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陶器の魅力について

かなり昔ですがお酒を飲むなら日本酒が良くて焼酎は貧乏人が飲むものと言われてました。

じゃあ日本が戦後の経済成長で豊かになったら日本酒をみんな飲むようになったかと言うとそれは逆で、日本酒の消費は減って焼酎の人気がむしろ上がりました。

焼酎のことを「貧乏人が飲むもの」と卑下した見方は一体何だったのでしょうか。

単なる偏見か勘違いかもしくは味覚が変わったかですが、少なくとも焼酎の価値は低いものではなかったのです。

これと似てるのがホルモンとかモツなどの内臓の肉で、ホルモンなんか貧乏人の食うものだとやはり卑下されてました。しかし日本がバブル最盛期になって豊かになった頃からモツ鍋ブームが始まるというよくわからない現象が起こりました。

高級食材といえばキャビア、フォアグラ、トリュフです。果たして自分がもし億万長者になったらあれを毎日食うのかと言われると大変怪しいものです。豆腐は安いですがもしあれが少数の貴重食材になったら"天女の白肌"とか言われそうだし。高級な懐石料理と大衆中華や屋台のおでんだったら自分はどう考えても中華とおでんの方がうまいと思います。

何が言いたいかと言うと数字の暴力というか、富が生み出す錯覚みたいなのがあると思います。値段が高いとか安いとかいう価値判断は、時に間違ったモノの見方をしてしまうことがあると思うのです。焼酎は確かに安いですがその安いことがまるで悪いことかのように決めつけていた昔の価値判断は大きな間違いでした。

すごく面白かったのが香川県の讃岐うどんブームで、東京や大阪など遠方から来たお客さんが香川県にうどんを食べに来て、高級店に行くのかとと思ったらまるで逆で、山奥の看板もないような掘っ立て小屋のようなうどん屋ほど行列ができました。人気が出ました。

うどんが美味しいかどうかの価値基準に高いか安いかの視点は一切入らなかったのです。値段では計れない豊かさとか価値があります。 本当の文化と言うのはそういうものだと思います。

自分はもともと音楽とか映画とか絵画が好きで、芸術・美術関係のものはよく見聞きしていました。しかし、器とか陶器の世界にはあまりなじみがありませんでした。どうしてかと言うと「なんでも鑑定団」とか見てたら、結局のところ古伊万里とか朝鮮青磁とか何百万、何千万もするような器がもてはやされる世界であって自分のような庶民にはそれは全く関係のない世界だと思ってました。

しかし、自分が古民家を改装してそこに住み始め、そこで思ったのが「値段が安くてもそれが悪いとは限らない。」という事でした。家を解体する解体屋さんに聞いたら「古民家は最強やね。普通の家と比べたらユンボで掴んで引っ張っても全然壊れないし、壊しても木材は3倍ぐらい出るし、しかも壊した廃材はほとんどすべて土に還る。考えられない凄さだよ。」との事でした。

値段に惑わされることは無い。良いものは何がどう転んでも良いものなのだ。

そんな確信を持ちました。

そしたら、器とか陶器にも、全く別の見方ができるようになりました。市場価格が安いとか、骨董的な価値がないとか、そんな事はどうでもいい。人知れず隠れたところにあるような掘っ立て小屋のうどん屋のような。小さいけども大きな魅力、そんな価値だってあるはずだ。

そう思い始めてからは、色とか形、純粋に自分が好きだと思える器。そこにまっすぐに視点を置きながら陶器を眺めることができるようになりました。

そしたらもう面白いのなんの。

特に手書きで絵付けしてある器は、スーパーの売り場にあるようなものでもすぐに手に取って見てしまうようになりました。

陶器店巡りをしていて、とても面白い話も聞けました。徳島県徳島市のキタ陶器店のマスターの話はとても参考になりました。

「あちこち器を見て回るのもいいけどね、やっぱりね有田焼きが一番だよ。世界一は有田だよ。良い器の条件ってなんだ。それは丈夫で軽くて美しいこと。そして安いこと。有田焼きの薄さを見てごらん。軽さを見てごらん。あの白さを見てごらん。これでこの安さ。こんなすごい器は無いよ!」


自分たちが普段使っている有田焼の魅力にも、また気付かされました。安いことが有田の凄さだったんですね。

自分の陶器コレクションには骨董的価値のあるものとかそんなものはありませんが、本当に可愛らしいというか見てて飽きない魅力は本当にあります。日常使い、庶民の民芸品としての器。そこに自分はとても惹かれています。


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