指導者は、勉強しています。
一方で情熱と経験だけでやっている指導者は、勉強をしていません。
その差は見る人が見れば、その違いがすぐに分かります。
どこに違いがあるのでしょうか?
良い指導者はこの質問に答えられます。
ダメな指導者には、共通点があります。
それは、
1.「子どもが出来てない」「なんでできないの?」「あいつはダメだ」と責任を他人のせいにしている。
指導者は、そこをできるようにしてあげるのが仕事です。
2.サッカー、子どもの教育について、情報が狭い、少ない。
本を読んだり実際に観戦をしたりと、身銭を切って専門技量を身に付けるということが必要です。
3.全てが曖昧で、漠然としている。
具体的じゃないので分かりづらい・伝わらないのです。
4.「あれやれ」「これやれ」と命令している。
子どもは指示待ち人間になってしまいます。
私自身が小中学生年代の指導者を始めたころは何をしていいか分からず、
とりあえず子どもたちを見ながらその場その場で指導をしていました。
その時いつも感じていたことは、
「自分の知識の無さ」と「伝える力の無さ」でした。
小学生は理解力がまだ低かったり、要領を掴んでいないため
大人と同じ説明や接し方では伝わりません。
そんな子どもたちを扱う指導者として、
何を勉強すればいいのか?
指導者としてどんな知識を身に付ければいいのか?
大切なのは、
サッカーのトレーニングメニューなどの小手先の技術ではありません。
コーチも一人の人間です。つまり、
「どんな人間が指導をしているか」
ということに尽きます。
どんなにうまくても人間性がダメな選手はプロサッカー選手にはなっていけません。
なぜなら一人の人間がサッカーをしているので、
例えば困難な状況にあるとき
どう物事を捉え、対処するかは
「どんな人間がサッカーをしているか」
で違い、その後が決まってくるのです。
コーチ、指導者も全く同じなのです。
まずこの部分を掴んでいない人がほとんどです。
そのためまず一番初めに学ぶべきことは、
コーチとはどんな立場の人であるべきなのか?
何を指導する必要があるのか?
子どものどこを見て指導をする必要があるのか?
意識することが変わると、声のかけ方、子どもとの接し方が変わり、指導の内容も変わります。
それからは、格段に指導が変わり子どもたちに変化(上手くする、強くする)を起こすことができるようになりました。
今回はこの「良いコーチ」とはどんな人物なのか?そもそも役割は何なのか?といったところからお話していきたいと思います。
「育成のサッカーは教育的であること。」
日本のサッカー協会だけでなく世界的に「育成年代のサッカーはしつけである」と捉えています。
小中学生の子どもたちは学校でも教育することがメインであるように、まだ精神的にも肉体的にも身に付けてかなければならない知識・知恵・常識・礼儀・作法など様々な面で未熟であり、教えていくべきことはたくさんあります。
同じようにサッカーにおいても、
あいさつや荷物の管理、食事を摂ること、仲間と協力すること、用具を手入れすること、感謝の気持ちを持つことなどコートを離れた部分を含めたことがサッカーです。なぜなら、サッカーをするのは生活の一部にあり、切り離すことはできません。
「普段、どんな生活をする人間がサッカーをしているのか」ということです。
サッカーをやる人間として大切な人間性として身に付けていくべきことはたくさんあるのです。
つまり、育成のコーチとは、「教育者でもある」のです。
育成、教育にとって大切なものとは何か?
「一人一人の子どもは、自ら伸びていく力がある」ということです。
教育、育成を行うコーチとはその手助けをしているに過ぎない。つまり、
「自らの力で伸びていく選手を育成する」ということです。
そういう話をすると、「子どもに考えさせる」と言って野放しに「自由にやれ」というコーチがいますが、知識がない子どもにいきなり自由にやらせるのはコーチの怠慢です。
コーチが居ないときには子どもたちは自由にサッカーで遊ぶでしょう。ストリートサッカーというやつです。
せっかくコーチが居るなら知識や知恵を与えてあげる、気づかせてやるべきです。コーチの存在意義がそこにあります。コーチはそこから逃げてはいけないのです。
「教えなければ知らない子になる」
コーチは子どもたちの将来に関わっているのです。
「サッカーの専門家」であり「教育の専門家」
育成年代のコーチは、子どもが人間として自立をしていない分やるべきことが多く、サッカーを教えていくだけでなく、人間としても育てていかなけばいけません。
最初にも出てきましたが、育成年代のコーチは「教育的である」「しつけである」ことを心に留めておく必要があります。
「教育」とは、教え育てること。つまり、
「教え育てることのできる技術方法を持っている」ということなのです。
ここで質問です。
3日間高熱が続いて病院に行ったときに、医者が「それは辛いですね。」と優しさを示してくれるだけで満足するだろうか?
常識的な病気に「原因は分かりません。治療方法も分かりませんが、とにかく一生懸命やってみます」という医者に命を預けるだろうか。
当たり前ですが、そんな素人に預けませんよね。笑
つまり医者は「医療活動をする技術なり方法なりを持っている」ことにおいて専門職なのであり、「技術・方法」を駆使して患者の病気と闘ってくれるのです。
コーチも同じです。
「そういう場合はこのような方法があります」という
「指導・教育の技術なり方法なりを持っている」ことにおいて専門職なのです。サッカーのことについてはもちろん、子どもという特性、あいさつなどの礼儀作法などについても知識を持つ必要があります。
簡単に言ってしまうと、特に小学生はサッカーの技術を教える前に
「教わる姿勢から教える必要がある」ということです。
でないと「話を聞けない子」に「話をしている」っていう伝わるわけねーだろ!っていう現象が起きちゃいます。
つまりサッカー面で技術的な指導もしますが、それよりも圧倒的にグラウンド外において未熟なので指導(しつけ)していくことが多いということです。
その辺を理解していないのか、勉強をしていないのか、そういうグダグダになっているチーム(子どもたち)をいくつも見かけます。
しかしちょっと意識と知識を持つだけで様々なことに気が付くことができます。
私が大切にしているコーチが持つべき基本的な要素、役割
・子どもを動かす方法を知っている。
・細かく指導ができる。(教えるか導くかはまた別の話しである。)
・情熱を持っている。最後まで諦めない。
・観察力がある。子どものちょっとした変化に気付ける
・ 子どもの話をちゃんと聞く
・物事の本質を見抜く力がある。先入観を外す。ステレオタイプにならない。
・サッカーや子どもの事、指導について 勉強している。自分を磨くことに対する拘り、執着心がある。
「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」とは有名な言葉。
・違いを認めることができる。(開かれた心)コーチだって人間。間違えはします。それをちゃんと受け入れる勇気。
・公平に評価できる。好き嫌いで判断はしない。一人一人が感情を持った大切な子どもなのだ。
・思いやりがある。一人の人間として優しさと愛情に溢れている。
・伝える力を持っている(コミュニケーション、言葉、デモンストレーション、映像、手紙など)
・時間を意識できる。
・伝える力(技術)を持っている。(分かりやすい、シンプルである)
・データを取っている(出欠、成績、サッカーノート、ランニング記録など)
・勝つことと育てることの両面を目指す。勝負とは勝ち負けを決めることである。勝ちに拘ることは人生においても大切な事。とはいえ中身をしっかりと育てることに拘る。
・コーチ自身が楽しんでいる。
まーざっとですが、増えたり微妙に言い回しが変わったりして常にアップデートしていってます。
教育的な要素があるということを知って、観点が加わることで
「何が必要なのか?」が自然と明確になり、
これだけ上げることができます。
大切なのは「どんな人間がサッカーをしているか」ということです。
自分で伸びていくのも、這い上がるのも自分であり、人なのです。
今サッカーの指導者はいい指導者、勉強をしっかりとされている指導者も増えてきていますが、ふんぞり返って指導をしている人も多くいます。
また、メニューばかり凝っていて根本的な部分を指導できていない小手先だけの指導者や、伝え方をしっかりと勉強していないがために、子どもたちが理解をできず結果子どもたちが変わらないという指導者も多いです。
努力をするなら、どこを、どの部分を努力するのか。
サッカーの指導者とは、どういう指導者なのか?
上に立つ立場の人間として、その立場に勘違いせず、
・育成のサッカーはしつけである
・サッカーの専門家である
・教育の専門家である
という要素があるということを指導の際に意識をして考えていきましょう。
考え方が変わるとコーチングが変わり、子どもに劇的な変化と影響を及ぼすことになりますよ。
今度はもっと具体的な技術の部分を書いていこうと思ってます。
書いて表現するのは大変ですね。しゃべるのとは大違い!笑
また頑張ってみます。
ではではー!
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