見出し画像

ラジオ生活:音楽の泉 レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」

聞き逃しサービス 2024/06/29 放送

音楽の泉


交響詩「ローマの祭り」
( Roman Festivals )
[ Feste romane, poema sinfonico ]
作曲: レスピーギ ( Ottorino Respighi )
東京フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)
アンドレア・バッティストーニ(指揮)
[2013年録音版]
(23分27秒)

開始より05分17秒頃 (終了より44分43秒前頃)


配信終了 2024/07/05 05:50
  
 (すでに配信終了してます)
 

番組情報



Google検索 URL>
https://www.google.co.jp/search?tbm=vid&hl=ja&source=hp&biw=&bih=&q=Ottorino_Respighi+Roman_Festivals



Bing検索 URL> https://www.bing.com/videos/search?q=Ottorino_Respighi+Feste_romane_poema_sinfonico













〜〜
〜〜〜
☆★☆ レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」について【目次】☆★☆
〜〜〜
〜〜
1. レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」について
 1.1 Wikipedia JA(日本版)の抜粋
 1.2 Wikipedia EN(英語版)の抜粋、および、その日本語翻訳
 1.3 Wikipedia IT(イタリア版)の抜粋、および、その日本語翻訳
〜〜

〜〜
2. 作曲者:レスピーギ について
 2.1 Wikipedia  IT(イタリア版)の抜粋、および、その日本語翻訳
 2.2 レスピーギ の作品リストへのリンク・Wikipedia EN(英語版)
〜〜


〜〜
〜〜〜
<<< 以下、参照しているWikipediaなどへのリンクはそれぞれの先頭あたりで紹介してます。>>>
〜〜〜
〜〜








〜〜
1. レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」について
 1.1 Wikipedia JA(日本版)の抜粋
〜〜

レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」
Wikipedia JA(日本版) URL> https://ja.wikipedia.org/wiki/ローマの祭り


 『ローマの祭り』(ローマのまつり、伊: Feste Romane)は、イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギが 1928年に完成させた交響詩。「ローマ三部作」(『ローマの噴水』、『ローマの松』、および本作)の最後を飾る作品。

【構成】
 単一楽章で4つの部分が切れ目なく演奏される。各部分は古代ローマ時代、ロマネスク時代、ルネサンス時代、20世紀の時代にローマで行われた祭りを描いたものであり、それぞれレスピーギ自身によるコメント(標題)がつけられている。以下ではその標題と構成を書いていく。

《》第1部 チルチェンセス Circenses
 「チルコ・マッシモに不穏な空気が漂う。だが今日は市民の休日だ。『ネロ皇帝、万歳!』鉄の扉が開かれ、聖歌の歌声と野獣の唸り声が聞こえる。群衆は興奮している。殉職者たちの歌が一つに高まり、やがて騒ぎの中にかき消される。」
古代ローマでは紀元前から平和の統治のために食料や娯楽が市民に提供された。いわゆる「パンと見世物」と呼ばれる政策で、チルチェンセスとはこの見世物のことである。前座に猛獣対猛獣や人間対猛獣の闘いもあり、重罪人やキリスト教徒らが猛獣の餌食とされた。この曲ではキリスト教徒と猛獣の対峙の様子を描いている。決闘は100日を超える市民の休日に開催され、ローマの貴族や善良な市民がオペラ鑑賞のように楽しんだ。また、チルチェンセスというのは、一名アヴェ・ネローネ祭ともいい、皇帝ネロが民衆を喜ばせるために円形劇場で行ったことからその名がついた。「アヴェ・ネローネ≪Ave, Nerone!≫」は「ネロ皇帝万歳」ということに相当する。なお、決闘はチルコ・マッシモではなく、ネロの時代は円形劇場で催されていたようである。
レスピーギは、キリスト教徒たちが衆人環視の中で猛獣に喰い殺されるこの残酷な祭りの一部始終を克明に描いている。導入部では闘技場に詰めかけた市民の喚声を表す部分とブッキナによるファンファーレの部分が交互に現れる。次第に、それらは渾然一体となり興奮が高まっていく。次の低音楽器によるスタッカートの場面では解説者によって解釈が異なっており、「闘技場の扉が開き犠牲となるキリスト教徒たちが重い足取りで入場する」「鉄の扉が押し開かれて飢えたライオンが姿を現す」などがある。弦楽器や木管楽器たちがキリスト教徒たちの祈りを思わせる讃美歌風の旋律を歌い始める。一方、猛獣たちの唸り声に似た低音楽器たちが荒々しく割り込む。弦楽器と木管楽器の歌声はより発展し、速度が増し、音高も高くなっていく。これに対し、金管楽器の猛獣の唸り声もだんだん高まっていく。
…  
《》第2部 五十年祭 Il Giubileo
「巡礼者たちが祈りながら街道をゆっくりとやってくる。モンテマリオの頂上方待ち焦がれた聖地がついに姿を現す。『ローマだ!ローマだ!』一斉に歓喜の歌が沸き上り、それに応えて教会の鐘が鳴り響く。」
五十年祭とは、50年ごとに行われているロマネスク時代のカトリックの祭(聖年祭)である。世界中の巡礼者たちがモンテ・マリオ (Monte Mario) の丘を登り、頂点へたどり着き、そのうれしさのあまり「永遠の都・ローマ」を讃え讃歌を歌う。それに答えて、教会の鐘がなる。古い讃美歌「キリストは蘇り給えり(Christ ist erstanden)」が使われている。
…  
《》第3部 十月祭 L’Ottobrata
「カステッリ・ロマーニの十月祭はブドウの季節。狩りの合図、鐘の音、愛の歌に続き、穏やかな夕暮れのロマンティックなセレナーデが聴こえてくる。」
ローマ郊外にあるカステッリ・ロマーニという地域で、秋のぶどうの収穫を祝って開催されるルネサンス時代の祭がモチーフ。ローマの城がぶどうでおおわれ、狩りの響き、鐘の音、愛の歌に包まれる。やがて夕暮れ時になり、甘美なセレナーデが流れる。

《》第4部 主顕祭 La Befana
 「主顕節前夜のナヴォーナ広場。お祭り騒ぎの中、ラッパの独特なリズムが絶え間なく聴こえる。賑やかな音と共に、時には素朴なモティーフ、時にはサルタレッロの旋律、屋台の手回しオルガンの旋律と売り子の声、酔っぱらいの耳障りな歌、さらには人情味豊かで陽気なストルネッロ『われらローマっ子のお通りだ!』も聞こえてくる。」
 ナヴォーナ広場で行われる主顕祭前夜の祭がモチーフ。三賢人がキリストを礼拝した主顕祭は、カトリック信者にとってはクリスマス以上に重要な行事で、その騒ぎぶりも半端ではない。さらに、イタリアでは1月6日の朝、魔女のベファーナが暖炉に吊るしてある靴下に良い子だった子供にはキャンディやおもちゃ、悪い子には木炭を入れていくという民間伝承が広がり、広場にはベファーナの人形や仮装、お菓子を売る屋台等で大変にぎわう。第4部のイタリア語の標題「La Befana(ベファーナ)」は、文化の違いに配慮したのか英語では「Epiphany(エピファニー)」と表記され、日本でもその流れで「主顕祭」と訳された。
 踊り狂う人々、手回しオルガン、物売りの声、酔払った人(グリッサンドを含むトロンボーン・ソロ)などが続く。強烈なサルタレロのリズムが圧倒的に高まり、狂喜乱舞のうちに全曲を終わる。

〜[上記wikipediaより抜粋。]



〜〜
1. レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」について
 1.2 Wikipedia EN(英語版)の抜粋、および、その日本語翻訳
〜〜

レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」
Roman Festivals (Respighi)
Wikipedia EN(英語版) URL> https://en.m.wikipedia.org/wiki/Roman_Festivals


 Festivals in ancient Rome were a very important part in Roman religious life during both the Republican and Imperial eras, and one of the primary features of the Roman calendar. Feriae ("holidays" in the sense of "holy days"; singular also feriae or dies ferialis) were either public (publicae) or private (privatae). State holidays were celebrated by the Roman people and received public funding. Games (ludi), such as the Ludi Apollinares, were not technically feriae, but the days on which they were celebrated were dies festi, holidays in the modern sense of days off work. Although feriae were paid for by the state, ludi were often funded by wealthy individuals. Feriae privatae were holidays celebrated in honor of private individuals or by families. This article deals only with public holidays, including rites celebrated by the state priests of Rome at temples, as well as celebrations by neighborhoods, families, and friends held simultaneously throughout Rome.
Feriae publicae were of three kinds:
Stativae were annual holidays that held a fixed or stable date on the calendar.
Conceptivae were annual holidays that were moveable feasts (like Easter on the Christian calendar, or Thanksgiving in North America); the date was announced by the magistrates or priests who were responsible for them.
Imperativae were holidays held "on demand" (from the verb impero, imperare, "to order, command") when special celebrations or expiations were called for.
One of the most important sources for Roman holidays is Ovid's Fasti, an incomplete poem that describes and provides origins for festivals from January to June at the time of Augustus.

〜[Excerpt from above wikipedia]
〜[上記wikipediaの日本語翻訳は次の通り。翻訳にはアプリ「DeepL」を使用。]

 古代ローマにおける祝祭は、共和政時代と帝政時代のローマの宗教生活において非常に重要な位置を占めており、ローマ暦の主要な特徴のひとつであった。 フェリアエ(「聖なる日」という意味での「祝日」、単数形ではフェリアエまたはディエス・フェリアリス)には、公的なもの(publicae)と私的なもの(privatae)があった。 祝祭日はローマ国民によって祝われ、公的資金が投入された。 ルディ・アポリナレス(Ludi Apollinares)のようなゲーム(ludi)は、厳密にはフェリアエではなかったが、それが祝われた日はディエ・フェスティ(dies festi)、現代でいう休日であった。 フェリアエは国家が費用を負担したが、ルディはしばしば裕福な個人が資金を提供した。 Feriae privataeは個人または家族によって祝われる祝日であった。この記事ではローマの国家司祭によって神殿で祝われる儀式や、ローマ中で同時に行われる近隣、家族、友人による祝祭日を含む祝祭日のみを扱う。
祝祭日には3つの種類があった:
 Stativaeは、暦の上で固定または安定した日付を持つ年間休日であった。
 コンセプティヴァエは、移動可能な祝祭日(キリスト教暦の復活祭や北米の感謝祭のようなもの)であり、その日付は責任者である判事や司祭によって発表された。
 Imperativaeは、特別な祝いや罪滅ぼしが必要とされたときに「要求に応じて」(動詞impero, imperareの「命令する、命じる」から)行われた祝日であった。
 ローマの祝祭日に関する最も重要な資料のひとつは、アウグストゥス時代の1月から6月までの祝祭について記述し、その起源を記した不完全な詩であるオヴィッドの『ファスティ』である。




〜〜
1. レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」について
 1.3 Wikipedia  IT(イタリア版)の抜粋、および、その日本語翻訳
〜〜

Feste romane (Respighi)
Wikipedia  IT(イタリア版) URL> https://it.m.wikipedia.org/wiki/Feste_romane_(Respighi)


 Feste romane è un poema sinfonico, del 1928, di Ottorino Respighi e descrive momenti dell'antica Roma ambientati fin dal tempo imperiale. Viene considerato una parte della trilogia romana, assieme a I pini di Roma e Le fontane di Roma, poemi sinfonici incentrati sulla città di Roma. Questo lavoro è il più lungo e tecnicamente il più esigente, ed è per questo anche il meno conosciuto della trilogia, quindi è meno spesso programmato dalle orchestre rispetto agli altri due.

〜[Excerpt from above wikipedia]
〜[上記wikipediaの日本語翻訳は次の通り。翻訳にはアプリ「DeepL」を使用。]

 ローマの祭り(Feste romane)は、オットリーノ・レスピーギが1928年に作曲した交響詩。 ローマ三部作のひとつとされ、『ローマの祭り』(I pini di Roma)、『ローマの祭り』(Le fontane di Roma)とともに、ローマを中心とした交響詩である。 この作品は最も長く、技術的にも最も難しいため、三部作の中では最も知名度が低く、他の2曲に比べてオーケストラで演奏される機会が少ない。






〜〜
2. 作曲者:レスピーギについて
 2.1 Wikipedia IT(イタリア版)の抜粋、および、その日本語翻訳
〜〜

オットリーノ・レスピーギ
Ottorino Respighi
Wikipedia EN(英語版) URL> https://en.m.wikipedia.org/wiki/Ottorino_Respighi
Wikipedia IT(イタリア版) URL> https://it.m.wikipedia.org/wiki/Ottorino_Respighi


 Ottorino Respighi, Accademico d'Italia (Bologna, 9 luglio 1879 – Roma, 18 aprile 1936), è stato un compositore, musicologo e direttore d'orchestra italiano.

 Appartiene al gruppo di musicisti reali artefici del rinnovamento della musica italiana di quegli anni, noti come "generazione dell'Ottanta", insieme ad Alfredo Casella, Franco Alfano, Gian Francesco Malipiero e Ildebrando Pizzetti. Respighi compose molte opere di vario genere (sonate, concerti, suites, opere liriche, cicli per voce e pianoforte e altro), ma è noto soprattutto per una serie di poemi sinfonici dedicati a Roma (la Trilogia romana) di cui il secondo, I pini di Roma, è il più celebre e di gran lunga il più inciso.

 Fu anche attivo come trascrittore e musicologo; in quest'ottica s'inseriscono le Antiche arie e danze per liuto (suites I, II e III), orchestrazione di brani rinascimentali, ma anche le trascrizioni per orchestra della Passacaglia BWV 582 di Johann Sebastian Bach, degli Études-Tableaux di Rachmaninoff e di brani originariamente scritti per pianoforte da Gioachino Rossini. S'interessò inoltre di musica gregoriana e produsse un Concerto gregoriano per violino e orchestra (1921) e la suite sinfonica Vetrate di chiesa (1926), basata su melodie gregoriane.

〜[ Excerpt from above Wikipedia.]  
〜[上記wikipediaの日本語翻訳は次の通り。翻訳にはアプリ「DeepL」を使用。]

 イタリアの作曲家、音楽学者、指揮者。

 アルフレード・カゼッラ、フランコ・アルファノ、ジャン・フランチェスコ・マリピエロ、イルデブランド・ピツェッティらとともに「オッタンタ世代」と呼ばれる、当時のイタリア音楽再生の立役者であった実在の音楽家グループに属する。 様々な作品(ソナタ、協奏曲、組曲、オペラ、声楽とピアノのための連弾曲など)を作曲したが、ローマに捧げた一連の交響詩(ローマ三部作)で最もよく知られている。

 ルネサンス作品のオーケストレーションであるAntiche arie e danze per liuto(組曲I、II、III)や、ヨハン・セバスティアン・バッハのパッサカリアBWV582、ラフマニノフのエチュード・タブロー、ジョアキーノ・ロッシーニのピアノのために書かれた作品の管弦楽のためのトランスクリプションなど、トランスクリプションや音楽学者としても活躍した。 グレゴリオ音楽にも興味を持ち、ヴァイオリンと管弦楽のためのグレゴリオ協奏曲(1921年)や、グレゴリオの旋律をもとにした交響組曲『ヴェトラーテ・ディ・キーザ』(1926年)を作曲した。





オットリーノ・レスピーギの作品リスト
List of compositions by Ottorino Respighi
Wikipedia EN(英語版) URL> https://en.m.wikipedia.org/wiki/List_of_compositions_by_Ottorino_Respighi






〜〜
〜〜〜
〜〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?