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変な街 2024/03/08の日記

昨日の日記にも書いた通り、今日は山括弧塾があった。昨日つってもさっき書いたばっかりだけどな!!あんまりこういうこと言いたくないので、これで最期にするが。さよなら…。

前回の土曜講義と違って今回の金曜講義は夜なので、夕方までは東京にある父方の実家でダラダラと過ごした。実家では久しぶりにテレビを見て、画面にスポーツの話題が映ったらその度に怒り狂いながらチャンネルを変えたりしていた。スポーツなんて大嫌い!スポーツをやめてください!!アーーーーー!!!!!

そんなこんなであっという間に夕方になったので、自由ヶ丘に向かった。

19時半の自由ヶ丘は、かつて向かった昼時のそれ以上に異様な雰囲気が立ち込めていた。ご存知の通り、自由ヶ丘は修羅の国である。数年前に日本国憲法が廃止されたことでも記憶に新しいように、自由の名を冠したこの街にはあらゆる形での無法が揃っている。

かの哲学者、永井均もそれを見込んでこの街の片隅に土地を拓き、その手で家を建て、瞑想と真言によって場を清めた後、あらゆる世界から隔絶された比類なきとしてこの山括弧塾を開いたとされている。言い伝えの範疇ではあるが。


それで肝心の講義の内容はまあ…ヘーゲルってそういう感じなんだな〜と思った。終わり。もうTwitterでかなり仔細にまとめてる人がいるので、気になる人はそちらを参照されたし。

でも、昨日の日記で気になっていると書いたヘーゲルの頻出用語とか独自の論法は初期の論文からかなり明確に示されていて、そこがわかったのは嬉しかった。対立するものを合わせるみたいな話は全然この頃からあったんだな。あと「概念」と「存在」ね。それと「美」もか。よーし覚えた。ヘーゲルは思ったより好きな言葉が分かりやすいぜ。私、分かりやすい人、好きよ…。

テキスト以外のことだと、やっぱり一番最初に訳文の違いを教えてくれたところが私には面白かった。昨日も書いたけど、永井均ってスタイルの割に全然本読みまくっててすごい。永井のああいう話を聞くたびに、な〜んだめっちゃ教養あるじゃんね、と思う。

もちろん永井がいつも言っている教養主義とか他者のゲームに乗っかってるだけの「哲学」に対する批判って、あくまで自分で考えられるところが先にあって、そこから問いを深めるために読んでいくべき、という主張なので彼の勉強熱心さとは何ら矛盾はしてないのだけど、それでもビックリする。

あんまりパフォーマティブな側面の話ばっかりをすべきではないんだけど、知識ってそんな親しくない人に話すならたま〜に深い部分を小出しにしていった方が印象がいいね。私は誰に対しても半端に知ってるだけのことをスプレイニングしまくりなので、そろそろ反省しよう。別にこのまま完全に狂って、バスで目の前に座ってる人にいきなりシミュレーション都市の話とかをしてもいいんだけど、そうなるのはまだ先だ。

終わったあとは一緒に参加していた大島くんとタンメンを食べた。食べたら帰りの運賃が足りなくなってゾッとしたが、結局ギリギリでなんとかなった。あぶね〜…。

帰りの電車で大島くんはタンメンがあんまり美味しくなかったと言っていたが、私は食べてる間マジで何も考えてなかったので、そこで言われて初めて確かにねと思った。食べている最中は上に乗っていた野菜がシャキシャキしていたので、完全にそのことだけしか意識してなかったな。もしかしたら、人間の味覚を決定してるのって味蕾でも花でもなくて歯なのかもしれない。そういう可能性も、十分にある。

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