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小学生の時テレビにかじりついて思い描いた「アントニオ猪木 vs ジャイアント馬場」の夢の一戦

社会は進化した方が良いのか。

それとも進化なんかせずに古いまま伝統を守る社会の方が良いのか。

進化型になれば最先端の情報が常に入ってくるし、その代わり従来のやり方は崩れていく。伝統型になれば最先端の情報は全く入ってこなくなるけどその代わり伝統と格式は守られる。

力道山亡き後、新日本プロレス(アントニオ猪木)と全日本プロレス(ジャイアント馬場)とに分裂した日本のプロレス界は、

進化型の猪木 
伝統型の馬場

…という二つの路線に分かれました。猪木は異種格闘技路線を繰り広げボクサーや空手家や柔道家と対戦しました。新しい格闘技を模索することを第一としました。馬場は力道山からの伝統と格式を守るために対外試合は全く行わず本来あるべきプロレスの形を守っていきました。

猪木の元からは佐山聡や前田明という若手が育ちましたが、佐山はシューティング、前田はUWF、船木はパンクラスという新団体を次々に立ち上げ新しい格闘技の形を模索していきました。これはアントニオ猪木の進化する遺伝子を受け継いだからだと言えると思います。

一方でジャイアント馬場の付き人だった大仁田厚はケガでプロレスができなくなって、そんな自分でもできるプロレスを考えて電流爆破マッチとかデンジャー路線を進みます。しかしそういうことは馬場さんが大嫌いなことだというのは大仁田自身が一番わかっていました。だから彼は自分のことを「邪道」と名乗るのです。それは馬場プロレスの「正統と格式」に対する彼なりの敬意であったと私は思います。

馬場の元を飛び出て裏切り者扱いされた天龍源一郎ですが、その彼も異種格闘技みたいなことはやりませんでした。あくまで馬場プロレスのスタイルを貫き通しました。その天龍がミスタープロレスと呼ばれるようになったのはある意味必然だったと思いますし、対外試合をやらなかった全日本プロレスの最大のイベント、チャンピオンカーニバルで優勝した三沢や川田が「これが全日本プロレスです」というマイクアピールを行っていたのも象徴的だと思います。

世界はやはりグローバル社会ですので、結局、格闘技の世界は進化型の波に乗っていきました。猪木の視点の方が長い目で見たら勝っていた、と。私は思います。

総合格闘技で使われるオープンフィンガーグローブを最初に考案したのは初代タイガーマスクの佐山聡と言われますし、その総合で底無しの強さを見せたエメリヤエンコ・ヒョードルは前田明のリングスの選手でした。それら総合格闘技という現代の格闘技の最先端のルーツを遡っていけば。それはアントニオ猪木という人物にぶち当たります。

その偉大な功績は今更強調するものでもないですし分かりきったことです。

今回の訃報は確かに残念ですが、アントニオ猪木の作った道を今の格闘技選手たちが歩いているわけですから、それらを見ていくことが追悼になるのではないかと思います。

私が小学校の時に、夜8:00から新日本プロレスが中継されていました。蔵前国技館でのハルク・ホーガンvsアントニオ猪木の試合もテレビに齧り付いて見てました。もちろん土曜日の午後5:00からは全日本プロレスを見てました。(笑) 猪木と馬場は対戦したらどちらが強いのか?これはテレビにかじりついて見ている小学生の疑問でした。あれからもう40年が過ぎましたがアントニオ猪木 vs ジャイアント馬場の一戦は実現することなく、これで完全に幕は閉じました。唯一、救いだったのは1994年1月4日に猪木 vs 天龍戦が実現したことだったと思います。

私は大の格闘技ファンでアルティメット大会は第一回から見てます。格闘技について喋り出すと止まらないという性質。この前、ある女性の占い師さんに格闘技の解説してあげてたら「わかった。わかったから。」と止められ「今度ワークショップで格闘技の歴史を解説する」と言ったら「あ、私は遠慮します」と言われました。

アントニオ猪木さんのご冥福をお祈りします。

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