鏡花幻想行 第一話 夜行
序
どうにも心が遊びにでてならない。いや、魂が迷い出るというべきか。昼といわず、夜といわず、時をえらばない。それでも、新月の夜がいちばん多いのはどうしたわけか。次は雨の宵。こちらは、世間の物音が遠ざかるためでもあろうか。
死者の声が聞こえてくる。生者の息づかいが遠のいていく。《いま》という時も遠ざかる。自分は《いま》という時にふさわしからぬ人間のような気持ちにさえなってくる。このあやうい感覚がはじまると、さすがに用心せねばならない。これまでも、魂は遠く過去へと遊びにでて、あやうく帰りそびれたようなためしもあった。これは七歳の幼児の頃から変わらぬ癖だ。
「どうも君は、この時代の人のような感じがしないね」とは、或る友人の批評であるが、それもあながちはずれてはいない気がする。
死者の声が聞こえてくる。ときとして、その死者の魂と連れだって、あのアルギエーリよろしく、同行ふたりで、地獄めぐりにでかけていく。人はそれを幻想と呼ぶが、わたしは魂の憑依となづけたい。死者の魂をわが乗物にして、どんな時空にでもでかけていく。
帰れなければ、それまでのこと。どうせ、それほど面白き世に生きているわけでもないのだから。それくらいの覚悟だけはあるつもりだ。
この世はなべて夢ならば
夢の浮橋ふみこえて、
妹背のおはすふるさとの
のなかの萩にもどりたや
この世の縁の糸ぐるま
めぐりめぐりて果てもなや
ほとけのつかわす夢童子
わずかにつづる綾錦
今様『夢童子曼荼羅』初版より
夜 行
ふらりと旅に出た。もとより行くあてなどない。あるはずもない。或る日の午後、近隣を散歩する風情で家をぬけだす。手荷物といえば小ぶりの革鞄がひとつだけ。時代錯誤もはなはだしいが、一昔前の町医者の往診の図とでもいえそうないでたちだった。用心の蝙蝠傘でもなければ、鉄道にさえ縁のなさそうな、ただの散策子ともみえる。いや、なかなか、その鞄が曲者だ。煙草入れ、強い酒をしのばせたスキットルなど、旅の七つ道具はおこたらぬ。
ふらりと旅に出た。もとより行くあてなどない。あるはずもない。或る日の午後、近隣を散歩する風情で家をぬけだす。手荷物といえば小ぶりの革鞄がひとつだけ。時代錯誤もはなはだしいが、一昔前の町医者の往診の図とでもいえそうないでたちだった。用心の蝙蝠傘でもなければ、鉄道にさえ縁のなさそうな、ただの散策子ともみえる。いや、なかなか、その鞄が曲者だ。煙草入れ、強い酒をしのばせたスキットルなど、旅の七つ道具はおこたらぬ。*1
物書きの心得は旅も散策もかわらず、かさばらぬまでもノートブックや紙の束も殊勝な職業意識とみえる。なに、文字を書かかずば一日もいられぬ文士の性にちがいない。いったい、いつの時代のことやら知れぬ。物言いをはじめ、もとよりアナクロニズムは覚悟の生きざまである。
しかし、我ながら妙なのは駅に立つ刻限だ。決まって夕刻、それも日が西に傾きはじめた頃に、ひとつの町を離れる。したがって、次の宿りの町につくのは夜も更けた頃となる。夜行列車でもあれば、そのまま乗りつづけ、明けそめれば日がな一日列車を乗り継いで降りようともしない。車窓にうつろっていく町並みを眺めながら、ときおり携帯した書物の頁に眼を落とす。それでなくば、なにごとか熱心に書きつけている。そんな、酔狂で奇妙な旅人だ。
しかし、奇妙というのはそればかりではない。
たとえば道連れ。
生来の人見知りで、たまさか相席になっても話しかける性質でもないから、道連れができるわけもないのに、ときたま同行二人となるから不思議だ。
それは、決まって女。夜更けの列車の、ほかに空席がいくらもあるだろうに、隣にすいと腰をかけて挨拶でもなくすましている。しごくあたりまえに、静かに坐りつづけているばかりだ。たいてい眠りこけていた私が、汽笛や、ふいの停車に眠りをやぶられ、顔をあげた刹那、道づれとの旅がはじまる。いや、はじめから連れていたのかと思うばかり。
「あの、もし」と、女。
「いや、まだまだ着きません」と、私。
「はい」と、女。
その日も夜の十時を過ぎて終着した。県境を越え、あらたな土地にはいったが、この駅からは夜行はない。駅舎で暢気にやすむ季節ではないので、どのみちここで宿らねばならぬ。
「降りましょう」と、女。
駅舎のあたりに人影はなく、町家もおおかたは灯をおとしている。不案内このうえない。駅前旅館などという懐かしい代物はあるのか。いや、あるわけもなかろう。
「あなた、それでは風邪をひきます」
私が抱えている外套をすいと抜き取って、肩から着せかける。うむ、となすままにして、私は町にふみだしていく。女はしおらしく着いてくる。
「あれ、こんなじぶんに」
ふたりして、石畳になっている舗道をくだっていく。交番でもあれば、旅館のありかをたずねてみたい気もする。いや、このまま夜通し歩きつづけても、女はいっこうかまわぬふうにもみえた。行き先をまるで気にするようでもない。
「心当たりはないのだけれど」
たまりかねて、そういうと、女はにっこり微笑んで、
「ほら、もうあそこに明かりが」と、それだけ。
なにかと見れば、一町ほど先に大ぶりな旅館の提灯がさがっている。温泉町の坂をだらだら下っていくと、自然と宿にすいこまれるように着くことがある。しかし、そんな気のきいた町にもみえなかった。
大戸が開いているのをたのみに、あがりくちで呼ばわってみた。
夜更けの客だというのに、出てきた番頭は待ち構えていたように私の手荷物を受け取ると、お疲れでございましょう、とすこしばかり愛想をいいながら旅館の長廊下を奥へ奥へと案内していく。履物を脱いでしまったからには、ついていくほかはない。私にばかり顔をむけるのは、あとについてくる女の素性を察しての気遣いか。曖昧宿でもあるまい。
「お寒いようで、夕べはすこし雪が舞いました」
と、番頭。
「つきあたりの奥の部屋が静かでよろしゅうございましょう。湯殿はそこからさらに左奥へおりたところにございます。こんな季節は湯浴みがなによりの御馳走。ゆっくりとお入りくださいまし。頃合いをみて、お部屋のほうになにか温まる物を誂えてまいります」
こういきとどかれては、あらためて銚子の二三本を頼むまでもなかろう。いわれるままに部屋に落ちつく。女は衣紋掛けをすばやくさがして、私の衣服をしまいにかかる。流水があるのか、庭先に静かな水音がする。
「お先にお湯を」
と、女は手拭いと浴衣をさしだし、丹前はあとで持って参じますという。
「うむ」といったなり、長い廊下に出て湯殿へ歩いていった。まるで、ここまでは、なにか芝居のようにきまりきった段取りが進んでいるような心持だ。なにひとつ障りのあることはない。障りがなければ、流されていくまでのこと。それがこの旅の心得と、勝手に合点して、はや脱衣場におりた。
竹の簀の子が足裏にひんやり。いくらかしめりを帯びているのは先客の名残だろうか。こんな時刻には宿の者でもなければ湯殿にはおりてきそうもない。引き戸が開け放たれたままなので、湯気のあがっているあたりに誰もいないのが知れた。
湯につかり、「ああ」と一声つくと、湯殿の天井でも誰かが「ああ」と応えたような気がした。思いのほか屋根が高い。三階まで吹き抜け造りである。
なるほど、湯殿へでるまでに大階段があったわけだ。上の階の客はみなそこを下りてくるらしい。
ザブリ頭に湯を浴びせかけて、顔をもぬらしてみる。微かに鉱泉のかおりがただよっている。湯をふくむとすこし甘い。これはいつもの癖。湯との相性をはかってみるのだ。強羅あたりの硫黄泉はどうも湯あたりがする。
温まるほどに、今日はどのあたりで、旅のゆくえが変わったのかさらってみる気になった。昼さがりに、干からびた牛肉が飯にはりついていた駅弁をあつらえた頃にはひとりだった。「やあ、人参と干瓢ばかりだ」と、衒った冗談をいう相方もいなかった。*3
たしか、昼餉のあとでうつらうつら列車に揺られていたときだ。いつのまにか日が落ちていた。となりに誰か座った気配をおぼえながらも、暖房が効きすぎた車中で舟を漕いでいたとみえる。そして、あの女が声をかけたのだ。
「あの、もし」
と、後ろで声がした。浴衣姿の女が、かがみこんでこちらをのぞいている。「お背中を」と、手招く様子。
湯からあがっていわれるまま背中をむけると、柔らかな手のひらでシャボンをのばしにかかる。寒い季節には肩にちからがはいるとみえ、その凝り性の肩口に女の手がすべると、不思議と軽くなった。失礼しますよ、とこちらの腋の下にもするすると手をさしいれる。あらぬことは思わぬことにして、清浄な湧き水で洗われる茄子か蕪の心持ちになっておとなしくしている。いや、それが心地よいのだ。からだじゅうの毛穴がひらき、積年の垢を洗い流されるよう。ぞっとするほどの心地よさといおうか。
「あたくしも、よろしいわね」
桶の湯をかけてくれ、こちらがほうっと息をついていると、女はいつのまにか浴衣をするりと脱いで、背をむけたまま湯船におりた。いまさら、照れもなかろうに、湯が肌にあうなどと、ひとりごとのような応対をしながら、自分も湯につかりこんだ。
三十路すぎの、すこし肉はついているが、薄暗い湯殿なかでもひときわ白く浮きでる肌。どこかで見たような、といったら昭和初期の美人画のうちとでもいおうか、古風でいながら、どこかモダンな雰囲気を持っている。「こんなに太っておりますの」などとは、決していわぬ。なにも言わなければ、こちらもなにもたずねない。その逆も。たがいに黙っているのが苦にならぬ相手は有り難い。
贅沢なものではないが、山の物と魚の煮つけ、熱くお燗をした銚子がすでに運びこまれていて、ついで女中が吸い物の椀をしつらえてきた。私がひとりのうちに、まあおひとつと、盃をみたしてくれ、そのまますっとひきさがっていった。銚子が足らなければ呼んでくれればいくらでもというのだが、なに大ぶりの徳利が三本も陣どっていれば酒量もさほどでない自分にはじゅうぶんすぎるくらいだ。肴に箸はつけぬまま、二杯ほど燗酒をなめていると女が湯からもどってきた。
「あらあら」と、手酌の私をみて、いそいで傍らにきて銚子をうばいとる。いやなに、いままで宿の者がお酌をしてくれたというと、そうですか、とそっけない。みづくろいに暇がかかってといいわけじみる。
あらためて、お膳をみわたすと、盃がひとつだけ。肴もみな一つの皿にあるばかりで、これは分け合うほかはない。粋なのか不粋なのか。まさか盃のやりとりを恥じらう二人でもあるまいが。
女は知らぬげに、さっさと吸い物の椀に手をつけて、一口すった。
「このあたりに雪の頃に来てみたかったのです」
と、ガラス障子越しに、外をすかし見る。
「東京では積もってもすぐに消えてしまうでしょう」
「わたしは関東のからっ風には閉口だな。朝から風が荒れていたりすると、蒲団をかむって一日中こもっていたくなる」
「そんなおなまけのかたじゃあないでしょう」
「無理して働いているのです」
三たびほど盃をやりとりすると、女はもうじゅうぶんと首をふって、すわりなおした。こちらにお手をおつけなさい、と魚の身をほどいていくれる。自分は、もうたくさんなほうだからと菜には口をつけようとしない。私も香の物に添えられたはじかみの先をひとつかじっているまに酔いがまわってきた。心地よい酔いがきそうなときに、あらたに口のなかをよごしたくない性分なので、魚も半身のそれこそ二三片をはじめに片づけただけ。女はふいにのぞきこむような眼をした。
まだ思いだされませぬか。とうの昔のことで、わたくしとの御縁もはや霞のかなた、霧ひく野辺の露が朝日にまだ光っておりますのも、足蹴にして歩み去ろうとするのでしょうか。露はまさしく昼には消え去るものながら、朝もまだ明けそめぬうちは、宵の甘き名残もとどめましょうに。
いや、これはわたしの妄想。女は、もとよりなにもいわぬ。
女がすかしみたガラス窓のむこうの闇で、筧からの流水に堪えかねた鹿おどしがひとつはねた。耳を澄ます。あとは、静かな水音がするばかりである。
二
宿をひきはらうと、すでに日は高い。
薄曇りの空が、わずかに晴れて、光がこぼれる。
「旦那様、御参詣なら、この左の坂をしばらくあがりますと四宮観音の分院がございます。名刹とまでは申しませぬが、御住職がなかなかの書家で、気が向けば蒐集の名書家の直筆なども拝見できましょう」
番頭に送り出されて、案内のまま足を坂上にむけた。もとよりさように高尚な趣味はないが、このまま駅にむかうのではいかにも形にならない。
坂の中途でふりむくと、道はまようほどもなく、まっすぐに鉄道駅までだらだらつづいている。商家が数十も道沿いにたちならぶ変哲もない街道町だ。。
昨夜はどこまでがうつつで、どこからが夢かも知らぬ。すこしすごした酒がこめかみあたりに重く残るばかり。昨夜の女は気配もないが、それさえもうたがわぬ。日が昇れば、よりついた魂も帰っていく道理だ。
坂はやがて石段にかわった。段々にひとつ影法師を落としながら、すこし息をきらせていく。やはり、体裁など気にせずさっさと駅に下りればよかったか。と、思ううちに、山門にもうひとつ影法師が落ちた。
僧侶がひとり、はやこちらに気づいて出迎える。もはや逃げられまい。どう挨拶したものやら。
「これは、百年瀬ばかりもお待ちもうしたお客」
とは、たいそうな。あとで聞けば、ここらあたりの精一杯の挨拶らしい。ようこそいらっしゃいました、ほどのことらしい。
「いや、ただの散策子で、山門をさわがすほどではございません」
と、こちらも逃げ腰になる。
「いや、遠慮なくおはいりください。御縁のものじゃによって」
そういうと踵を返して戻っていく。これはついていくほかはない。閻魔堂へ導かれるわけでもなし、鞄をにぎりなおして、しおらしく続いた。彼は僧坊にすたすた入っていくが、本尊を前にして素通りもならず、かたちばかり殊勝に手をあわせていく。それを振り見て、住職もにっこり。いや、不信心の者には汗のでる。
書院にとおされ、むかいあうと五十を半ばすぎた頃合いのいかつい禅坊主のよう。聞けば、下の宿屋から気をきかせて知らせてあった。それでわざわざ迎えに出たらしい。
「昼すぎまでは法事もござらぬ。ちょうど、曝書に二三巻開いてもみようかと」
と、はなから自慢の書をみせたいようす。こちらにそれほどの趣味があるではなし、早々に辞退したかったが、茶が運びこまれて、しかたなく座布団にかしこまる。
「まあ、きかっしゃい。そこらの寺の古文書とはわけがちがう。いずれも代々の住職が書き残した因縁話ばかり。源信などは写しもござらぬよ」
和綴じの本が二冊ばかり、畳の上に並んだ。
「お仕事がらご関心のないものでもござりますまい」
とは職業あらためもついているのか。宿帳には確かに文筆と認めた。
「いやなに、当て推量じゃよ。すこしは人相見をするでの」
いちいち見通されている。
「いや、すこしばかり翻案をするていどです」と、柄にもない謙遜をしてみせた。
「ほかでもない。因縁話のたぐいじゃ」
住職はこちらの思惑など意にも解さぬそぶりで、和綴じの書を一冊ひらりとめくってみせた。
「ほう」と、いってすこし押し黙った。奥付をあらためて、合点がいったようにうなずいている。こちらは、ただ待つばかり。
「午後に法事があると申したが、それはこの町のはずれの柊屋敷とよばれる古い家の十三回忌での。そこの娘が東京の医者の家に嫁いで三年ばかりして、ふいにスペイン風邪でむなしくなった。それこそ、あっと言う間。そろそろ子どもでも連れて里帰りという頃じゃ。子どもはなかったそうだが。なんでも、大きな病院の御新造さんという出世であったのに、いくら医家でもあの年の流行病にはかなわなかったとみえる。亭主があまたの患者の往診で家を顧みる間もなかったのじゃろう。五日ほど寝込んで、六日目にはもう冷たくなっていたというが、いかにも不憫。
それで、この本のことだ。これは、その柊屋敷の当主山本某の手になる覚書を綴じたものじゃ。十五代当主というから古い家だ。御本人は明治の末に物故している。今の主人は十六代になる」
そこまで話して、住職はぬるくなった茶をひとくちすすった。これからしこたま語ろうという心づもりらしい。やれやれ、地方の名家が落ちぶれていくおきまりの段らしい。因縁話は嫌いではないが、のっけから死者の出た話には気が滅入る。
「これはどこの誰がどうしてこうしてという話ではないのだよ。十五代当主の山本某が書き残したのは、当家に伝わる御霊帰りの話じゃ」
「お盆に戻ってくるというあれですか」
「うむ、ふつうはな。むかえ火、送り火は日の本六十八州かわらぬならいじゃ。だが、山本家ではすこしばかりちがう。亡き先祖の御霊がもどるのは年忌のまえの晩のことじゃという。立ち日にはかならず魂はもどってくる。しかも、独りではなく同行二人で」
「夫婦とか、兄弟で連れ立ってでしょうか」
みえすいた問いかけであった。
「いやいや、それが、亡くなった土地から道筋をたどってはろばろとやってくるのだ。たまたま出逢うた者に案内をさせるらしい。いわば魂がその人に乗ってくるわけじゃな」
「見ず知らずのゆきづりの人にですか」
「そう読めるがな。なにしろ、ここにそう書いてある」
住職は、よく響く声をやや憚るようにひそめて、そのくだりをすこし読んで聞かせた。あまりの達筆に、こちらからのぞいても文字面はたどれないが、ともかくそれがその家の言い伝えなのであろう。
「じゃによって」と、かれは一段語気をつよめた。「御霊帰りの使者としてその客人はもてなさねばならぬ」
そう言いおわると、住職はじっとこちらをみすえた。
四
目の前で、まだ咲き始めたばかりの椿の花が、ひとつだけポタリと落ちた。しおれたわけでもなし、風にゆすられたものでもない。ただ、昨日今日に花弁を開いたばかりとみえる一輪である。
わたしは、ふとその足もとに落ちた椿の花をひろいあげた。椿は椿だが、どこかでかいだような花のかおりが、かすかにして懐かしい。
寺を辞したなり、駅へおりていく途中の坂道でのことだ。ひろうたなり、道端に捨てるのも不憫な気がして、そのまま鞄のなかにそっといれおく。書物にはさめば花弁が押し花にもなろうか。
ふたたび車上の人になれば、一町一夜の記憶もはや車中の夢のようだった。旅はさきへさきへとわたしを運んでいく。日はまだ高く、裏日本へむかう鉄路もまだ海をみせるまでにまだはろばろと走りつづけねばならぬ。ときおり停車する駅名が、まるで双六の目のよう。わたしという双六の駒をどのマスでとどめるか、まだ賽もふられてはいまい。
懐中から、小さな硝子瓶をとりだし、アルコールをしめらせた綿をひとつまみ引き出してみる。肘をつく手すりをひとわたり拭き清め、あらためて片腕をあずけた。午後の列車は眠気を誘う。いずれまた夢か、あるいは現か、わたしの傍らにすわる人の物語を聴くことになろうか。 今はただ、速力をましていく列車の窓から、ゆっくりと秋空を旋回している鳶が一羽見えるばかりである。
註1スキットル、携帯用の金属製洋酒ボトルのこと。
註2 「通りゃんせ」江戸期の童歌著者の生地、川越の三芳神社が発祥の地という説もある。本文は本居長世の歌詞による。
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