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多彩な感覚と感性と多様な経験が消費者に「買われる」時代になった。

学歴、学歴と言われた昭和の時代は、何はともあれテストの点が大事で、偏差値で人間が測られ、それに伴う最終学歴がものを言う時代でした。企業が船🚢だとしたら、その船に乗れるのは優秀な学歴をつけた人たちだけであり、それに乗れなかった人はお金を大きく稼ぐチャンスが無いと考えられた時代でした。

これはテレビ、冷蔵庫、自動車などの企画商品が大量に売れる時代、つまり工業化社会だったからであり、工場で規格製品を作ったりするのに優秀な人材というのは学校のカリキュラムをより良く理解し習得した人たちが適していたのです。これはとても必要なシステムだったと思います。

ところが途中から社会の様子が変わり始めました。

学歴をつけても良い就職に必ずしも繋がらないというアンバランスが生まれたのは1990年代からで、それを「平成不況のせいだ」とか「バブルが崩壊したからだ」とか、或いは「国の政策が悪い」などなどの理由・犯人探しがよく行われていた気がします。私は経済学者じゃから難しいことはわからないのですが、当たり前の感覚で考えると、1990年代以後はダイエーが潰れたり、そごうが赤字に転落したりと、それまで栄華を誇ったはずの巨大スーパーや百貨店や電機店が苦戦を強いられましたが、それはつまりテレビや冷蔵庫はもう「みんな持ってる」という状態に陥ったからではないかと思います。それまで日本の内需や経済成長を支えたものが行き渡った。つまり、豊かになった。これが大きな原因の一つではないかと思うのです。

そうなると、例えば電化製品の街だった秋葉原はパソコンを売る街に変わりましたし、ところがパソコンがある程度、消費者に行き渡ると、なんということでしょう、秋葉原はアニメや地下アイドルの街になりました。

これは仕方のないことで、もう既に持ってるものを売ろうとしても売れるわけがなく、それを持ってることを前提に人々の欲求は次のステージへと移るという至極当然なことだと思うのです。

そしてこの電化製品や一般的な物流製品が下火になるタイミングでインターネットが登場してAmazon、アップルコンピューター、YouTube、Twitter、Facebook、Instagramと人々の生活の中に高速通信とそれによる多角的なコミニケーションのツールが敷かれていきました。人々の生活はたくさんの情報やサービスを素早く安価に手に入れる環境へと変わりました。この環境整備が変わったところに旧来のビジネスを持ち込んでそれが「売れない」からと言って不況だとか政府が悪いとかいうのはちょっと違うのではないかと私は思います。

かく言う私も、ずっと20年音楽業界にいましたが、音楽なんてダウンロードで聴けるようになればCDは売れなくなるし、情報もネットの方が速いから雑誌は売れなくなるし。私は瞬く間に音楽関係の仕事を失う運命になりました。その私が「音楽不況は許せない!ダウンロード反対!」とか「旧来のレコード・CD文化を守るために政府は規制を!」とか訴えたら、それは単に変な人であり、その主張は間違ってると私は思います。私の母が幼い頃は、家の隣には馬の蹄(ひづめ)に蹄鉄を打ち込む職人さんがいたらしいです。ところが車社会になったら、当たり前ですが、その蹄鉄職人さんはいなくなったそうです。「蹄鉄職人が可哀想だ!不況だ!」というのはやはり間違いであり、それと同じで私が音楽の仕事を失ったのもやはり仕方のないことだったのです。それがわかってましたから私は音楽の仕事を去った後はひたすらに投資・相場のアプリを触って研究してました。次の時代はこれだと思ったからです。

話を戻しますと。

1990年代以降に日本の社会は本当に大きく変わりました。それまでの昭和の社会は、物も情報も不足していて、それをたくさん供給するための大量生産・大量消費・大量物流のだったのです。それを支える、作るための優秀な人材確保。それに学歴主義というシステムはよくマッチしていたのだと思います。

ところが社会はどんどん進化して。

人々の欲求は冷蔵庫があるとかテレビがあるとかいうことでは満足できなくなってきました。もっと多様な趣味や多様な世界について知りたいし体験したいし行ってみたい。自分の知らない世界のこともどんどん目に入るようなインフラ整備ができたのです。すると。

野外で美味しくステーキを焼く人。
上手にけん玉をする人。
イノシシを仕留める人。
登山する人。
ギターを弾く人。
あちこち自転車で旅をする人。

こういった人たち…もうこれらの人たちを何かのカテゴリー分けで表現するのは無理で、なんていうか…人生を楽しんでる人たち全般が、その経験や感性をインターネットで発信して世界にアピールできていく時代になりました。そしてそれが金銭的収入になる。そんな時代になったのです。

かつての。

お金儲けしたかったら大企業という船に乗らないといけない。
そのために学歴をつける。

…みたいなのは、当然、無くなりはしませんが、比重は随分と少なくなったのではないかと思います.その企業に入ったとしても「副業を推奨する」とか「あなたの個性は何ですか?」とか言われる時代です。

個性。

それは感性や感覚や経験です。
人それぞれ違う。
その違いが。
魅力であり、人を惹きつける要素であり、ひょっとするとお金儲けのツールになるかもしれない。ガンプラをひたすら上手に作ったって以前は「オタク」としか見られませんでしたが今ではその可能性たるやどれほどのものかは計り知れないと思います。ラーメン屋やケーキ屋の食べ歩きだってとことんやれば強力な情報発信者となるのですから。

言語学者のソシュールはたくさんの言語記号があるとそれだけたくさんのツールを持つことになりより世界を深く知ることができると言いました。例えば池の中にどれだけの生き物や微生物がいるか。その存在(記号)がたくさんあればあるほどその池のことを詳しく知ることができます。逆に池の大きさ200平方メートル、深さ5m、水温5度。の3つでは何もわかりません。

人間は。
数値に測れない魅力や不思議さを持ってると思います。
それを数値に限定して測られた、判断された時代。学歴の時代はやや横暴な時代であったと思いますしそこから漏れた人材もたくさんいたと思います。

多様な感性や個性が生きる。そういう意味で。インターネット社会はより多くの可能性を秘めた、何が起こるかわからない、希望と楽しみがある時代ではないかと思います。

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