居酒屋・今・そして日記 2023/04/22の日記
おはようございます。
さっき投稿したばっかりだけどまた書く。遅れを修正するために。習慣をとりもどせ!(愛をとりもどせ!)
ある人の勧めがあり、最近はブルックナーを聴いたけど、やはりベタに7番と3番がキャッチーで好きという結論に至った。
特に7番は第4楽章が好きですね。分かりやすいフレーズが連続して押し寄せてくるので、聴いたことない人にもオススメです。
そういえばブルックナーは40を過ぎてから作曲を始めたらしい。すごいな。
こういう話を見るたびに、私は何歳ぐらいに何を為すんだろうとか考えちゃうけど、結局個人のあれこれなので比べられはしないだろうと思って忘れるようにしている。意味ねーよ、そんなの。
今日は哲学の集まりに参加した。
テーマを詳しく書くとかなり長いので要約すると「私達は〈今〉というものを説明できないのにも関わらず、なぜそれを信じているのか、そして、どのようにその感覚を経験的に身につけたのか?」という話をした。
認識不可能な〈今〉を巡って、時間の実在性、物理法則の条件、永劫回帰、個々人にとっての時間認識、時間の表象、時間停止AV、借金の踏み倒しといった色んな話題を経由して論じ(ている様子をムズいな…と思いながら眺めてい)た。
例会の様子はスペースで配信してたらしいけど、途中までマイクがオフになってたので、後から聞いたら完全に前半が吹っ飛んでて面白かった。
これ、私が指摘したんだけど、もし言わなかったら誰も気付かなかったのかなと思うと少し(さもしい)優越感を覚える反面、お前はどんだけ議論に集中してなかったんだよ、とも言えるので、そこはまあ…私のプライドを守っていく方向でお願いできると嬉しいです。
終わったあとは皆でご飯を食べた。私はこれまでそのような活発な交友関係を深めたことがなかったため、その日は人生において初めて居酒屋というもので食事をすることになった。
私はお酒を飲まないのでそういうセオリーとして烏龍茶やコーラを飲みながら、皆さんが酩酊していく様子を眺めようと思っていたが、結局どなたも節度を持って飲んでいたので私が期待するような混沌は訪れなかった。
というか、そうやって他人のありもしない痴態を勝手に想像したり期待するのはあんま良くないか。すみません。
料理も居酒屋っぽいやつをいっぱい食べた。揚げ物とか…揚げ物とか…刺し身とか…揚げ物とか…。私は若くて最強なので最後まで胸焼けとかはしなかったけど、それは単に自分のヤバさに鈍感なだけとも言えるし、どっちにしろコレステロール値はヤバくなっているだろう。そして、いつの間にか苦しんで死ぬ。
日記に「だるい」とかは書くけど「今日は絶好調」とかは書かない、そのほうが読者の共感を得られるから(ずるい)、という話をしたけど、穂村弘とかがよく言う「短歌は夕暮れの台所のさびしさとか塗装のはげた看板とかばかり詠んで、タワマンでいい暮らしとかは詠まない」みたいなのとも似ている
— pha (@pha) April 23, 2023
あ~、そうなんだ。でも分からなくもないな。以前言及したnoteアプリのいらん機能で流れてくる記事(全然関係ないけどこの機能に関しては相変わらずいい加減にしろよと思っている)にもそういう方向性のやつが多い気がするし、言われてみれば、確かに特権的にパワーのある傾向なのだろう。
多分このツイートの元々の話は多分短歌のことなので日記のことはおそらくそれと似たように…という流れでしかないんだけど、それでもやはり短歌は日記で記述されるもの(私的な生活)以外にも表現できることが多いので、日記とはまた違った…というよりも、日記は生活という点において特化した表現活動なんだろう。
あと、短歌は日記に比べると芸術として発表する場がかなり頻繁にあって、そのコミュニティの中で流行り廃りがあるから時期によってより強く作風が寄っていくんだろうな。もちろんテンションという具合で統一してくると今はかなり異様な時代なのかもしれないが。
と、まあそういう具合にある程度の推論はできても、結局のところ日記の文章がなぜそういうのに支配されたかは私にも分からない。
でも、個人的な印象としては、それはおそらくウケるウケないじゃなくて、自分への申し開きみたいな側面があるんじゃないかという気がしている。いや、それは自分というよりもむしろ、それまでの人生の中で植え付けられた社会通念によって内面化された他者とか、そういうやつなんだろうけど。
例えばこの場合であればナイーブに振る舞うことで、気取っていない自分を演出し、これ以上抑圧されないように被害者的な弱さを効果的にしめす、という。
その書き方自体にはあまり同意できないけれど、しかし動機という点においては私にもそういう部分がありますね。
例えば、私はたまに日記の中でやたらと尊大に振る舞ってみせたり、異様に粗野で隙の多いようなことを言ってみたりするのだが、それは後から見た時に自分が中途半端にカッコつけてる(ポエティックにスカしている)と、その時点でちょっとイジりづらいように見える(あと普通にそういう傾向がある)からそのような言い回しをしているのだが、これはまさに先ほど言ったような他者の嘲笑的な目線を規範として内面化した結果なんじゃないだろうか。
だからまあ、すごく浅い話をしますけど、そうやってオドオドしながら世の中で評価されやすいと言うよりも、ネガティブな評価を受けづらいようなやり方で存在しようとしている人が増えているんでしょうね。なんででしょう。やっぱり貧しいから?
とまぁ、ここまで色々言ったけど、先程のようにここで自分で自分の日記のあり方をこうやって顕示的に説明してしまうのは、まさに以前これとはまた別の話で批判した「野暮」の構造ですよね(そしてこれを言ってしまうことも)。
なんだか随分と捻れた構造になっちゃったな。それにしても、こんな複雑でアイロニカルでスリリングな構成がお前たちにできるか?開いた口閉じろよ。
おい結局また11時になってんじゃねーか!!!!!
たしか書き始めたのは夜遅くだったから、その後で起きてすぐに書けば絶対できてたはずなんだけど、どうやって思い出してもそうなってはいないんだよね。
なんか…おかしいよ。これ、誰かが仕組んでるんじゃないのか?
なあ、読んでるお前、お前はどうなんだよ。え?なんとか言えよ!!!
なあ!!!!!!!!!!!!!
ではまた明日。
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