燻製ニシン 5
8
世界には善もなければ悪もない。
ただあるのは強さの原理のみ。
捕食され、滅ぼされるのを恨むなかれ。
ただ汝が弱かっただけ。
強き者はただ孤独に歩む。
こんなメール・メッセージが、突然飛びこんできた。言語は昔懐かしいゲルマン語だ。なんの挨拶だか。思い当たることといえば、例の《太陽系伝説》サイトをくまなく調べ上げて、ちょっとあきれて引き返してきたことくらいだった。別に足跡を残してきたわけじゃなかったが、どうやら訪問者を追跡するトラップがどこかにしかけてあったようだ。通常の痕跡は消してきたはずなのに、サイトの管理者は、同好の士が訪ねてきたらしいとふんで、チャレンジしてきたようだった。まあ、厄介なウィルスなんかを送り込んでくるほど幼稚な相手でなくてよかった。最後の「孤独に歩む」てのは、ほっといてくれ、俺にかまうなって意味なんだろうか?なら、あんな大層なサイトを作っているわけなかろう。おそかれはやかれ、ヒマでイカレたマニアの誰かが、つまりサルバトール・サルみたいな連中がのぞきにくるのはわかりきっている。悪の帝国とか、秘密基地とかがいまだに好きな連中だ。太陽系内がほとんど探査もすすみ、クリアーに監視できるようになってこのかた、異星人の偵察ヴィークル一隻だって星系内では探知されていないし、人類はいよいよ「孤独」に歩むしかないんじゃないかって説がもっぱらだ。してみると、送信者は人類の代弁をしてるだけなのか?
もしやと思って、もういちど《太陽系伝説》のサイトを訪ねてみることにした。ちょっと予感がしたのだ。案の定、予感は適中していた。
サイトが閉鎖されていたんだ。正確にいうと、送られてきたメッセージと同じ文句が貼り付けてあって、その下に古めかしい鍵穴マークがひとつだけついていた。入りたかったら、ここを開けてみろ!て、わけだね。簡単なパズルだと気がついた。メッセージに反応して、もう一度訪ねて来た者の力量をはかろうってわけじゃないかな。そういえば、サルのやつ、二度目からサイトに入れなくなったとかこぼしていたっけ。自分のコキタナイ端末のせいじゃないのかとからかってやったけど、どうやらサルの知性では、ロックを解くことができなかったらしい。いや、それがロックであることすら気がつかないのじゃないのだろうか。謎解きをしてまでもう一度入りたいようなサイトじゃないけれど。もったいつけやがって。こういうハナモチならないマニアがネットのあちこちに巣食っている。つまり、遊び相手を求めてるわけだ。
それでも当該サイトの管理者がどうやら数学マニアらしいとふんで、すこし遊んでやろうかと思ったわけだ。たぶん、キイワードをみつければ、サイトの奥の院に入れてもらえるとみた。それで、おくられてきた安っぽい詩の文句を、あらゆる言語に翻訳し直してみた。翻訳してみてわかったのは、英語をはじめインド・ヨーロッパ語族の言語だと、アルファベットの配列がほぼ同じだということ。もともと、このサイトはゲルマンのクレイジーな結社の帝国を扱っているのだから、この言語をベースにしてみたらいい。アルファベットをすべて順番に数字に置き換える。小学生の暗号か? でも、こいつは第一段階のドアだから、この程度なんじゃないかとふんで、まずはその数列を全部サイトのロックのところに逆流させてみた。すると、どうだ!ロックははずれなかったが、別の応答が返ってきた。ゲルマン語で「残念です!」て。ためしに滅茶苦茶の数字を流し込むと、うんともすんとも言ってこない。つまり、相手にするレベルじゃないってわけだ。ほう、そうかねって、こっちもすこし意地になってきた。
今度は詩自体の意味について考えてみる。最後の「強き者は孤独に歩む」がどうみてもヒントだろうと推理した。世界で、強き者、孤独に歩むほど強き者とはなんだ? あとで考えると不思議だったが、ぼくには、相手の心理がスラスラ読めたのだ。もちろん、頭の中に数式がギッチリつまった自分の特性を考慮した上で、それにとらわれずに、みょうにカンが働いたのだ。世界じゃない、宇宙だ。宇宙で絶対孤独者とは、絶対的速度で進む光しかいない。誰ひとり追いつけるものがない光は、孤独に歩まざるをえない。とすれば、それがヒントだ。相手は光に関する数式に、もとめられた値をぶちこんで、えられた数字を要求しているにすぎないのじゃないか。詩の文句から得られた数字は膨大な質量をあらわすのではないか。だとすれば、アインシュタイン方程式のこのあたりがあやしいんじゃいかな、とあたりをつけた。
※数式略
この数式の質量値に、ぼくがひねりだした巨大な数字を流し込むと、得られる数字は時空がどのように曲がっているかを表す曲率だ。そうだ、この曲がり具合がカギの凸凹にあたるんじゃないのか。
計算機にその膨大な数値を計算させてすこしばかりてまどったけれど、どうやら、こいつは同業者の遊びのような気がしてきたものだ。学生の頃、やたらむずかしい数式に、一定の数値を打ち込んで得られる数字を答えにしたパズルごっこをしていたことがある。数式の種類をつきとめるのが醍醐味で、計算はもう結果だから重要ではなかった。
十五分かけて、自作のポジトロニクスが「曲率」の数値をだしてきた頃には、ぼくはもう次のドアのことを考えていた。つまり入口のドアは開けてもらえるだろうが、きっと第二のドアも用意されていて、これからいくつものロックはずしをさせられるんじゃないかとね。つまり、次々に試験をさせられるようなものだ。そして、管理者が考えた究極のパズルを解いてはじめて、奥の院に招かれるんじゃないかと。
「やってられないぜ。ぼくはゲーマーじゃない。真面目な数学者なんだぜ」
そう呟きながら、鍵穴を一度クリックすると、またブランクの入力ボックスが現れた。キイを入れてください、ときた。ほらよって、出来たての「曲率」の数値を打ち込んでやった。
すると、やはりエントランスらしい画面が開いて、「ココデシバラクオマチクダサイ」「主人二メッセージガアルトキハ、下ノボックスにドウゾ」と、ふたつの挨拶文が掲示されていた。そんなところで、バカ面してノンビリ待ちぼうけを食っているようなタマじゃないんだ。歯医者の待合室じゃないんだぜ。
それから、ぼくがやったことは、そのメッセージ・ボックスに、ある種の数式パズルを打ち込むことだった。簡単にいうと、小規模のブラックホールから脱出するために必要な質量と速度を求めよ! て、問いだ。もちろん、ブラックホールをシミュレーション構築できる数値は与えてやった。やっこさん、怒るだろうな。こっちもプロだってことを宣言したようなもんだからね。しかも、そう難解ではないカレッジの入学試験レベルの問題だ。まあ、こいつができなきゃ、ぼくも、相手にする気はないってわけだけど。そうしておいて、さっさとひきあげてしまった。
それからきっかり五分後に、ぼくのメッセージ・ボックスにDSM(ダークサイド・オブ・ムーン)からの返信が来た。こっちの問題に正確な答をだしてきたうえに、「ワタシハ、貴兄ノ家庭教師デハナイ」て、ジョークまでついていた。なかなか冷静な対応だ。きっと感情のコントロールができるレナード・ニモイみたいな男かもしれない。レナード・ニモイを知ってるかなあ。古典的SF『スタート・レック』のミスター・スポックのことだよ。いまだに、旧世代ライブラリーの映像資料として人気があるんだからね。そういえば、エイリアンがこのての地球のSFをドキュメンタリーだと真に受けて、それに似せたスターシップを建造したってパロディ・フィルムもあっけど、それはいま関係ないね。
で、メッセージの末尾に、ガウス積分の関数式を貼り付けてきやがった。どういう意味だ? また、なにかのパズルのつもりか。それとも、こいつで表される左右対称グラフで、俺たち似たものどうしだぜっていいたいのか?どうやら、気分を数式で表すクセでもあるみたいだった。
これにはこだわらないほうがいいだろう。署名かもしれない。ガウスってハンドルネームなのかもしれないじゃないか。そこで、すぐさま「ミスター・ガウス、つまらない算数遊びはやめて、きみのすばらしいテロリズムのことを話してくれないかな」て、返信してやった。挑発的だ。
すぐにまた返信がかえってきた。こんどは暗号ではなくて平文だ。
「アト二十六時間マタレヨ。コチラノ通信衛星ガ恒星ト食ヲ起コス。通信障害トナルユエ」
これは、自分の位置情報を知らせるようなものだ。その時点で、通信サテライトが恒星、つまり太陽と食を起こすというなら、そのサテライトはひとつしかない。そこを経由して発信している一番近いステーションもしくはアステロイド基地が発信元だろう。ただし、ミスター・ガウスの偽装ということも考えられる。いくつかの通信衛星を迂回していることだってありえる。まあ、それほど自分の位置情報を隠したがるとすれば、それだけ後ろめたいことを企てている証拠でもあるが。ひょっとして、以前にぼくのハッキング・バスターの餌食になったことに気づいている相手かもしれない。それとも、二十六時間の時間稼ぎをして、こちらの素性を調べあげようとしているのか。腕くらべでもしようっていうのか?そんなヒマも興味もないのだけれど、こちらがサイトの暗号キイを解読してしまったてまえ、こちらのポジトロニクスをのぞき見されないように防壁をはってから、このことは二十六時間忘れていようと考えた。そのあいだに、ガス・ステーションのアルバイトのローテーションがまわってくるわけだし、睡眠もきっちり六時間とりたいじゃないか。
「了解シマシタ。デハ、通信障害ノアトデ」
わりと丁寧にレスしてやった。こちらが礼儀を知っていることもしめしておかないとね。まあ、さきほどいったように、発信元らしいステーションはつきとめておいた。その確率は五十パーセントくらいかな。相手がほんとうにテロリストだったら、そう簡単に居所はわかりはしないし、そうでなくてもどこに住んでいようとこの際重要なことじゃないからね。でも、この判断が、後々甘かったことを思い知らされるのだけれど。とにかく、相手の現在地はアステロイド102番で、現在開発中の資源小天体だということ。あそこには、技術系労働者が山ほどいるけれど、そのなかにDSMみたいなオタク・サイトの構築に熱心なエンジニアがひとりくらいいるかもしれない。
コスモネットを遮断して、そろそろ飯を食うことにした。どんな時代でも飯は食うんだよな。どんな飯を食うかって? 興味あるのかな。あったとしても話すつもりはないよ。本筋じゃないからね。本筋というのは、イカレてるアステロイド野郎がその後どんな通信をしてきたかということさ。それで、きっかり二十六時間後に、またもみょうちきりんな通信をしてきたんだよな。つまりこんな文面だ。
「きみの技量は十分承知した。このわたしが、数度にわたる通信を試みる価値がありそうなほどに。きみの時代にしては、かなりの技量と判定した。それで、わたしに何の用事があるのだろうか。鍵のかかった正面ゲートを通過して、わざわざ訪問してきたからには、わたしにかなりの興味があるのだろう。わたしのサイトはたいして面白くない不確かな伝説のコレクションにすぎない。もちろんこれは、ダミー・サイトであるけれどね。興味本位の低脳なヤカラは二度とゲートインできぬように細工をしてあったことからもわかったろうが、これはつまり一種のトラップだよ。いや、資格審査といったほうがいいかもしれない。わたしは、わたしの知性にみあった者とだけ意見を交換したいと考えている」
と、まあ、なんて高飛車で鼻持ちならない言い草なんだな。つまりバカは相手にしたくないって宣言しているわけだ。上等じゃないか。高飛車で鼻持ちならないことにかけては、こちとらだって星系で一二を争うんだからね。そのおかげで、高等教育機関での就職にもアブレているし、友だちだっていやしない。まあ、高度な数学をやりすぎた副作用といえなくもないけれど、こういう同類と遭遇するのはあまり気持ちよくはないな。鏡に映った自分のマヌケ面を見せられるようなものだからね。
それにしても、「きみの時代にしては」ときた。いったいどの次元からものを言っているのやら。ひょっとして、現在時に身をおく人間じゃないのか? 未来からの通信てわけか? それとも過去か? 時代という表現を使っている以上、同じ時間の矢の線上にはいるってことだよな。それで、もしやと思って、相手の座標、つまり現在の位置情報をもう一度あらいなおしてみることにしたんだ。恒星食にはいるアステロイドを特定したってあれだ。計算によれば、おなじような食がおこる可能性は、近いところで五十年前と、現在と、もうひとつ今から百三十年後の三回はあることがわかった。もちろん、この先数百年分ものデータはでるだろうけれど、ダミー・サイトのテーマを考えてみれば、はるか未来なわけでもなさそうだし、そんな先の「天才」が、ぼくみたいな未開人の相手なんかするわけがない。
こいつは、まだ実験したことはないのだけれど、近隣に存在するワームホールをみつけだして、その空間の穴ぼこにむかって光通信をぶちこんで、こちらの信号をワームホールの向こう側の次元に送ることだって不可能じゃなさそうなんだな。それには、通信波をワームホールの重力につかまらないような反重力の波に乗せなきゃならない。ワームホールを通過するっていったって、単なる洞窟をくぐるとはわけがちがうんだから。
もちろん、それができたとして、こちらが勝手にそんなことをしたって通信はつながらないだろう。たとえば、DSMの主人が、こちらの次元にむかって通信を投げて、どこかの通信サテライトに接続しなくては、こっちはDSMサイトにたどりつけるはずがない。残念ながら、こっちはワームホールのかなたの通信ステーションを探し出せるほどの技量はまだないのだから。ワームホールごしに、ちがう時間の流れに通信を接続するなんて、さすがにこの時代でも試みられたことはない。せいぜい、昔懐かしい方法で大宇宙にむかって呼びかけるという、いわば大海に石ころを投げ込むようなマネくらいだ。ああいうのも、なんだかもの欲しげで嫌だな。万一、とんでもないモンスターが通信を傍受して、はるばる訪ねてきちまったらどうするのかね。人間の脳ミソみたいな低カロリーな高タンパク質が大好物なエイリアンが、おやつにクルミの木を発見したみたいに喜んで採集に来ないともかぎらないじゃないか。そんなに宇宙に友だちを欲しがるまえに、人類どうしでもう少し仲良く友だちになるべきじゃないのかね。友だちのいないぼくが、こんなことをいうのもアレだけど、人類どうしの紛争はこの時代だってなくなっちゃいないのさ。個人レベルから国家レベル、民族レベルだって紛争のタネは尽きないんだ。この間なんか、月面の観測基地のエリアの境界問題で、宇宙開発後進国どうしでひと悶着あったくらいだからね。なんでも、ちっぽけなクレーターの使用権問題だったよ。そんなちゃちな紛争を月面でおっぱじめているくらいだから、月の裏側に秘密帝国なんかがあったりしたら、そりゃあもう大騒ぎだろうよ。ダークサイドだけに、ブラックジョークだぜ。だから、サルバトール・サルの野郎が、そんなマヌケな話題をふってきたときは、相手にするのも嫌だったくらいなんだ。サルがいっていた数式うんぬんが、どうやら今ぼくが熱中している天体間重力スウィングバイ航法に関係ありそうなんで興味をひかれただけだった。
スウィングバイ・・・、天体の重力を利用しての移動法だ。この恒星系内の移動に実用化されている重力航法のことなんだけど、その精度をものすごくあげて、物資のデリバリーをどれほど精密に実現させるかというのが肝になっている。これまでは、惑星探査機とか、エクスプローラ船とかが、おおよその宙域に到達するために推進材節約の目的で用いられてきたけれど、ぼくにいわせればとてもラフな航法だった。つまりは、だいたいのポジションにたどりつければメデタシメデタシのレベルでね。ピンポイントで、目標地点に着かなくちゃデリバリーの用はなさないし、アバウトなポジションでまたぞろエンジンふかして方向修正するというのが現在の一般レベルなんてなさけないじゃないか。でも、この話には深入りしないよ、あとでたっぷり話すことになるだろうしね。とにかく、いまは、その高飛車野郎がどこから通信してるか曖昧になってきたってことだ。
でも、期待したね。もしもし、ワームホールのかなたの未来のポジションからだったら、相手にとって不足はない。すくなくとも、百三十年がとこ未来の数学オタクとやりあえるんだからね。
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何回か、おたがいに数学パズルの応酬をしたあとで、おたがい無駄な遊びだって気がついた。つまり、おたがいの数学的知性がほとんど拮抗しているてことがわかったからだ。それに、両者ともどうやらガキじゃないってわかってきたからだ。そろそろまともな話をしようじゃないかという暗黙の了解が生まれたのだ。そのうえで、いま自分らがかかえている難問を率直にぶつけあう機運が生まれたというわけだ。もちろん、それぞれの個人的情報は秘匿したままだった。相手が何歳だとか、性別はどっちだとか話題にものぼらなかった。
驚いたことに、ふたりとも重力場応用搬送理論、つまりこれまで何回もいっているスウィング・バイの研究にうち込んでいたんだ。相手は目下のところ太陽系内の完璧な重力分布地図を完成させようとしていた。それができれば、地球から海王星にいたるまで、低コストの物資輸送がらくになるというんだな。ただし、スピードに関しては、どこで加速し、減速するかという複雑なプログラミングが必要だ。こいつは、旧暦二十世紀の後半にだって、そこそこ行われていて、探査機の飛行に利用されていたけれど、ぼくたちが考えているのは「完璧」なシステムなんだ。そのためには、星系内のあらゆる天体の質量と運行、天体ではない空間の歪みの測定、未発見の小さなブラックホールやワームホールの形状がどう影響しあうかという正確なデータをとる必要もあるわけだ。そのうえ、これらの重力点の群れは、常にポジションを変化させている。規則的に恒星のまわりを公転しているやつはいいとしても、やっかいなのは「ゆらぎ」の問題だし、空間の凸凹は常に変化する可能性がある。その変化を補正し、膨大なデータの処理のあとで、二点間の移動を計算できる一般式を導かねばならない。それも、この太陽系のローカルにしか通用しない特注方程式をだ。将来は、空間をスキャンして、瞬時に適正コースを計算する汎用のシステムにしなくてはならないだろう。これまで、たとえば木星に到達するために、その都度計算して作っているくらい単純なものなら、わざわざぼくみたいなオタクがいれこむようなもんじゃない。
二三回、このての話をしているうちに、どうやら相手は、ただの搬送システムの構築だけじゃなくて、ワームホールまで視野にいれて、次元や位相を越えて移動する手段を考えているらしかった。かんたんに言えばタイムマシンの方程式だ。光子ロケットとかヴィークルを使っての移動じゃなくて、小さなカプセルを別の次元に移動させたり、もどってこさせたりするやつらしい。
そこで、うすうす感じていたことに確信がもてたんだな。やっこさん、すでにデジタルの通信くらいは別次元につなげる技術は持っているし、ひょっとして小さなカプセルを遷移させるくらいのことはやってるんじゃなかろうか。
「ところで、そろそろおたがいの呼び名をつけたほうがよくはないかな」
と、ぼくは書き送った。すると、即座にチャットがはじまった。おっそろしくエネルギーをくう接続のはずだが、相手はどうやってその膨大なエネルギーを調達しているのだろう。恒星から直接ひっぱってきているのか?
「記号じゃだめか、たとえばΩとかΨとかの」
「ゾッとしないね。それじゃSFオタクでしょ」
「では、ルードルフ・ヘスでどうかね?」
ジョークなのか? ドイツ第三帝国の副総統だなんて持ち出してくるとはね。サルバトール・サルに教えられた最初のネット記事は、ほんとうにやつの趣味だったのか? ナチス・オタクなんだろうか。
「どこかに何十年も幽閉されているの?」と、返してやる。
「それに近いな。政治犯でも、犯罪者でもないけれどね。すくなくとも、数学者として追放ないしは幽閉されている」
「なにかやらかしたのですか。それとも誰かに嫉妬されたとか」
ちょっと微妙な質問だった。
「それには長いストーリーがある」
「では、けっこう」
「聞きたくはないのか?」
「こちらとしては特に。こちらにも長いストーリーがあるもんで」
「こちらにはすこしは聞く耳はある」
こいつも意外な反応だった。どうやら、相手は話し相手がほしいようだった。幽閉生活者なら当然だろうけれど。どこかの小惑星の観測所か何かに帰還の見込みなく単身赴任してるわけじゃないのか。なにかの処罰で孤島みたいな小天体に送られているのかもしれない。
でも、やっこさんのボキャブラリー・バンクは、ちょうど旧暦世代が、アキレスとかミノタウロスとかの神話的キャラをもちだしてくるような感じがする。軍事に加えて歴史マニアなのかもしれない。
「それならこちらは、ウィンストン・チャーチルとでもしようか」
「ゾッとしないな。わけは言わんが」
即座にそう返してくるくらいだから、やはり歴史マニアにちがいない。チャーチルは、ルードルフ・ヘスが、メッサー・シュミットBf110を操縦し、イギリス本土に単独飛行をしてきて、勝手な講和交渉をしに来たとき、その報告を受けても一切とりあわず、劇場に芝居を観にでかけてしまったのだ。そのエピソードを知っていて、やつは気に触ったのかもしれない。もちろん、こちらもわざとだけれど。
「あの時代の出来事に興味があるのかな?」
「趣味としてだいぶ読んだよ」
「旧世界の戦史を愛読しているってわけ?」
「ヒマがたっぷりあるのでね」
軽くイナサレタ感じだ。
「で、幽閉されたルードルフ・ヘス殿、このぼくになにがおのぞみか?」
この問いかけへのレスには、二日ほど待たされた。
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