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小説 猫迷宮 第5章

練馬のアパートに着いたときには九時近くになっていた。

いつもよりゆっくりと自転車を漕いできて、途中の江古田駅ちかくの牛乳屋で一本飲んでひといきいれたときにも、あの蕎麦屋の男女の会話がひっかかっていた。あの蕎麦屋の男はどんなアブナイことに手をそめているのだろう。誰もが人知れずアブナイ橋を渡っているにはちがいない。アブナイ橋はいつ後ろから崩れ落ちはじめるかしれない。自分にとっては、今日の午後ミドリちゃんから渡された七万円が、その兆候というべきだ。このぶんでは、あと幾月家賃を払いつづけられるか知れたものではない。

下宿は江古田と氷川台のちょうど中間にある。築四十年物の木造老朽アパート。カギ型の木造で十部屋ほどある。六畳一間で家賃四万八千円なり。もうすこし郊外にいけば安い物件もあるはずだが、独り暮らしをはじめたとき、以前に勤めたことのある皮革会社に近くて、土地勘がはたらいたので決めたのだ。人は頭のなかにそれぞれの安心できる地図というものがある。引っ越しを繰り返しても同じ電車の沿線に決めてしまうのはそのためだ。すくなくとも自分は、猫のテリトリーのように一定の地域から離れられないらしい。今のアパートの前は豊玉陸橋の近くの騒音のひどいアパートだった。マンションに建て替えるとかで追い出された。その前が桜台。やはり二キロと離れていなかった。

アパートのどの部屋にも明かりついていなかった。住人と顔をあわすことはめったにない。たいていは池袋あたりの夜の仕事に出ていくようだ。しばらく前まで、西池袋のゲイバアにいる男がすまっていたが、いつのまにかいなくなっていた。

アルミニュウムのドアノブが錆ている。ドアには先代、先々代の居住者の名札をはがした形跡がこびりついている。手紙がくるはずもなく、訪ねてくる者もいなかったので自分は表札を出さずにいる。郵便受けにカタカナで「カミオトオル」とマジック書きした名前を差し込んでいるだけだ。二ヵ月に一度ほど、ドアノブに〈ゴミ当番〉のボール紙のフダがかかっている。そのときだけは、一週間ほど出勤前にゴミ集積場のあたりを掃除しておく。すると、誰が動かすのか、フダが別の部屋のドアノブに移動していた。

 一階の自分の部屋に入るなり、窓を開け放つ。湿気が多いので、これからは換気をしておかないと畳に黴が生えてしまう。網戸だけはどんなに面倒でもかならず修繕していた。黴はまだしも、虫の侵入がいやだったのだ。一か所ほつれている台所の網戸は、ガムテープをはりつけて応急処置をしてあるが、あれもちゃんとしないと、はがれそうだ。帰るなりそんなことに気をまわしている自分がばからしくなって、畳に寝ころんだ。天井は裸電球がひとつ。蛍光灯は古くなってチカチカしだすのが嫌いで使ったためしがない。電球ならフィラメントが切れたらそれで終わりで、かえって気持ちがいい。切れた電球をクルクル回してつけかえる作業が好きだった。新しい明るい電球を灯すと生活が一新されたような気がして清々する。ばかな錯覚というべきだったけれど。

はあーっ、とため息をついて、寝ころがった。天井板が老朽のせいで膨らんでたわんでいた。いつか上の重みに耐えかねて落下してきそうな気がする。天井裏にはネズミの糞やら、虫の死骸がホコリといっしょに積み重なっているはずだ。上の住人は男二人が住んでいるが、彼らが布団の上げ下ろしをするたびにズシンとこちらに重い振動が伝わってくる。大抵は彼らの深夜の御帰還のときで、夢うつつでその地響きを聞いていた。ときどき二人が愉快そうにテレビを見て笑っているのも聞こえた。

自転車を漕いできた疲れで、もう起き上がるのがおっくうだった。そのまま転がっていると眠りこんでしまいそうだった。押し入れから布団をだした。毛布だけかけて、またごろりと横になった。歯を磨きたかったが、もう起き上がりたくなかった。天井の板目の模様がこちらを見下ろしている。すっかり見慣れた模様も、夜は明かりの加減で不気味に見える。転居するたびに天井の模様が気になってしかたない。ここにくるまえのアパートの部屋は指紋のような渦ばかりだったし、その前は合板にプリントした繰り返しの模様だった。十代の終わりから二十歳すぎまで母親と住んでいた世田谷の借家の天井は、妖怪の目玉のような木目だったのが忘れられない。

母親が体を悪くし、一年半ほど入院して亡くなってみると、我が家が借家であったことにはじめて気がついた。貯金を取り崩していたのか、母親が払ってくれていた借家代は、失業中の自分に払えるはずもなく、早々に転居せねばならなかった。母親の残した着物類やわずかな家具を処分するのに近隣の古物商をまわったりもした。ほとんどのものは廃棄してしまったが、鏡台と手鏡だけは手元に残した。曇り一つない鏡のなかに、ひょっとしてあの世にいってしまった母親が姿を映してみせるのではないかと真面目に思いこんだからだった。母親は、息子が勤めにでるときには必ず塩むすびの弁当を作って手渡してくれた。外出先の食事はあてにならないというのが口癖だった。

 久しぶりにその頃のことを思い出したが、母親の弁当のことにたどりついたあとに、なんだか記憶の欠落があるような気がしてならなかった。なにか思い出せないことがあるような違和感があった。

信徒百有余人、震災より三七、二十一日の後、本地にようやく帰還す。バラックの集落を営み、よろずの商い生業に精勤し、ほどなく本建築の町家を再建するにいたる。その間五年、艱難辛苦語るに尽くしがたし。教主の住まいその後も仮寓のアバラ家にて、幟旗のみさっぱりと新しく翻る。本殿と鳥居が再興されたるは、信徒の寄付漸く集まりしあとなり。信徒中にも商いより富貴なる者いずるにおよんで、教主の仮寓も小さきながら檜の材を集めて本殿わきに建てられたり。

                                      

昼間さんざん校正した『昭和戯文集成』の文句が口をついて出てきた。怪しげな擬古文調が妙に覚えやすかった。いったい東京のどのあたりに信徒一門は帰還していったのか。すくなくとも山手や省線電車の内側ではあるまい。震災のあとで、帝都復興の土木建築の仕事は溢れるほどあったはずだから、おそらくその復興景気に乗じて生活をたてなおしたようだ。なるほど、天災を逃れて財を失っても体一つ残ればなんとかなるわけだ。いつもながら楽観主義というか、能天気な性分だ。いつからこんなになってしまったのか、反省する気もないが、将来についてなげやりなのは確かだった。人が考えるように世の中や渡世を考えるのが嫌なのかもしれない。高校を卒業するとき、進学でもなく就職でもなく、ぼんやりとしているうちに或る商事会社の求人票が教師から手渡された。履歴書の書き方を指導してもらっただけで、その会社を訪ねた。その会社に入ってからも、三年ばかりして辞めてしまってからも、当面の生活ができればいいやという考え方で職を変えてきたのだ。まるで野良猫だ。なにかに縛られるのが嫌いなひねくれ者にすぎぬかもしれない。いや、たとえこちらがしっかり仕事をしようと思ったとて、雇い主が大曲泰蔵氏のような男であったら、ただ翻弄されるだけだ。おおかたは給料の大半を未払いにされたままほうりだされてしまう。大曲泰蔵氏が姿をくらますのも時間の問題のような気がした。

眠りかけていたとき、二階の住人が帰ってきたらしく鉄の外階段に複数の足音が響いて、家屋がすこし揺れた。頭の上でドアの鍵がガチャガチャいって開けられている。酔っているような話し声がした。ひとりは女のようで、二人の男のうちのひとりが連れてき帰ってきたらしい。階段にヒールがひっかかって小さな悲鳴をあげていた。

頭の上で足音が動いていくのがわかる。女のほうは靴をぬぐのに手間取っているようすだ。

寝返りをうって、眼をつぶった。すうっと眠りに引きこまれていく。二階でテレビをつけたらしく歌謡曲が聞こえてきた。今日はなに曜日だったか、もう考えられなかった。

しばらく、うとうとして、すこしだけ浅い眠りの淵から浮き上がる瞬間があった。頭の上からなにかの震動がミシミシと伝わってきた。人の声は聞こえなかったが、そのミシミシ、ミシミシという振動はいつまでもつづいていた。

暑くて眼を覚ますと、朝の七時だった。まだ寝ていたかったが、湿気をふくんだねばりつくような暑さでは寝てもいられない。思い切って起き上がって顔を洗ってしまえばそれまでのこと。早めに家を出て、寄り道しながら本郷に出社していくのも悪くない。途中で餡パンと牛乳の定番の朝飯でもかまいはしなかった。

それにしても、まだ早かったので湯を沸かしてインスタントコーヒーでも淹れることにした。薬罐を火にかけ、新聞をとろうとドアをあけた。朝刊だけはとっているが、来月からやめにするかと思う。郵便受けに突っ込んである部厚な朝刊をひきぬき、一面を見て月が変わっているのに気がついた。今日から六月だった。

新聞をやめようとおもうのはほかにも理由があった。新聞がときどき盗まれるからだ。一週のうちに二度三度と配達もれがつづいたので、販売店に電話を入れると、まちがいなく配達しているという。この地域は、バイトさんではなくて、販売店の主人がまわっているから確かだ。おたくのアパートは神尾さんだけだからまちがいありません、と。それでも、気の毒だから取りにきてくれれば、残っている朝刊はいくらもあるからさしあげますよと親切なのか、いまひとついきとどかない応対をされた。

確かに新聞をヌイていくやつがいるような気がしてはいたのだ。朝まだ眠っているドアのむこうを奥のほうから出かけていく気配がして、通路の出口のあたりでカタンと音がすることがあったからだ。出勤がてら、人のうちの新聞をぬいていくのだ。もちろん、みつけて文句をいってやろうと思っていたが、現行犯でないとハナシにならない。朝はやいだけに、いつもとりにがして悔しい思いがつづいていた。新聞をゆっくり読もうと思う朝にかぎって、ちゃっかりヌカれているのも癪のタネだった。

新聞を開いたまま、部屋にもどろうとすると、奥の部屋から出かけていく赤いスカートの女とすれちがった。眼があったが、挨拶でもない。池袋のデパートにでも勤めていそうな女だった。ちゃんと顔を見たのははじめてだった。振り返って見送っていると、女はおもて通りに出るときになって、チラリとこちらに視線をなげた。

湯をかけていたのを思い出して部屋にひきかえすと、果しておおかたの湯は蒸発してしまっていた。部屋の中にやたらと湿気をふやしただけのようだった。インスタントコーヒーにしたって、しばらく飲んでいなかったので、半分ほどが湿気て固まっていた。スプーンでほじくって、なんとかカップに粉をかきだしたが、コーヒーの香りもしない苦い液体に変わっただけだった。それでも、インスタントのコーヒーを湯でといたほうがコーヒーらしい気がして好きだった。子どものときから、コーヒーというのは粉をとかして牛乳と砂糖をいれてかきまぜて飲むものだったからだ。貧乏くさいが、やはりソーセージだって、魚肉ソーセージのほうが性にあっていて、空腹になるとむしょうに食べたくなる。

苦いコーヒーを一口ふくんで、ふとつぶやいた。朝刊をヌイていくのはあの女だな。

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