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燻製ニシン 5

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さて、話をつづけよう。
ルードルフ・ヘスとの交信を複数回つづけてあとで、どうやらこちらが、無駄口は多いがそんなにイカレていないと判断したらしく、百年先のテクノロジーを教えはじめた。教えたところで、実際に活用できまいと、こっちの能力を見切っているようですこし癪にさわったが。
 つまりは、相手がネット通信衛星を地球に周回させているくらいのテクノロジー・レベルがあれば、過去次元にいるその相手とコンタクトをとるのはそう難しくないというのだ。いわゆるワームホール・スキップで、一定時間過去の座標に通信をつなげるのだ。やりかたは、ぼくがひっかかったオタクなホームページをトラップに使い、相手が連絡してくるのをまつというわけだ。自分からコンタクトしていくことはしない。釣り糸をたらして魚を待つ要領だ。
 魚がかかってきたら、ぼくがやったのとおなじ程度の力くらべをして、相手の知能の程度を吟味する。DSMのゲートを突破してくることが第一条件というわけだ。たいていは、あのサルバトール・サルが失格したように、二度とサイトに入れてはもらえない。いずれにしても、そんなヒマと知能をもったやつは、そうザラにいやしないってことだ。そのうえで、そのコンタクトが時間矢に影響しないかどうかの吟味もしてみる。ただし、その吟味の段階で、ルードルフ・ヘス閣下の上手の手から水がもれたわけだ。相手が予想外の天才だったのだ。それがつまり、アステロイド・テロリストになるクレイジィ・ボーイだったわけだ。
 仮にクレージイ・ボーイのことを略してCBと呼ぼう。そのCBときたら、パズルを難なく解いてコンタクトしてきたうえに、DSMのバックドアまでこじあけて、サイトがトラップであることまで見破ってしまった。そのうえで、とんでもないゲームをしかけてきたのだという。以下は、ぼくがその経緯を聞いた時の次元チャットからの引用だ。
「いったい、どんなゲームなので?」
「ゲームというより、脅迫に近かったね。そのゲームに敗れたら、わたしのいる未来が消滅するだろうという数学ゲームだ」
「おだやかでないね」
「ひとつ聞いていいかな?」
「ひとつでもふたつでもいいですよ」
「ぶしつけな質問だが、きみは若い頃、自殺したいと思ったことはないかね?」
 いきなり人生の微妙な問題に切り込んできた。
「本気だったかどうかは忘れましたが、何度か」
「その理由はなんだか覚えているかね?」
「たぶん、学校でうまくやっていけないと思ったときと、それ以前には、ごく小さい時にいつかは死んでしまうのに、なんでくだらないことばかり我慢してやらなきゃなんないのだと真剣に悩んだことがあったな」
「おもに自分と世の中のあいだの葛藤が理由だね」
「もっというと宿命とね」
「何歳くらいのときかね」
 あんたカウンセラーかよと思ったが、それはいわなかった。
「十二歳だったな。ひどく真面目に考えこんでしまったな」
「ふむ。それで。どうして自殺にいたらなかったのかね」
「いままで思い出しもしなかったけれど、たぶん面白くて熱中できるものがみつかったからだろうな」
「それが数学だったというわけだね」
「そう単純なものでもないけど」
「そのとおり単純ではない。だが、たいていの自殺願望は、葛藤が解決されれば解消されるものではないのかね? たとえば、失恋で死ぬ人間もいるわけだが、恋人がもどってきたらどうかね。苦痛が解消すれば、もう死にたくはないんじゃないか。破産してしまった男が、自殺しようとしているときに、大金が転がりこんできたとしたら、やはり死ぬかね」
「いったいなにが言いたいの?」
「つまり、こういうケースもあるかとね。強烈に、死にたいと思いつめている者が、あるときふと、自分だけが消滅するのではなく、まわりの世界をも消滅させてやりたいというふう考えてしまうことはあるだろうか」
「自爆と同時に世界もまきこんてしまえということ?」
「そうなると大規模な自爆テロだね」
「そんな衝動があったとしても、実現不可能でしょう? それに、自分にとっては、ひとりで死ねば世界も終わりじゃないですか」
「ふつうはそう思うな。ところが、そう思わない自暴自棄な考えにこりかたまってしまうことがあるかもしれない」
「つまり、それがCB、第三の数学者だというわけ?」
「ほんとうは、もうすこし複雑の思考回路があったのだろうね。それに、世界を壊してしまうというより、リフォーミングしたいという願望が強いようだ」
つまり、これでこのあいだの話とつながったわけか。さっきの自殺願望はなんの関係があったのだ?青年期に陥りやすい錯乱状態の例か?
 地球環境をリセットして、全人類も消滅させて、あらたに別の文明を構築する。そんな荒唐無稽なことを考えるのは、やはり錯乱したガキか、クレイジーな野郎にちがいない。あるいは神か・・・・。
「その十九歳の数学の天才児が作成したアステロイド攻撃の計算式を検討してみてほしい。ことわっておくが、そのアステロイドは正確にいうともうすぐに小惑星帯から動きだすのだ」
「もうすぐって、こちらの時間流のなかではないよね?」
「それはそうだ。ともかく、複雑な迂回をしながら、最終的に地球に衝突するコースに突入するように計算ができている。一見、はるか遠方を通過するとみせながら、地球の衛星の陰にかくれて突然至近距離の衝突コースに侵入してくるのだ」
「そんなことって・・・」
「可能かどうか、まずはこれから送る計算式を調べてみたまえ」
 ルードルフ・ヘスが送ってきたデータをもとに、3D星図上に小さな点が移動していくコースを再現してみる。小惑星帯から移動し始めた小天体はまず巨大な惑星にむかっていく。木星だ。惑星の重力によって加速しながら、その重力にひきこまれないようなスレスレのコースをとっていく。惑星の周囲を四分の一ほどまわって離脱する。方角は次の惑星だ。こんどの惑星はコース変更に利用するからさほど大きくない。三十度ほどターンする。小天体は大昔、アーケイドゲームとして流行っていたピンボールの玉みたいにあちこちではじかれていく。はじめは惑星系の外にむかっているように見えたが、そのうちベクトルが内側にむいてきた。天体がないところでもベクトルや速度の変化は起こっている。おそらく未発見のワームホールか、ブラックホールみたいな重力場があるのだ。太陽系自体が銀河系内で移動しているのだから、常にあたらしい重力場とでくわす可能性がある。
 時間をはやめてその小天体の移動コースを予想してみる。太陽の裏側にはいっていた地球が小天体の飛んでくるコースにむかって公転してきた。だが、そのままだと、公転軌道面とわずかな角度で交差するだけで、小天体のコースとはまじわらないことになる。小天体のほうの速度がはやすぎるのだ。これは、ルードルフ・ヘスのいっていたニアミス事件のもとになった隕石のシミュレーションなのだろうか。小天体、いや、地球からは巨大隕石とよんでもさしつかえない物体は、八分の一天文単位の距離で、地球の前方を横ぎっていくことになる。
 そのときだ。隕石は考えられないふるまいを見せた。ジャンプしたのだ。なにもない空間で、スキップしながらに斜めにピョンとコースを変えて、あっというまに地球に衝突していった。命中! もちろん、シミュレーション画面上でのことだ。
「見たかね?」
「見ましたとも。でも、あの最後のジャンプはなんです。なんかズルしたみたいだな。なにかにぶつかったせいなのかな」
「通常の計算なら予想していたとおり、隕石は地球をかすめて通りすぎるはずだところが、そうならないプログラムになっている」
「なにか裏ワザを使ったのかな」
「確かに使っている」
「どんな?」
「あの付近に潜んでいる異常な重力場をジャンプ・ボードとして使おうとしてるのだ」
「ちっこいワームホールでもあるっていうの」
「そのとおりだ」
「でも、こちらの技術では、そんな小さな空間のアナボコを細かくスキャニングできないはずだよなあ」
「できないな。このわたしでも、惑星系の重力偏差をマッピングできるようになったのは数年ほどまえだからね」
「それまでは、内惑星の近辺ぐらいはイケてたってわけ?」
「そのとおりだが」
 ちょっとひらめくものがあった。もしかして・・・・。
「すこし質問していい?」
「ああ、予想される質問だがね。だから、わざわざたずねなくてもいい。わたしは、その狂った青年数学者とコンタクトをとりはじめ、断続的に交信をつづけていた」
「ぼくとおなじような方法でね」
「そうだ」
「もしかして、その野郎が、あんたのデータをフィッシングしたと?」
「迂闊だった。相手はおどろくほどすばやくこちらにハッキングしてきたのだ。わたしの時代でも最高度のセキュリティをはっていたのにね。最後のパスワードだって金輪際わからないものにしておいたのに」
「また、数式に解読文字列を入力するやつ? 」
「ちがうな」
 じゃあどんな? と言おうとしてやめておいた。そいつはヘス閣下にしてみれば秘中の秘のはずだ。いわば、パンツをおろせ! ていってるようなもんだ。下品きわまりない。
「悪いが想像にとどめておいてくれないか。そして、その想像の数倍うえをいくセキュリティコードだとだけ言っておくよ」
「でも、こじあけられちまったわけか」
「そうだ、そのために彼の知識は百年以上も進んでしまったのだ」
 つまりそこでひとつの時間の分岐点が生じたということなのだろう。そしてまた、彼がぼくとコンタクトをとったことで、もうひとつ別の時間の流れが生まれているわけだ。そうなると、何本ものコードが絡み合って別々の方向へ電流がながれていくみたいで、どの流れに意識をあわせていいのかわからなくなってくる。
 しかし、自称ルードルフ・ヘスなんてふざけたハンドルネームの未来の数学者は、そのあとでもっと驚くべき告白をしてきたのだ。

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「ところで、わたしはきみのことを実はよく知っているのだ。いままで隠していたが、どうやら、きみは、わたしがさがしていた人物のようだ。おたがい、素姓を明かさぬままに対話をつづけてきたが、ここまできて、どうやら本人にまちがいないと確信した」
 なにを言いだすやら、はじめはてんでわからなかった。

 ルードルフ・ヘスはひとつひとつ言葉を選ぶように話し始めた。この言葉の運びはどこかで経験したような気もしたのだが。思い出せないままに、相手の話に耳を傾けることにした。
「十九歳の天才数学者とぬきさしならないチェスゲームを始めてしまったあとで、わたしは自分一人で時間遷移を実行することにした。非常に危険で、もとの時間座標に戻れるか確信が持てない遷移をね」
「その天才野郎の首を締めにでもいくつもりだったので?」
「おだやかじゃないな、その発想は」
「でも、そいつが、理論構築とかシミュレーションだけでなく、まえに話し合った隕石テロを実行に移そうとしているとしたら、可及的速やかにそいつをやめさせにいかなくちゃいけないでしょうが」
「もっともだが、そのときすでに手遅れだったのだよ」
「というと?」
「気がついたときには、アステロイド帯にある一小惑星がすでに彼によって動かされようとてしてるのだから」
「嘘でしょ!」
「嘘をつく理由があるかね」
「それが実行されたら、あんたのいる未来も消滅するってことですかね」
「いや、論理的にそうではないよ。われわれはすでに存在している。時間流Aのなかにいるわけだ。変更が加えられるとすれば、地球に小天体が激突するのは、時間流Bのなかでのことだ」
「その野郎いる時間矢のなかでおきるだけということ?」
「そうだな。地球人類がほとんど絶滅する宇宙史がはじまる。つまり、危機がせまっているのは、わたしと最初にコンタクトした男がいる分岐世界だ」
「あちらさんは、もう手遅れなんだ。修復不可能なの?」
「いちおう、修復は試みたよ。不完全だったが」
「どうやって?」
「とりあえず、時間流の分岐点まえの世界へとんだ」
ルードルフ・ヘスはどうやって時間流を下ってきたというのだろう。あえてタイムトラベルなんて、手垢のついたSF用語は使わないが。想像するに、ワームホール・ヴィークルでも開発したのじゃなかろうか。長距離を飛行しなくてもワームホールをぬけて、べつの時間に存在する地球のポジションに出現できるやつを。もちろん、手近にワームホールがあって、正しい計算ができたとしての話だ。おそろしく重力の影響をうけるはずだから、さぞかし頑丈でゴツイカプセルか、または球状ヴィークルになるはずだが。
「まあ、聞いて欲しい。順序立てて説明したい。きみがティーンエージャーだった頃、すでに小惑星帯にステーションがいくつか建設されていたのは知っているだろう。主として資源調査と観測基地としてね。この事件は、その資源アステロイドと関係があるのだ」
「レア金属コングリマットがいくつか民間ステーションを作りましたね。ぼくの父親もそのエンジニアリング部門の技師ですよ。まさか自分まで、そのひとつに住むとは思わなかったけれど」
「今のステーションに来るまえはずっと大学にいたのだろう?」
「そうですよ。実に長い学生生活を送りましたよ。ドクター論文を書き終えたら二十七歳になっていたってわけでね。就職もままならなくなって、父親をたよって、このステーションにもぐりこんだってわけです。ここでも正規職員にはなれませんでしたが」
 いつのまにか、自分の言葉遣いがすこしだけ丁寧になっていた。相手が知り合いだなんていうものだから。でも、なんでぼくの個人史が関係あるんだ? 
「何を考えている。わたしの言葉を信じているなら、わたしが時間流の中を往復できたという事実を前提にしないと話は進まんよ」
「テクノロジーに関しての空想をしてただけですよ。それと僕とどう関係があるのかもね」
「だいたいきみの想像は当たっていると思うよ。もっと精密で、もっと高度なテクノロジーがこちらにはあるがね。それにきみは、最重要なキイマンなんだよ」
 やな感じだ。こちらの考えをすべてオミトオシてわけか。ぼくがキイマンだって?いよいよわけがわからなくなってきた。
「テクノロジーのことはいずれは知ることになるだろうが、いまはそのことより、話はわたしの時間遷移のことだったね」
「そうでした」と、また敬語がでてしまう。
「ところで、きみが十九歳のとき、大学でひとりの教師と出会ったはずだ」
「何人もの教師と出会ってますよ。誰ひとりぼくの就職の心配はしてくれませんでしたが」
「ひとり変わった教授がいたはずだ。インド出身で、シーク教徒の。そう、チャンドラシェーカル・ヴェンカタ・ラーマン・ジュニアという名前だな。彼の祖父は有名な物理学者だ。きみの先生は、その孫だな。短い間だったが、ハイデルベルク大学でも教鞭をとっている」
「そこまでは知らなかったな」
「だが、事実関係だけをいうと、チャンドラシェーカル・ヴェンカタ・ラーマン・ジュニアは、ドイツに赴任してはいないんだ」
「えっ、でも一年近く大学で教えてましたよ。ぼくも講座をひとつとりました。受講者が二人だけで、そのうちもうひとりのやつが出席しなくなって、最後は個人授業みたいになっちゃいましたが」
「その教授は本物のチャンドラシェーカル氏じゃなかったのだよ」
「そんな・・・」
「では聞こう、きみの先生だったインド人の教授は、講義のはじめと終わりにメディタシオンをするようにと言っていなかったかね」
「数式を解く前にもしろと言ってましたよ」
「それから、右の耳たぶをひっぱるクセがあったね」
「なんで知ってるの?」
「インド人にしてはRの発音が巻き舌にならずスムーズだったよね」
「そのとおりですよ。でも、なんで知ってるの?」
「もう気がついてるくせに、わざとわからないふりをして教師をからかうクセは治ってないようだね」
 結論のひきのばしをしていただけだった。まさか、ルードルフ・ヘス閣下が十年前のぼくに会いに来ていたとは、うけいれるのに時間がかかる話だ。
「これまでのやりとりを考えると、なんでまた、そんな手の込んだことをしていたのかわかりませんね」
「DSMにコンタクトしてきた者が、きみ本人かどうか確かめねばならなかったのだ。ほかの誰でもない、きみ本人でなくてはならなかったからね」
 そこですこし間をおいている。
「いいかね。われわれが、話してきたそのクレイジーな若き数学者が暴走をはじめたとき、わたしは、その男とコンタクトをとりはじめる以前の彼にあらためて直接会いに行こうと決めたのだ」
 しばらく口がきけなかった。するとなにかい? あのCBって野郎はぼくのことだったてわけか? ぼくが全人類を滅ぼそうとするテロリストになっちまったってわけか? 嘘だ! 悪い冗談だ。惑星にかけて、そんなおそろしいことを考えたことなんかない! そうだったとすれば、ルードルフ・ヘスのやつ、はじめからぼくが網にかかってくるのを待っていたわけか。メンドクサイ数学ゲームのやりとりも、ぼくが本物かどうかためしていたってことになる。
「落ち着いて聞くのだ。そこにいるきみは、われわれが問題にしているテロリストじゃないんだ。きみが十九歳からこれまで生きているあいだに変化が起こった。もちろん、そのきっかけを作ったのはわたしだ。わたしと最初にコンタクトしたもう一人の《きみ》のほうが、そうなっているのだ。彼になにがあったのかは、詳しくは知らないがね」
 あんたが余計な入れ知恵をしたからでしょ、と言いたかったがだまっていた。
「ちょっと待って! いまノートに関係図表を書いてみるから」
「理解の助けになることならなんでも助言するよ」
 助言するっていったって、他人の人生を変えた男のいうことだ。いまさらなんだよって感じだった。チャンドラシェーカル・ヴェンカタ・ラーマン・ジュニア(ああ、なんて長い名前なんだろう)に化けた未来のルードルフ・ヘス閣下が、十九歳のぼくに会った時点から、時間流がAとBという平行世界が始まったとする。Aの世界は、「まともなぼく」の世界だから隕石テロの危険は去っている。Bの世界では、すでに小惑星帯からアステロイドがひとつ複雑なコースをとりながら地球にむかって動きだそうとしている。
ルードルフ・ヘス閣下の未来とぼくのいる現在は同じ時間流の矢のうえにある。すくなくとも、ルードルフ・ヘス閣下の目的の半分は達成されたことになる。問題は、もうひとつの並行宇宙で進行している事件をなんとかしないとならない。なぜって、てめえのいる世界が安泰だからって、次元を異にした世界が滅んでいいわけがないじゃないか。そこまでは了解した。
「問題のありかがわかった気がしますよ」
 そうルードルフ・ヘスに答えた。
「別の時間矢の上で起こりそうな隕石衝突をどう阻止するっていうの? その並行宇宙の大惨事は起きてしまっているかもしれない」
「いやむこうの世界ではまだ可能性がある。並行世界といってもまだ分岐したばかりだし、こちらの世界と大きな変化は起こってないはずだ。手のうちようはあるはずだ。その世界の未来は変わる」
「それで、もうひとりのぼくが計画した隕石の地球到達時間はいったいいつなんです?」
「さきほど開示したシミュレーションのバグを除いたり、実際に小惑星を動かすほどのエネルギーをどうするかのテクノロジーを彼が発見して、実行に移すはずだ。コンタクトから七年後に隕石を動かし、そして、その隕石が地球の大気圏に突入するまでの長いスウィングバイ・ツァーを経て三年と見ている」
「三年もかかるので?」
「直線コースではないからね。あくまでも諸天体の重力を利用しての航法だ。それに、道中アヤシイ天体だと見破れないような迂回コースをとるだろうし」
「でも、並行宇宙の現象をどうやって阻止するんです」
「そうだ、ワームホールを使っても、べつの時間矢にまでダイレクトに到達するテクノロジーはまだないんだ。ナビゲーションに使う数式が完成していない。おそろしく複雑でね」
「じゃあ、ほっときます?」
「そうはいかんよ」
 ルードルフ・ヘスは、そこだけはきっぱりといってきた。
「ひとつ方法がある」
「どんな?」
「もう一度、時間流の分岐点近くにいって、わたしチャンドラシェーカル・ヴェンカタ・ラーマン・ジュニアに会わなかったテロリストの《きみ》の時間流に飛び乗ることができれば、おなじ時間の矢のなかだから移動できると思うし、その世界で地球にせまりくる隕石をインターセプトできる可能性がある」
「で、ぼくになにを?」
「きみは《もうひとりの自分》の考えることをいちばんよく予想できる人間だろう」
「確かに」
「わたしの数理パズルも一発で解けたくらいだ」
 はじめはなにを言いだしたのかわからなかった。でも、すぐにもうひとつの疑念というか、推測がわいてきた。ムクムク、ゾワゾワとしてきた。ひょっとして・・・・。
 ぼくは、毎晩のように見ていたあの悪夢を思いだしていた。

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