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永遠のヒーロー 坂本勇人

昔からこうやってスポーツのこと、いや野球のことを記事にするのは夢だった。記事と名乗れるほどのものでもないかもしれないが…笑

そんな中での1回目に書く記事は、私にとっての永遠のヒーロー坂本勇人。今では巨人軍の主将として巨人ファンだけではなく、野球ファンからも人気を集めている選手。走攻守という野球の技術はもちろん、貪欲に練習へ取り組む姿も今ちょうど真っ最中の春季キャンプでも少し話題になっている。宿舎は選手の中で1番に出るらしい。決して昨年のチームの優勝、自身のMVPに浮かれることはない。2000本安打も、あと116本にも迫っている。いち早く達成してもらいたい。

今回の記事では、私と彼のプチエピソード、そして坂本勇人という人物から学べることを書いていくことにしよう。

あれは2009年、私が小1の時の夏休みの出来事だっただろうか。巨人軍で働いていた人と父親が大学の同級生で仲が良かったという関係で、私はナイターの巨人対阪神の試合前の練習をグラウンドレベルで見させて頂いた。当時、まだ野球を始めておらず、巨人ファンなりたてで、坂本選手とラミレス選手ぐらいしか知らなかった。試合前練習はプロ野球選手の打球のスピードと飛距離に度肝を抜かれたことだけは覚えている。その後、わざわざロッカーから出てきていただいて、その日東京ドームで買った彼のユニフォームにサインをいただいた。

そんな中、まず1番に驚いたことは背の高さ。当時の私からすれば、あんなに背の高くてスタイルの良い人と出会ったことはなく、プロ野球選手のオーラをどっしりと受けた。

そして次に驚いたことは彼が左利きであったこと。目の前に坂本選手が来て、冷静に右投げ右打ちの人が「なぜ左手でサインを書いているのだろう」と冷静に気づけた私を褒めてほしい。ちなみに彼のような左利きのAB型は1%としかいない。同じ巨人だと畠投手も左利きのAB型なので、より一層今年の活躍に期待したい。

そんな私のエピソードはさておき、本題に入ろう。彼についての記事は、これからもたくさん書いていくと思うので、今回は坂本勇人という人物から学べることについて、それだけ私的に分析してみたい。

坂本選手は、まずは気配りがとてもできる人間であることは確かだ。主将に就任してからは特に、試合中にピンチの場面などで、若手投手に
声をかけに、マウンドへ行く姿などはとても頼もしい。記憶に新しいこととしては、2017年のWBCオーストラリア戦。6球連続ボールと苦しんでいた岡田俊哉投手(中日)に、マウンドに駆け寄り「頑張れ!」と声をかけているところが、とても印象的であった。侍でもチームを引っ張っていこうという意識の現れであった。

また、気配りという面に関しては巨人の後輩への厳しい一言である。これが気配りかと言われればそれはわからないが、彼より年下の野手で3年間レギュラーで定着した選手はいない。そのことを彼自身もかなり気にしており、テレビ越しにも若手に喝を入れるというシーンをよく目にする。坂本選手ぐらいの立場に行けば、できて当たり前と思われてしまうかもしれないが、なかなか簡単にできることではない。「巨人軍」というチームの未来を彼自身が背負っているという自覚があることの証だ。

そしてもう1つ。彼のオンオフの切り替えというのは尊敬に値する。普段はやんちゃで、先輩にもよくちょっかいを出したりして、ほんとに先輩にすることなのか!?ということもたまに目にしたり、小耳に挟んだりもする。それでも、いざ練習になれば、先輩にも後輩にも助言やアドバイスを求め、ひたむきに練習を続ける彼の姿がある。あの成績で、さらにトレーニング方法などを自分で調べて成長していこうとする向上心はなかなか持てるものではない。「変える」ことの意識を持つこと自体が、怖くて、なかなか難しいことであるが、恐れない。それが30歳を超えたシーズン、そしてショートとして、40本のホームランを打てた要因とも言えるであろう。

このオンオフの切り替えという言葉はよく使われるが、とても難しいことであると思う。絶妙なバランスがとれており、本当に凄いなと実感する。

このように、坂本選手について書いたが、彼を述べるにはこんなものじゃ足りない。もっともっと書けることはたくさんある。しかし、今回はここまで。永遠のヒーローとして君臨し続ける坂本勇人の更なる活躍に期待しよう。

#プロ野球 #ジャイアンツ #坂本勇人
#永遠のヒーロー