鏡花

鏡花幻想行 第三話

雨女(amaonna)


夜半に一度だけ、遠くで雷が鳴った。

しばらくあとで雨がやってきた。庭先のトクサの茂みが頭を揺らしはじめたのを縁先からみとどけたなり、私は硝子戸をしめて離れにひきこもった。

旅先の、しかも友人宅の離れに仮の宿りをはじめて三日になる。友人とその家族は、二日目の午後に、数日といいおいて親戚の法事にでかけた。体のいい留守居であるが、三度の食事も気儘に外にぶらりと出ては、蕎麦だのなんだのと誂えて、またふらりと帰ってくる。友人の宅で三度三度と煩わせるよりはよほど気楽というべきか。ただ、彼らが帰ってくるまでは足止めもおなじで、旅の途上の右左もままならぬ。

「旦那さん、渋澤先生のお宅のお留守番でござんしょう。いえね、お内儀がお出掛けのおりに、一二度は魚のこしらえ物でも見繕って晩方に差し入れるようにことづかりましてね」

昼過ぎに煙草を買いに出た私に、通りがかった魚屋の店先から声が掛かった。

みれば、六十すぎの角張った鮟鱇が薄暗い框に腰をおろして見上げている。いや、その鮟鱇が腰をまげたまま立ち上がる。

「なにがよろしゅうござんすかね。刺身が苦手ならば、穴子などでもあぶって参りますが」

魚屋の亭主が案ずるのは、こちらの腹具合ではなく、この暑さのよう。氷をたんと積み上げた店先でも、近頃の炎暑では半時も油断がならぬらしい。それで、干物のほかはすべて奥の冷所にさげている。こちらは、土用だなんだのという趣味はないから、丁重に辞退した。それでも、暮方、白魚の酢の物と、鮑の煮つけが皿ふたつになって届いた。

庭先をまわって、勝手知ったるごとくに離れの縁先までやってきたのは、三十路ばかりの色の白い内儀。魚屋の娘か、あるいは息子の嫁ではあるまいか。

「あらまあ、お酒なら、こんな季節には井戸につるしておいた徳利もありますから」

と、私がぬるんだ麦酒瓶を傍らに置いていたのをめざとくみつけて、走り戻っていった。ほどなく、小桶に氷柱をぶっかいたなかに、銚子を二本たてたなりでかけもどってきた。この家の主人がよほどの上得意か、あるいはその人徳のためか。

恐縮しながらも、まだ火照りの残る晩方の縁先で、冷えた酒を酌まれてはいやもおうない。明日の朝にでも心付けをしようと思いつつ、二三献戴く。

「今年は梅雨がからきしで、この暑さでござんしょう。魚屋もさっぱりの商いで。こうしてお世話できて気もまぎれます。いえ、誂え物の素性はたしかですから」と、いらぬ言い訳もしている。

冷えた酒がながく尾をひいて喉からおりていくまま、おもわずこちらの相好もくずれたか、相手はすぐさまうちとけた話ぶりになって縁先に腰をすえた。

「それでも、雨がないので蚊の心配はいつもよりすくのうござんす。裏手の藪の奥に小さい池がありますが、その水も涸れて、ぼうふりの顔だす暇もありませんの」

そういいながら、団扇をうごかしてかたちばかり蚊の用心はするようす。

「そういえば、去年もひどい日照りで、暑さもこんなものではなかったようで。なにかしら、この頃は季節の具合がおかしい様子。信心のある人などは、この世の代替わりの時節もちかいなどと・・・」

ひとしきり話し終えると、「あら、まあ、とんだ不調法を」と、いいながら内儀は小走りに出ていった。

「代替わりの御世か」と、ひとりごちた。

そのとき、遠くから雨の匂いがしてきた。すぐにでも、一雨来るかと思わせて、とうとう夜半まで待たされることになったわけだ。雨を待ちながら、私は昨夏の炎暑をふと思いだした。いや、その炎熱は密かに私の内も焦がしていたような気さえする。

      二

その年は、春先からよく雨が降った。

雨が降ると、深夜の帰宅が面倒になる。湖を背後にひかえた山の中程に家を構えて、喧騒からはのがれているが、駅舎から一端谷にくだって、また急坂をうねうねあがっていく道は、傘をさしかけて登っていくのにときおり足をすべらし、まして、豪雨ともなれば、道はそのまま浅い川になって難儀をする。もとは、別荘地という格の土地柄。

途中には奥の知れない広壮な屋敷もちらほら。近年になって、民家も増えたが、それはもっぱら谷沿いのあたりで、私の家のあたりは古くからの家が数軒あるばかり。

いましがた乗ってきた軽便鉄道の明かりが丘の上を渡って山の陰に消えていった。あれが最終。それをのがすと、私鉄の駅から湖のまわりを長々と歩いて帰らねばならない。季節がよければ、散策には恰好の土地柄だが、雨風の際には気が滅入る。

旧友に会って、すこし酒をすごしていた私は、いつにもましてゆるゆると坂道をまず下りにかかった。蝙蝠傘に静かに霧のような雨が降りかかる。寒い季節ではないが、袖口から忍びこむこむ夜気は冷え冷えとしている。

駅に下りたのは、私ひとりかと合点して、不作法にシガレットを銜えようとしていると、背後から足音がひたひた近づいた。おや、と思うまもなく、傘もささぬ影がひとつ。

時刻は十時の半ば。都会ではさしたることもないけれど、この土地柄では、どうかと思われる女のひとり歩き。やはり、駅から下りてきたよう。相手も、こちらも気味が悪かろう、と思っているうちに、会釈をして追いぬいていった。

年の頃は三十ばかり、和服のよく似合う、坂は坂でも、神楽坂あたりが似合いそうな女。はて、この先の屋敷あたりの人か。

わざと足をとどめて、煙草に火を点じた。明かりもわずかな夜道、追い越されたのが女であれば、間合いをとって先にいってもらうのが気楽。一服ふかして、坂下の小川を渡りかけている後ろ姿を見送っていると。女が、「あれ」といって立ち止まっている。すべったか、鼻緒でも切れたか。こちらは立ちと止まるわけにもいかず、また追いついてしまった。

女がこちらを振り返ったので、つい「どうかしましたか」と声をかける。

「いえ、あの。怖いものが・・・」

と、いって押し黙る。足もとを見ると、猫ほどの大きさの獣の死骸がひとつ。貂か鼬か、あるいは川から這いあがった獺の類か。細身の獣のむくろが濡れそぼっている。

このあたりの山深くには、まだこんな生き物がいるらしい。女は、見るなり竦んでしまったらしい。

「なんですかね。昼間通ったときはいませんでしたが」

なにかの闘争傷が腹のあたりに一筋赤く生々しい。

「すみません。こういうものは大嫌いで」と、女。ようやく、脇にのいて挨拶する。

この川で生き物の死骸を見たのはこれで二度目になる。以前、川の縁に鴉が一羽墜死しているのを見たことがある。流れされぬまま次第に川泥にうめられて、しまいには黒い翼が斜めにつきだすようになっていくのを通るたびに眼にしたものだ。

結いあげた女の髪に雨が小さな珠になっている。いつまでも、こうしているわけにもいかない。

「私の家はここを上がってすぐ左に二軒目です。この傘をお使いください。ついでのときに、門のところにでも立てかけておいてくれれば」

と、頭のなかでこしらえた台詞をすらすら。いつかの芝居にあったような。

「いえ、そんな」と、恐縮する相手にさっさと手渡して坂をのぼりにかかる。

「すみません」と、後ろからか細い声がした。振り返らずそのまま自分の家への脇道におれて、門口でふと見ると、女はさらに坂のうえまで歩いていった様子だった。坂のうえには四、五軒ばかりあるが、はて、あんな人が住まっていたかと思うばかり。まあ、さしたる傘でもなし。戸口に鍵をさしいれて、留守のうちに配達された手紙などを手にした頃にはもう忘れかけていた。もとより、かような芝居じみた立ち振る舞いが嫌なほうで、あの橋の死骸さえなければ親切心ものみこんでしまったはず。

                                       三

それから、三日ばかり、雨が降ったり、つかの間あがったりのはっきりしな天気がつづいた。外へでる用事もなく、傘の不自由はなかったが、ふと出さねばならぬ葉書があって窓の外をみやった。

細かな雨がしずかに新緑をぬらしている。郵便局までもしばらくは歩かねばならぬ土地柄。どうしたものかと思っている眼下に、古風な蛇の目傘の花が動いてきた。私の家のまえで立ちどまり、書斎の窓をみあげた。

いつかのような和服でもなく、結っていた髪もおろしていたが、まぎれもなくあの夜の女だった。私の蝙蝠傘を抱えている。

いそいで玄関口に出ていった私に、

「雨つづきでお困りではないかと」と、殊勝に詫びをいった。「なかなか家をでられなくて」と、言い訳じみる。

「いや、なに。頻繁に出かけるわけもないですから」と、私。

それよりも、蛇の目をさしかけているのに、襟元から肩にまで細かな雨粒が光っている。

「よかったら、おあがりください。いや肌寒くて一寸薪ストーブをつけたばかりです。あたっておいきなさい。なに、この家は私ばかりだから」と、かえって迂闊なことをいった。応接室もかねる板張りの書斎は、じっとしていると足もとから冷えてくるようで、ほんとうに先刻、この季節は用済みかと思っていたこぶりの薪ストーブに火を入れたばかりだった。灯油がはやりの時世であっても、油臭いのが苦手で、少々の暖をとるばかりならと時代おくれの鋳物のストーブをわざわざつけさせてあった。パチパチと木が燃えはぜる音がすれば、なによりの御馳走という性分。ほうりこんだ薪が燃えつきるころあいにはこちらも一仕事終えている塩梅で、冬のあいだはストーブが時を測ってくれていた。

招き入れて、火のそばに椅子をはこんですわらせると、めずらしそうに私の書架を眺めまわしている。乾いたタオルを手渡し、茶でもいれようかと、湯沸かしをストーブにのせた。

無遠慮なのを恥じているかのすぐにうつむいて、だまって火にあたっている。

「上のほうはもっと木も多くて、雨もうるさいでしょう」

と、あたりさわりなく声をかけた。

「それはもうしたたる雨まで緑に染まっているようで」

たがいに名のらずに、そんなことばかりが往復していた。

「小さな社があると聞きましたが、まだ、上まで歩いたことがなくて」

「あれはもう崩れ落ちて、柱もありません。山の主もあきれて去ったような」

「主のいない山は虚ろな気がしますね」

あえて神とはいわなかったが、先日横死していた獣だとて山の神であるかもしれないとふと思う。

「社はなくとも、主はおります」

女は、あるじとはいわず、ぬしといった。

「まあ、さわらぬ神になんとやらといいますから、林をわけいるのはよしにしたいが」

女は、ふと顔をあげて私をみつめた。なにか琴線にふれたのか、しばらくそのままになる。

「私は新参ですが、そちらは長くおすまいですか」

これもよしにしておけばよかったと内心悔いた。

「もう千年も暮らしているような気持ちです。町中に出ていくわけにもいかず、ここで歳をとるのでしょうね」と、しんみり。「このあいだは主人の使いでひさしぶりに外の空気をすいに下りました。あのように遅くなって心細い雨降りになったものでしたが、たすかりました」

それからは、私ばかりが物書きの仕事ぶりを聞かれもせぬに喋りつづけるばかり。ふと、黙ると雨音が強くなった。女は、なにごとかにはっとしたように、背筋を、のばすと、つとたちあがって、かしこまって礼をいった。私ばかり話してとこちらも詫びをいうのも妙な具合。それでも面白うございましたとは世辞ともいえぬ挨拶。

ふたりとも、そのあとの言葉をのみこんだようすで、玄関先で頭をたれた。はて、なにをいい、なにをいわれるところであったか、あとになってたがいに面映く白状したものではあったけれど。

それから、いくたびか雨の日があった。

その度に女はたずねてきて、私の書斎にあがってきた。私が書き上げたばかりの原稿を面白そうに読んでみたり、版元から送られてきたばかりの新刊の本を開いて驚いたりしていた。こういう仕事がめずらしいというより、別の世界があることへの驚きのよう。こんな寂しいところにひきこもっていてはだめね。よく聞く述懐だが、ほんとうのところはどうなのか知れなかった。

女は私の本の表紙を指でなぞっていた。私の名前のところで指をとめた。

私が顔をあげて、みつめると。なにかこわいような、思いつめたようなきつい眼差しに出会った。私も、みつめかえした。息がとまったよう。

それから、女は私の名前をよどみなく呼んだ。

「うん」と、思わずそれに応えた私は、その呼びかけの呪縛にとらえられたのに気がついた。

女は、つとたってこちらにきた。私もたちあがる。氏も素性も、なにも知らぬままの女だ。ただ、雨の日に訪ねてくる。訪ねてきて、私をみつめている。

「あなた、ねえ」と、女。

「ああ」と、私。

そのとき、また雨が激しく篠つくように地をたたきだした。天の堰が切れたような、地に這うものをなにひとつ生かしてはおかぬという神の狂気のよう。すべてをかき消し、押し流さずにはおかぬげに。さながら、私たちは、その雨のなかで絡みあう二匹のくちなわか、あるいは。

あるいは、ひごろ身体の奥底に息を殺しているそれぞれの獣が、躍り出てきたとでもいうのだろうか。もはや、その二匹の獣をおしとどめるわけにはいかなかった。

それから、女は雨のたびにやってきた。すこしばかり御神酒をさげてくることもあったり、めずらしい椒(はじかみ)の束を袂にいれてきたりもした。だが、たいていは降りだした雨に、とるものもとりあえずというふうに、いそいで坂をかけおりてきた乱れ髪。なぜ、雨の日ばかりに来るのかは聞かずにおいた。ただ、雨降りがつづくことを、いぶかしくも喜ぶばかり。

あるとき、「名をかきせてはくれないのかい。なんで呼んだらいいか」と、あらたまってたずねたことがある。こたえず、首をふるばかり。

「私の名は知っているのに」と、不満そうにいってやる。

「あら」と、こんどは悪戯っぽく微笑んだ。「縁をかけたのはわたくしですもの、しかたがないわ」と、白々。いや、むしろ潔いといおうか。

女は、あいかわらず仔細は語らずに、私の部屋に忍んでくる。

いくたびかの逢瀬のあと、身をおこした私を、うしろからすがるように抱きとめた。

「喉がかわいた」と、水差しをめぐらす。

「いえ、わたくしがしますから」と、とりあげて一口ふくむと、そのままに唇をあわせてきた。薄荷のような冷気が私の喉もとからからだの奥に沈んでいった。女は、童女のようなふくみ笑い。

「千年のいのちをふきこみました」と、戯れ言でもないようす。それでは、おまえのいのちをけずることになるよ、と言いかけたがやめる。ほんとうにいのちをけずらせての逢瀬かもしれなかった。それほどに、一日一夕、必死で通ってくるのが知れるのだ。坂の上の家の主がどんな人物かはしれない。女も話したがらない。すくなくとも、容易には家をぬけだせぬことだけは知れる。しかし、なぜか雨の日にかぎって、女はするりと家をぬけだして、私のもとへしのんでくるのだ。


月が変わった。その日、夜半に雨が降りはじめた。

灯を入れてしばらく、さて夕餉の支度でもと思う刻限に女が玄関先にたっていた。

昼間しか訪ねてこぬものと独り合点していたので驚いたが、雨の日に変わりはない。

「大丈夫ですわ」と、私の顔色を察して、雨粒をうけた着物の裾を払ってあがってきた。小ぶりの酒瓶をひとつ小脇にかかえている。「これをさしあけだくて」と、口実めく。

小さな卓袱台をはさんで、盃のやりとりがはじまった。さしたる肴もなかったが、女はいつのまにかたちはたらいて、香の物、到来物の小田原の蒲鉾を半分、それに加えて小皿に刻んだ葱と味噌を添えて出してきた。こぶりの盃を嘗めるにはそれで十分、というもの。

「なんだか、十年もこうしているようだね」とは、戯れごとながら、女もふくみ笑いを隠さない。

女の持参した酒を一口含んで、私はなんだが合点がいったような気がした。清酒ではあるが、酒精の度数が思いのほか強い。蔵元でしぼりたてのものは、かくもあると聞いたことがある。かほどのものを、いつもの酒のつもりでやれば、酔いはむろん酩酊の加減も早かろう。女は、亭主に毒のつもりで一献もってきたのでもあるのか。

今頃は、大蟒蛇の鼾が谺していることでもあろう。だが、それもこれも我がため。

「なんですか、こわい顔をなさって」

「うむ」と、私。いそいで強い酒精を口にふくむ。女の名さえ知れていれば、どんな言葉も呑みこむこともなくすらすら言えそうだった。だが、一人の女として私に会いに来るその人に、暮らしの経緯や、ましてはふたりの行く末を語れようか。私も女も、ただ、今という刻限がすべてである。

女は酒を殺して呑むたちか、いくたりか盃を干しても顔色ひとつ変えない。私のほうが今宵はあぶなそうな酩酊の予感。板の間が、大船の床のようにすこしずつ揺れはじめた。

「たんとお酔いくださいまし。今宵は朝までも降りつづけましょう」

女は、強くなった雨音に莞爾(にっこり)。私の肩に顔をよせかける。

「ほら、わたくしも顔はこのように熱くなって」

女の頬がふれた。肌がふれおうた刹那、言葉にはならないおもいが私にしみこんでくるよう。しかし、なぜに、なんのためにか。迂闊ながら、酔いのさなかにその果てはうかがいしれなかった。ただ、雨の降りしきる夜の果てまで、私たちは溶けあって離れなかった。

ふいに外が静かになって、ふと眼をあけたときに女は姿を消していて、残り香が漂うばかり。そのまま夢とも現ともわからぬまま夜が明けていった。

それから、しばらくは雨もなく、そのうえに私の近親の者が病に倒れて遠くまで見舞いに出掛けねばならなかった。家を閉めて出るのも後ろ髪をひかれる思い。留守中に雨が降りはせぬかと。急いで、半紙に出掛ける用向きをしたためて、門柱に鋲でとめおく。不用心な留守の告知もいたしかたない。知らせるすべとてないのだ。雨にうたれて落胆している女の顔がおもい浮かぶが、用向きは猶予もならない。

幸いに病者はほどなく快復の兆しをみせ、ひとまずは小康のようすを見せた。であれば病舎に長居も無用と帰路についた。その列車の旅が長い。車窓からの陽射しがじりじりと身を焦がすよう。夏至も近いかとふと気がついた。

門柱にとめおいた紙はもひきはがされていた。留守中に来て、見たというしるしにはずしたものか、あるいは。あるいは風雨で飛ばされたものか。ふと、足もとを見下ろすと、一輪の萎れた花が門柱にたてかけられていた。しばらくまえになにかの合図のつもりで置いていったものだろうか。邪気を祓う菖蒲であってみれば、病気平癒のまじないでもあったのだろうか。花はとうに萎れて、いつ頃に訪ねてきたのか案じられた。

地を焦がすような炎暑の夏が始まった。

空の片隅に一片の雲さえわかないような日照り。天の高見から、誰かが地を睨みつけ、じりじりと焼き尽くそうとしている。

女は二度と訪ねて来なかった。私は、なんどか坂を登って、木立の奥にひっそりとあるはずの女の家をさがしにいこうか迷ったものだ。だが、もし、家をつきとめたとして、どうするのか。雨がなければ、女は来ないきまり。

ようやくにして、雨が降り始めたのは、その年の秋口であった。秋雨、秋霖のけぶる夜道をたどりながら、ふと振り返る仕草が癖になった。

「この暑さと日照りじゃ、山深く鎌をさげて歩く仕事は、難儀というより苦行そのものだよ。水気はうせ、清水は枯れて憩う場所もない。そのうえ、いつもより虫がでる」

三間ばかりの魚屋の店先で話しこんでいるのは歳の頃は六十はとうに過ぎたような山家の親爺。山仕事が生業とみえるこしらえ、猴のような赤ら顔は、しかし日焼けばかりとはかぎるまい。魚屋の鮟鱇親爺とは、海の者と山の者の対面のよう

「山も枯れるし、海も枯れるのはおなじこと」との合いの手。

昨夜の肴の礼にたちよった私に、へいと頭をさげて、奥の内儀を呼ばわって眩しそうな眼差し。早々に内輪の話にもぐりこみたげなようす。猴のほうは、はなからこちらに眼をむけない。

「まあ、きかっしゃい。それでも、今年の旱(ひでり)は長くはつづくまい。思い出すのはこのあいだの旱魃じゃ。わしゃ、てっきり竜神様の怒りか、はたまた雨神様がお隠れになったかと思うたよ」

「それそれ、竜神といえば、去年の夏の終わりじゃ。もそっと東のほうの、湖をかこむ山に入ったときのこと。尾根をめぐって、麓へおりる途中に、干上がった沼にいきおうたのよ。一月半もの炎暑じゃ、無理もない。窪地をめぐって、水辺の草が青枯れしているので沼であったとわかるしまつ。魚も棲まぬ水溜まりとみたが、底のほうの泥には干からびた田螺もいくつか。だが、聞かっしゃい、哀れをさそうたのは、べつの生き物の骸よ。沼からはいだすような恰好で、くちなわが二匹、からみおうて死んでいたわ。いや、蛇のことだ。いっぽうは人の腕ほどもある大蛇。山の主でもあるか。その大蛇が、もう一匹、すっと細い白蛇の亡骸にまきついている。沼からのがれようとする白蛇をからめとって、のがさぬ執念がみえたわ」

「夫婦(めおと)の蛇かの」

「おそらくは・・・。つりあいはとれぬが、山の主にはさからえぬものじゃ。それは美しい白蛇じゃったが」

「干上がっていたのじゃなかったのかの」

「むくろになってはいても、品性はあらそえぬものじゃて。透き通るような鱗には、まだ光さえあったようじゃ」

そういって、猴爺は煙管を一服。それを潮に鮟鱇が浮かび出た。

「旦那さん、お留守居も四五日つづけば御退屈でしょうが、今晩あたりお帰りでござんしょう。よい魚が入ればお造りして参じますが、なにせこの暑さ。今朝の河岸でもろくなものが揚がりませんで」

と、私を追い払うつもりか、妙な愛想をみせる。奥から内儀が走り出てこなかったら、そうそうにその場を辞していたほど。

「あらあら」と、昨夜とかわらぬ小走り、手拭いをで裾をはらう。「店先でお暑うござんしょうに」

年寄りたちをきっと睨んで招き入れる。老爺たちは、むかいの日陰にのがれていく。

もとより、それ以上の話もないわけだ。

「奥のほうがすこしはましかと。麦茶の一杯もだしませんで」

と、言い訳じみる。

「いや、なにも。昨夜のお礼にと立ち寄っただけですから」と、こちらも頭をさげた。

内儀が手招きする。奥からひとすじ風かとおりぬけてきた。夕べしたたかに雨をうけた裏の竹藪をぬけて渡ってきた風は、ひんやり冷気さえふくむよう。どこかで風鈴が鳴っている。

「あの、もし」

惚けたように風にうたれていた私に、内儀が怪訝そうに声をかけた。よほど、惚けていたらしく、内儀は二度ばかり声をかけて、くすりと笑いかけた。

「いえ、林をぬけてくる風が懐かしくて」と、こちらはちぐはぐな応対。

「今晩も雨がきますとようごさいますわね」

その声を遠く私は聞いてるばかりだった。

俄に里心がついたものだろうか・・・。

遠くで雷が鳴った。

しばらくあとで雨がやってきた。庭先のトクサの茂みが頭を揺らしはじめる。通りが俄に騒がしくなった。時計をみれば、五時をすこし回ったところ。

友人宅の玄関がガラガラと音をたて、帰宅を告げる彼の声がした。上がり框に鞄を落とす音。いつもながら豪放なたちふるまい。こちらが出ていく間ももどかしげに、やがて離れに踏みこんでくるはず。さらには、縁者の法事話をひとくさり。こちらは腰をうかすまでもないと、ただ縁先に顔をむける。

雷鳴が轟いた。

この家の主人のあとを追ってきた小走りの草履が立ち竦んでいる。主人は、はや今に仁王立ちで、用向きを怒鳴っているが、草履の主は大の雷嫌い。私は、ふと微笑んだ。友人の細君が、「あれ、どうしましょう」といって耳をふさいでしまうのを何度も見ていた。

雨足がいっそう強くなった。家の内の声も聞き取れない。

私は、書き物机の上の書籍を集めて、鞄にほうりこんだ。旅から帰る者があれば、旅立つ者もいる道理。家主と挨拶が済めば、夜になろうとも旅立ちたかった。いや、雨が降っているあいだに。

そう思い定めて、たちあがろうとしたとき、家の奥から私をよばわる声がした。

どこかで聞いたような女の声だった。

 

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