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ラジオ生活:ベストオブクラシック ヨーゼフ・シュトラウス ワルツ「ディナミーデン」

聞き逃しサービス 2024/01/04 放送
ベストオブクラシック
ウィーン・リング・アンサンブル演奏会
【収録】2023年1月6日サントリーホール

Contrabass奏者(Michael Bladerer)さんからの挨拶は開始より4分頃です。


ワルツ「ディナミーデン」
作曲: ヨーゼフ・シュトラウス
編曲: ミヒャエル・ロート
ウィーン・リング・アンサンブル
(9分10秒)

開始より15分32秒頃 (終了より1時間24分28秒前頃)


配信終了 2024/01/11 21:10
  
 (すでに配信終了してます)
 

番組情報




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ヨーゼフ・シュトラウス
ワルツ「ディナミーデン」
(副題:『秘めたる引力』)
Wikipedia 日本版> https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ディナミーデン


 『ディナミーデン』(ドイツ語: Dynamiden)作品173は、ヨーゼフ・シュトラウスが作曲したウィンナ・ワルツ。副題は『秘めたる引力』(Geheime Anziehungskräfte)。

【楽曲解説】
ワルツ王の弟であるヨーゼフ・シュトラウスは、熱心にロマン派音楽を学んでいた。そして彼は、シューベルトやシューマン、リストやベートーヴェン、ベルリオーズなどの楽風を採り入れた曲を書こうとした。その代表格といえる作品がこのワルツ『ディナミーデン』である。
 1865年1月30日、宮廷大舞踏会場で催された「工業舞踏会」において初演され、好評を博した。英国ヨハン・シュトラウス協会名誉会長のピーター・ケンプは、「その着想、力、感性の点で、兄がその時点までに作ったどの曲よりもまさったもの」と高く評価している。「ディナミーデン」とは、「分子や原子が引き合う力」という意味のフェルディナント・レッテンバッハーによる造語である。1840年代からドイツ圏でも産業革命が始まっており、急速な工業発展の裏で、目に見えない神秘的なものへの関心が高まっていた。『秘めたる引力』という副題と揃って、当時の世相をうかがわせる曲名である。

 時は流れて1911年1月26日、後期ロマン派の作曲家リヒャルト・シュトラウスは、自作の傑作オペラ『ばらの騎士』を初演した。このオペラの第2幕のなかに、主題としてこの『ディナミーデン』の旋律を借用したとされるワルツが登場しており、「ばらの騎士のワルツ」として知られている。なお、リヒャルト・シュトラウスは1925年に次のように述べている。
 「『ばらの騎士』のワルツについては、あのウィーンの陽気な天才を思い浮かべずして作曲するなど、そのようなことがありえただろうか?」

 リヒャルト・シュトラウスはヨーゼフではなくその兄ヨハン・シュトラウス2世のことを言っているのだが、ヨーゼフの『ディナミーデン』の冒頭の旋律と『ばらの騎士』のワルツが非常によく似ているのは、多くの音楽学者や評論家、書物などが指摘するところである。たとえば、フランツ・エンドラー(ドイツ語版)は「彼(リヒャルト・シュトラウス)は、≪薔薇の騎士≫のワルツを作曲する際に、ヨーゼフの作品から大きな影響を受けたのである」と書いており、またブリタニカ国際大百科事典にも「ヨーゼフの作品には、リヒアルト・シュトラウスが『ばらの騎士』の主題に転用した『デュナミーデン(原文ママ)』 Dynamiden がある」という断定的な記述がある。


〜[上記wikipediaより抜粋]




“Dynamiden”
Wikipedia DE> https://de.m.wikipedia.org/wiki/Dynamiden


 Dynamiden ist ein Walzer von Josef Strauss (op. 173). Der Untertitel lautet „Geheime Anziehungskräfte“.

【Zusammenfassung】
 Es war das Widmungswerk für den Industriellenball in den Redoutensälen und wurde da am 30. Januar 1865 uraufgeführt.
 Später plagiierte Richard Strauss den Walzer 1a für die Kopf-Melodie des Walzer der Oper Der Rosenkavalier.


〜[Excerpted from above wikipedia]

〜[上記wikipediaの日本語翻訳は次の通り。翻訳にはアプリ「DeepL」を使用。]  
 Dynamidenはヨーゼフ・シュトラウスのワルツ(作品173)。副題は "Geheime Anziehungskräfte"。
...
【概要】
 1865年1月30日、レドゥーテンゼーレで開催された実業家舞踏会の献呈曲として初演された。
 後にリヒャルト・シュトラウスが、オペラ『ばらの騎士』のワルツの頭にワルツ1aを盗用した。







ヨーゼフ・シュトラウス
Josef Strauss
Wikipedia EN> https://en.m.wikipedia.org/wiki/Josef_Strauss


 Josef Strauss (20 August 1827 – 22 July 1870) was an Austrian composer.

 He was born in Mariahilf (now Vienna), the son of Johann Strauss I and Maria Anna Streim, and brother of Johann Strauss II and Eduard Strauss. His father wanted him to choose a career in the Austrian Habsburg military. He studied music with Franz Dolleschal and learned to play the violin with Franz Anton Ries.
 He received training as an engineer, and worked for the city of Vienna as an engineer and designer. He designed a horse-drawn revolving brush street-sweeping vehicle and published two textbooks on mathematical subjects. Strauss had talents as an artist, painter, poet, dramatist, singer, composer and inventor.

【Family orchestra】
 He joined the family orchestra, along with his brothers, Johann Strauss II and Eduard Strauss in the 1850s. His first published work was called "Die Ersten und Letzten" (The First and the Last). When Johann became seriously ill in 1853 Josef led the orchestra for a while. The waltz-loving Viennese were appreciative of his early compositions so he decided to continue in the family tradition of composing dance music. He was known as 'Pepi' by his family and close friends, and Johann once said of him: "Pepi is the more gifted of us two; I am merely the more popular..."

【Family life】
 Josef Strauss married Caroline Pruckmayer at the church of St. Johann Nepomuk in Vienna on 8 June 1857 and had one daughter, Karolina Anna, who was born on 27 March 1858.

【Music】
 Josef Strauss wrote 283 opus numbers. He wrote many waltzes, including: Sphären-Klänge (Music of the Spheres), Delirien (Deliriums), Transaktionen (Transactions), Mein Lebenslauf ist Lieb' und Lust (My Character is Love and Joy), and Dorfschwalben aus Österreich (Village Swallows from Austria), polkas, most famously the Pizzicato Polka [It] with his brother Johann, quadrilles, and other dance music, and also some marches. The waltz The Mysterious Powers of Magnetism (Dynamiden) with the use of minor keys showed a quality that distinguished his waltzes from those of his more popular elder brother. The polka-mazurka shows influence by Strauss, where he wrote many examples like Die Emancipierte and Die Libelle.


〜[Excerpted from above wikipedia]

〜[上記wikipediaの日本語翻訳は次の通り。翻訳にはアプリ「DeepL」を使用。]  
 ヨーゼフ・シュトラウス(1827年8月20日 - 1870年7月22日)はオーストリアの作曲家。
...
 ヨハン・シュトラウス1世とマリア・アンナ・シュトライムの息子で、ヨハン・シュトラウス2世とエドゥアルト・シュトラウスの弟。ヨハン・シュトラウス2世とエドゥアルド・シュトラウスの兄である。父は、彼にオーストリア・ハプスブルク家の軍人になることを望んだ。フランツ・ドレシャールに音楽を、フランツ・アントン・リースにヴァイオリンを師事。
エンジニアとしての訓練を受け、ウィーン市のエンジニア兼デザイナーとして働く。馬が引く回転ブラシの街路清掃車を設計し、数学の教科書を2冊出版した。シュトラウスは、芸術家、画家、詩人、劇作家、歌手、作曲家、発明家としても才能を発揮した。
...
【ファミリー・オーケストラ】
 1850年代、兄弟であるヨハン・シュトラウス2世とエドゥアルト・シュトラウスとともに、家族オーケストラに参加した。彼の最初の作品は、"Die Ersten und Letzten(最初と最後)"と呼ばれた。1853年にヨハンが重病になると、ヨーゼフがしばらくオーケストラを指揮した。ワルツを愛するウィーンの人々は彼の初期の作品を高く評価していたので、彼は一族の伝統である舞曲の作曲を続けることにした。ヨーゼフは家族や親しい友人たちから「ペピ」と呼ばれ、ヨハンはヨーゼフについてこう語っている:「ペピの方が才能がある。
...
【家庭生活】
 ヨーゼフ・シュトラウスは、1857年6月8日にウィーンの聖ヨハン・ネポムク教会でカロリーネ・プルクマイヤーと結婚し、1858年3月27日にカロリーナ・アンナという娘をもうけた。
...
【音楽】
 ヨーゼフ・シュトラウスは283の作品番号を書いた。ワルツを多く書いた:球体の音楽』、『錯乱』、『取引』、『私の性格は愛と喜び』、『オーストリアの村のツバメ』など多くのワルツ、ポルカ、特に弟ヨハンとの『ピチカート・ポルカ』、カドリールなどの舞曲、そしていくつかの行進曲を書いた。短調を用いたワルツ『磁力の不思議な力』(Dynamiden)は、彼のワルツが、より人気のある兄のワルツとは一線を画していることを示している。ポルカ・マズルカはシュトラウスの影響を受けており、『エマンチピエルテ』や『リベル』など、シュトラウスが作曲した例が多い。





Wikipedia DE> https://de.m.wikipedia.org/wiki/Josef_Strauss


 ヨーゼフ・シュトラウス(* 1827年8月20日ウィーンのマリアヒルフ、† 1870年7月22日ウィーン)は、オーストリアのエンジニア、発明家、作曲家、指揮者。

〜[上記wikipediaの翻訳より抜粋。翻訳にはアプリ「DeepL」を使用。]







Wiener Ring-Ensemble
ウィーン・リング・アンサンブル
【KAJIMOTO】(梶本音楽事務所)より> https://www.kajimotomusic.com/artists-projects/wiener-ring-ensemble/


 ウィーンの旧市街を取り巻くこの街ならではのみごとな環状道路、“リング”にちなんで命名されたこのアンサンブルは、まさにウィーンの音楽を演奏するために結成された。
2016年までウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の名コンサートマスターとして同団を率いたライナー・キュッヒルを中心に、ヴァイオリン2人、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、フルート、ホルン各1人にクラリネット2人の9人編成で、ウィーン・フィルの腕利きの主要メンバーたちである。
 ウィーン情緒の香り高いシュトラウス・ファミリーやツィーラー、ランナーたちのワルツ、ポルカの演奏は、ウィーンに寄せる彼らの愛情と誇りを痛感させ、聴く者をこの上ない幸福感で満たしてくれる。
 ウィーン楽友協会での年末恒例のコンサート・シリーズでは、1999年以降、ウィーン・リング・アンサンブルの演奏会が毎年ブラームスザールで行われ、地元ウィーン子の絶賛を集めている。2002年夏には、ルツェルン・フェスティバルに招待された。
 日本へは1991年に初来日し、引き続き1993年以降毎年のように来日。ウィーンでの「ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート」に出演後、すぐに日本へ駆けつけてニューイヤー・コンサートを行い、本場の響きと香りをそっくり日本のファンに届けている。
 1998年には長野オリンピック文化・芸術祭参加公演に選ばれ、現地で2回の演奏会を行った。その他、度重なるテレビ放映やCDで、日本でもすっかりおなじみの存在である。
 2024年は32回目の来日ツアーとなる。

〜[上記「KAJIMOTO」サイトより抜粋。]






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