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物書きとして迎える6月17日

自分のことなので本当にどうでもいいのですし人に言うことでもないのですが自分は国語の成績はとても悪かったです。

親が学校の教師で、学歴をつけたかったらしく、中学お受験して私立中学校に入学しました。しかし残念ながら学校の成績はあまり良くなくて特に国語は最悪。国語の順位は学年で下から2番目でした。現代文とか、なんでこんな質問をされないといけないのかがわかりませんでした。

学校の勉強に不真面目だった自分ですが、中学生の時にその頃は画期的だったワープロなるものに興奮して、それを触りまくって、文字を打ってました。中学2年のころから映画を見出したり、歴史小説を読んだりし始めたのですが、特に映画については見た後の感想文をワープロで打ったりしてました。

中学校の先生で映画好きな先生がいて、その先生に自分の感想文を読んでもらいました。「オマエ、なかなか面白い文章を書くな。国語の成績は良くないのに。」と言われました。私立だったのでそのまま高校もそこの学校に行くことになり、相変わらず映画を見まくる生活をしてました。感想文も書いてました。国語の成績が悪いのも変わらず小テストではゼロ点取ったこともありました。しかし、映画を見てその感想をまとめ、その作品を人に紹介するのは楽しくて止まりませんでした。

ある日、「オマエの感想文、その作品紹介文を出版社に送ってみろ」と先生に言われ、それからはたまに映画批評の出版社に自分の文章を送ったりしてました。「あなたの紹介文、読みました。」と映画批評家の淀川長治さんから絵葉書をもらったのは高校2年生のときでした。「このまま出版業界に行ったらどうか」とも言われましたが親が許すはずもなく、いや、それよりも、自分は高校2年で映画を見るのをぴたりとやめてしまったのです。昔、どこかで書いたことがありますが、ある友人が「オレの兄ちゃんの部屋に来てみろ。レコードがたくさんあるぞ」と言われて遊びに行って。そこでレッドツェッペリンとかいうバンドのレコードを聞かせてもらいました。

自分の人生が、と言っても、たかだか17歳でしたが一変する瞬間でした。なんなんだこれは、無茶苦茶すごい!映画見てたキャリアはそこでオールリセット。一気に音楽にのめり込みました。右も左もわからないから右も左も全部調べて聴いていく。新しいスタートでした。

インターネットなんて無い時代ですから雑誌が情報源でした。しかし、そこで衝撃的な出会いがもう一つありました。

この形のない音楽というものを、文章で解説してくるすごい人達との出会いでした。それは映画の世界とはレベルが違うものでした。自分がこの人は本当に物書き、音楽ライターとして最高だと思ったのはメルツバウの秋田昌美さん。そしてフールズメイトの北村昌士さんでした。このお二人には敵わない、絶対こんな文章は自分は書けない。けど、とりあえず知識はつけないと。

物書きとして、音楽ライターの真似事をしながら秋田さんや北村さんのようにいつかなりたい、あんなすごい文章をいつか自分も書いてみたい。そう願いながら過ごした20代でした。

しかし時代はインターネットの波が襲い。音楽ライターという仕事も消滅するはおろか、音楽業界そのものがビジネスとして難しくなる時代が到来してしまいました。北村さんも若くしてお亡くなりになり自分は少し編集を手伝うぐらいしかできませんでした。

そして、音楽業界で食えなくなった自分は転職を余儀なくされてしまい、その途中で始めたFXでも全額破産するという踏んだり蹴ったりの30代を過ごしました。

後はご存知の通り、自分の研究対象はテクニカル分析に移り、そこで失敗を繰り返して、本当に失敗をしまくって。今に至ります。

物書きとしてのスタートは最初を言えば中学生のときであり、途中で音楽ライターもどきみたいなことをやってました。まさかこんなことになるとは思いませんでしたが、今はFXや金融の記事をゴゴジャンやnoteに書かせて頂いてます。

6月17日は北村昌士さんの命日でした。「北村さんに憧れて物書きになろうとした自分は、時代の変化と共に立ち位置が激しく変わり、今は金融の記事なんかを書いてます。北村さんはきっといいんじゃないのと言ってくださるのではと思います。北村さんからの影響で学んだ構造学、記号論という考え方は不思議ですが音楽からFXに移ってからの方が役に立ちました」と。なんかそんな報告を心の中でした6月17日でした。

「音楽って見えないじゃん。思考っていうのも見えないよ。でもさ、言葉にするとそれは見えるしわかるし伝わるよね。言葉のことをさ、ずっとオレは考えてるよ。ソシュールとか読みながらね。」(北村昌士)

同じように、わからない相場の値動きを、言葉や記事にして、わかるようにしていきたい。伝わるようにしていきたい。同じようにソシュールやヤコブソンを読みながら。時代や立ち位置は変わりましたが物書きとしてのスタート地点は忘れたくない。

そんなことを考えた6月17日でした。



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