幸せに導く牛 2
仕事は、父が始めた牧場で肉にするための牛の飼育をしている。
住んでる実家の近くにあり、大学を出た2年後に就職したのだ。
この牧場は、このあたりでは大きく、県内の同業者の中ではまあ知られている。
牧場というと、のどかな感じだが、不景気の影響もあり、大変な環境、理不尽な状況もある。
休みと給料が少なめで、3K。(危険、汚い、きつい。最近使わない言葉だが。)
自己中な社長。
ガンコな職人タイプで、思いどおりにうまくいかないと、人目もはばからず、ギャンギャン騒いでしまう。
自分の好きなようにやって、皆もがんばって、ある程度うまくいってるのだから満足だろうに心に波風立てば、そのつど人に当たって発散。
そんな調子で、けっこう怒鳴る。
普通のトーンで言えば分かるし効率的なのだが。
職業柄か、小さくても懸念事項を見つけるのがうまいようだ。
職業柄か、たまに従業員が人であることを忘れたような事も口走りながら。
そんな感じなので、責任転嫁の言葉も堂に入っている。
いかに悪いかの理由、こじつけのダメ出しが瞬時にドンドン出てくる。ちょっと違っていても。
どこの職場でもそんな嫌な人はいるのだろう。
そんな社長である父と対照的に、頼りなさそうな僕には
たまに、大きい牧場の跡継ぎだからという事で、周りの人たちは、良くも悪くもいろいろアドバイスをしてくれる。
「オヤジがすごいとせがれは大変だよな。でも
もっと拡大するようにがんばれ。」とか、
「弟に負けないようにがんばれ。」
「弟の焼肉屋のためにも、しっかりいい牛そだてないとな」など。
弟は、うちの牧場で育てた牛の肉を使った焼肉屋の店長をしているのだ。
親のコネで若くして焼肉屋を開けて弟も華やかに見られている。
しかし、父や弟とはタイプの違う、気弱な僕にはプレッシャーであった。
経営には学生時代から自己啓発本とか読んでいて興味あるが、跡を継いでも結局はいいなりじゃね?
との思いもあり、
将来を考えるとき、自分の人生というものを生きられないのでは?
との恐れを抱いていた。
仕事がある事には感謝しているが、精神的にきつい。
一人で勝手に悲観的に考えて、がんじがらめな感じになっていた。
思いつめるとヤバイ。あてつけが加わるともっとヤバイ。
人は、絶望感や悲しみで切羽詰ったところに、あてつけをしたいなどという、怒りのエネルギーが加わることで、自暴自棄な行動をしてしまうのだろう。
あてつけに遺書を公開して死んだろか、みたいな。
でも、死ぬほどの事ではないのだけど。
もし、いっぱいいっぱいになってしまったとしても
いざとなったら、避難したり、助けを求めてみればいいのであるし。
僕の場合は、死ぬほどの事ではないので、近所の人とか大勢に「家出しますので今後ともうちの家族をよろしく」と手紙を出して失踪してしまおうかとも思った。
家業なので、仕事だけ辞めて家にいるのは気まずいし。
失踪と言っても、自然豊かな所で農業などをして暮らしているコミニティーに入れてもらうのもいいかなと思っていた。
いざとなったらそんな手もあるなと、思いついたら気が楽になった。
もう、数年前のことなので、今では、失踪しようなどとは思わないが。
子供の頃からダメだし多い教育、抑圧ぎみ。こちらも心を閉ざしてしまう。
そんな親子関係。なのに、いろいろあり、とりあえずこの仕事に就いてしまった。
最初のころは、ある程度やったら、副業で成功して独立し、牛の仕事は辞めようという淡い希望を持っていたが、結局今に至る。
自己啓発系、成功系の勉強をしたくらいで、成功のための行動はあまりできずに。
勉強代だけかかってしまった。
痛みを脱する、成功する方法を求めてもがいていた。
数年前まで、こんな感じの、マイナス思考、自分の弱さで苦しんでいた。
今でも多少痛みはあるが、多くの人の間接的、直接的な支えがあり、楽に生きられている。
という感じの今日この頃である。
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