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サンバ精神分析 2024/04/02の日記

マイムマイムのイントロとかにある中国っぽい旋律ってオリエンタルリフっていうらしい。

それがわかっただけで、1日が終了…。

質問いくぜ。

『知恵ある恋人』おすすめです。

読んだ。こりゃいいね、ギヘヘ。単行本出たら買います。

引き続き漫画情報を募集。

ボサノバを毎日聴いている。最近一番気に入ってるのはこれ。ジョビンの晩年のライブなんだけど、代々木公園でやってたのとだいたい同じアレンジとセトリで非常に良い。

サブスクにも上がってるのでみんなも聴きなさい。そして、私とボサノバをやりましょう。


てかアントニオ・カルロス・ジョビンって凄すぎる。一人でジャンルを作っちゃう音楽家ってクラシックとかでは割といるけど、ジャズとかポピュラーのジャンルでそういうことができちゃう人って滅多にいないよな。

そういうのも大体は近似するジャンルを発展させてるのが半数だけど、たまにほぼオリジナルで完成させてしまう人がいる。ジョビンもその一人だ(ジャズとサンバだろというツッコミは受け付けない)。

まあどんな芸術でも常にオリジナルなものの連続だ、とは言えなくはないけどね。どんなに人のをパクっても自分の色が出てきちゃうとかはよく聞くし。

関係ないけどこれは精神分析における欲望の形式と似ているな。芸術作品を似せて作ろうとすることが主体の欠如(欲望)だとしたら、それは常に満たされず、どんなに似せてもズレていくものだ、みたいな。

これは案外面白い例かもしれない。ふつう芸術作品は制作者の欲求の表出物だけど、当然制作者はその欲求の求める形に到達することはできない。しかし、出来上がった作品を複製しようとする瞬間、作品は瞬時にしてそれ自体が求められるべき完璧な"理念"になる。これはどうだろう。案外言えそうじゃない?

作品は往々にしてマネされるものだけど、それはマネされると急に"対象"としてイマジナリーな段階に棚上げされるのはよくあることだ。いわゆる「手本」ってやつ。

あれは単に作られた際にあったあらゆる出来事や制作者の秘められた観念の成果物という単純なレベルの再現不可能性に留まらず、より深い意味で到達できない"理念"なんだろう(だから、それを真似することによってあなたもオリジナルな"理念"を頭の中で作れるようにしなさい、という訳だ)。

もっと他の例で言えば、たぶん劇の「台本」なんかがまさにそうで、あれはつまり"理念"の指示票なんだよね。上演がどんなにもっともらしく何かの伝統や意図に忠実な形態で行われるとしても、それを背部で規定する台本の中には、本当に行われるべき公演なんて最初から存在していない。だから、台本はその上演に対して完璧なものを求めるのではあるが、実際の現実世界においては常に(これも月並みな言い方だけど)それをどう解釈するかが争われることになる。

うわ、めっちゃ田島正樹っぽい。あんまり具体的にこれ!って感じでは挙げられないけど、彼もずっとラカン(とデイヴィッドソン)の話をしてるので、こういう話は多分してそう。

しかし、適当に台本の話とかもしたけど、これも演劇学ではきっと基本的なテーゼなんだろうな。これが車輪の再発明ってやつか。うわー…参ったな…。

話を戻すけど、Chega de Saudadeもこのバージョンが一番いいな。あとSamba de uma nota sóが最初と最後に入ってるのがめちゃくちゃ構成的でカッコいいぜ。最終回と第一話が類比的になってる、オタクが好きなやつだ。

オタクが好きなやつ←これも理念か。あの有名な「四天王の中では最弱」ってやつも元ネタは無いらしいし。改めて考えるとオタクは自らの欲求をいつも全面的に出していてすごいな。オタクは常に"京楽"を追い求める姿勢をしている。

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