善悪って何でしょう

■0.はじめに

善悪って何でしょうか。

 神様が決め事?人の心?

 それぞれの人がそれぞれの考えを持っているであろうこのことについて、私の考えを書いていきます。

 結論から述べると、

「人間社会という側面から見れば霧のように存在し、人間社会という枠を外せば存在しない」

です。

 善悪について、その意味と定義について私の考えを書いていきます。

■1.人間社会における善悪とは何か

 まず人間社会から考えてみましょう。今現在を考えると、「困っている人を助けることは良いこと」「人を殺めるのは悪いこと」というのはほとんどの人(全員とは言いません)に共通した認識でしょう。

 科学技術が発展し、ロボットが日常に当たり前にいる世界になったとしましょう。その世界では常に人間の動向をロボットが監視しており、困ったことがあればすぐにロボットが助けてくれます。そんな世界の中で、Aさんが散歩していると、見知らぬ人(Bさんとします)が階段を転がり落ちてしまいました。かなり大けがをしているようです。
 しかしその世界ではロボットが常に人間を観察していますから、間もなくロボットが最寄りの病院まで運んで行ってくれるでしょう。その場で応急処置もしてくれるかもしれません。

 仮にAさんがBさんを助けようとすると、駆け付けたロボットの救出活動を邪魔することとなり、逆に「困っている人を助けることは悪いこと」となってしまうのです。

 それをわかっているAさんは、「痛そうだな…」と思いつつもBさんを助けず、散歩を続けました。

 …例えが上手くなかったかもしれませんが、意味合いは伝わったでしょうか。

 このAさんについてあなたは、「酷い人だ」「非常識だ」と思うでしょうか。

 私も現代の人間なのでそこまで他人に無関心な世界は訪れてほしくないとは思いますが、その世界ではそれが「当たり前」です。

 そうです。そもそも現代とは常識が違うのです。今の時代と常識が違うので、善悪の定義が変わっているのです。それが普通の世界であれば、仮にその場面を傍からCさんが見ていたとしてもAさんを非難したりしないでしょう。

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 次に「人を殺めるのは悪いこと」について考えてみます。「これは不変の事実だろ!」という気持ちはわかります。ただ、この話を戦国時代として考えてみるとどうでしょうか。戦いにおいて武士が評価されることが何でしょう。敵の城・領土・財産を手に入れることです。その手段として抵抗する敵兵を殺めることに悪という認識はないでしょう。心苦しい気持ちがあったとしても、「領土拡大のために仕方がない」という考えでしょう。

 この場合人類共通認識ではなく、ある武将の下につく武士達にとっての常識ですが、その中では「領土拡大するために敵兵を殺めること=善」ということが言えます。

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 現代で言えば海外では頬を合わせる挨拶がありますが、日本で行おうとすれば場合によっては悪になってしまいます。このように現代でも国・地域で文化の違いによる常識の違いはあります。つまり善悪とは、

 「今現在の人間の常識の上で成り立つ、ある一定の地域内における人間同士が争いなく生きやすいためにお互い守るべきと定めたルール」

です。

 ある一定の地域と言いましたが、現代では、「困っている人を助けることは良いこと」「人を殺めるのは悪いこと」については人類全体の常識として受け入れられているでしょう。

 一方で「挨拶では頬を合わせる」などは一定の地域内でのルールとなっています。

 例のようにこれからも常識は変わっていきます。それに合わせて、善悪も変わっていきます。

 あなたが人間社会を生きるのであれば、地域に合わせて善悪を守る方が圧倒的に世の中を生きやすいです。

 ただ一方で、あくまで生きやすいために定められたルールであり、人間社会という枠を取り払って考えた場合、善悪は存在しません。


■2.善悪の定義について

 あなたがどこの国にも属さない、周りに人が全くいない荒野に立っていたとします。全く他者に関わらないのであれば、善悪などありません。お互いの生きやすさなど考える必要もなく、自分の信じることを信じ、行動したいように行動すればいいのです。

 「悪いことをしている」と言われた人がいたとします。その人は何を持って「悪いことをしている」と判断されたのでしょうか?

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 私は60年代のグループサウンズ、ベンチャーズという音楽、バンドが好きです(以下、便宜的にロックと称します)。これを例にして話をします。

 60年代はまだまだ演歌(わかりやすいために演歌としますが、当時はまだ演歌区分は明確にはなく、歌謡曲、ムード歌謡との線引きはあいまいでした)や歌謡曲(流行歌)、民謡が好きな人が一般的であり、ロックは若者(10~20代)だけが好きな音楽でした。当時のロックは長髪(といっても肩にかかる程度)、エレキギター(歪みはほとんどありません)での演奏でした。ビートルズを想像してもらえば分かり易いと思います。

 大人達は見知らぬ音楽への抵抗感が強く(現代の大人より、より保守的な人が多かった)、「エレキギターを持つと不良になる」「長髪なんてけしからん」という考えから、ロック=悪いもの、とされ、ロックから青少年を守る、という考えが当時の世論でした。

 そんな世論を反映させた例として、当時のNHKではロックバンドのほとんどはTV出演中出来ず、例外的に出演できたロックバンドは、七三分けにスーツ・スタイルのジャッキー吉川とブルー・コメッツ、髪が短髪に素朴なメロディの加瀬邦彦とワイルド・ワンズだけでした。また、「ロック・ライブに言ったら退学」という学校もあり、ライブ会場の入り口で教師が見張っていた学校もあったほどでした。

 そんな世論の大反対にも負けず、様々なロックバンドが活躍し、後世の邦楽ロック、引いては音楽業界に多大な影響を与えました。

  そんな大反対があったことは露知らず、現在では老若男女多くの人がロックを演奏・視聴しています。

 当時の世間の常識の逆風に負けず、自分の信じるもので進んで行った結果、現代があります。

 仮に全ての人が「常識」に従い、ロックを辞めていたら、今の日本にロックはなかったかもしれません。

 周りが「常識」で「そんなことはしてはいけない」と言っても、自分が信じるものがあれば、それを信じていいのです。

 最初に人間社会における善悪の定義として「霧のよう」といったのはこのような話があるからです。

 善悪を霧に例えると、霧の無いところ=皆が善と思うことは「困っている人を助けること」です。逆に霧が深いところ=皆が悪と思うことは「人を殺めること」です。そして霧が浅いところ=善悪がはっきりしていないことは先ほどの例でいえば「ロックをやること」です。霧は常に動き、濃度を変えていきます。世間では否定されても、自分が信じて続けていけば常識が変わり、霧が晴れていくかもしれません。

 現在肯定・否定されていることも、世間一般の善悪ではなく、「自分はその行為についてどう思うか」自分本位で考えてみると、新たな知見が得られるかもしれません。


■3.終わりに

 始めて書いたNoteですが、これは自分の価値観の忘備録として書いているため、特に何か人々に啓蒙したいとかそんな考えは全くありません。

 同じ思想の人、逆に、全く違う意見を持つ人と是非話したいと思います。

 気軽にコメントをください。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

P.S 当初は「善悪は本質的に存在せず、人間が定義づけているだけ」の部分を掘り下げて書くつもりでしたが、書いているうちにこのような文書になりました。

 執筆期間(2020.9.6 21:09-23:50)

 2020.9.6 タイシン

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