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錬金術、小泉八雲、そして、日本人。

錬金術って怪しい…と思われる方は大変多いと思うのですが、少しだけ、説明させてください。

錬金術が秘術・魔術を研究するものだったことは事実です。しかしその中身をよく観察すると占星術・天体観測だったりとか、物質の化学変化や調合を実験するものだったりします。星や草木が対象でした。ではどうしてそれが怪しいとされたのでしょうか。

話が少し遡りますが、ミラノ勅令によりローマ帝国がキリスト教を国教と定めた後にヨーロッパ諸国は一気にキリスト教圏となっていきました。キリスト教はイエス・キリストを唯一の神とします。それ以外には神はいないと考えます。もしそれ以外に神などの存在を認めたら異教徒扱いされてしまいます。

ケルトの森にいた妖精も、北欧にいた神話の神々もキリスト教以後はいないことになりました。それらは認められる存在ではなくなりました。

錬金術を研究した中世ヨーロッパの人たちは自然主義者だったと私は思います。天空を支配する星や天文の力が存在し、野原に生えてる草木には何かしらの生命が宿り何かの力を持っている。その自然の底知れぬ力を信じたのが錬金術師たちだったのです。

錬金術を研究していたアイザック・ニュートンは地球の持つ万有引力を発見しました。同じく錬金術師でフリーメーソン だったウィリアム・ギャンはひたすらに星を観察することで戦争や相場の暴落を見抜いてそれを予言しました。彼らはこの世は神様が作ったという教義を鵜呑みにするのではなく、この宇宙や大地と向き合って自分の目と耳で感じそして答えを求めた人たちだったのです。

それはキリスト教という宗教の教義からすれば異端であり、異教徒であり認められない怪しいものでした。しかし彼ら錬金術師たちはその既成のタブーを破って新しい知の経験を求めた人たちだったのです。

私は、何かの疑問にぶち当たった時には、誰かの意見を鵜呑みにしたり回答を最初からカンニングするのではなく、異教徒と呼ばれても自らの知で戦った彼らのようでありたい。例え出した答えが違ってても。そう思います。

私は知に対する切実さ…という意味で、中世ヨーロッパの錬金術師たちを尊敬しています。もちろんかなり怪しいこともたくさんあるのは事実ですが。笑

キリスト教圏から日本にやってきたラフカディオ・ハーン、小泉八雲は、日本のことを指して「死の国」と言いました。それは軽蔑したのではなく、驚きと尊敬をもってそう表現したのです。キリスト教圏では死者は天国に行きます。それが絶対であり疑ってはいけません。そういう教育を受けたハーンは日本に来て驚愕したのです。死者の魂はまた人間の元に帰って来るし、日本のお盆やお祭りは死者と生者が一緒になって過ごしている。

日本人は魂はまた自然に帰り、故郷に帰り、木や石や家に棲むものだと考えます。ラフカディオ・ハーンはこの光景に驚いたのです。そしてハーンの見たその光景とは、中世ヨーロッパで異教徒扱いされた錬金術師たちが見ようとした光景と同じではないかと私は思います。

「この世を支配するのは自然律である。」

これが錬金術の態度なのです。

#koko書房

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