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【心霊ログ】座敷童が来た意味

高校生から大学進学までのあいだの話。

5歳くらいのオーバーオールの子どもが、
わたしの生活にひょこひょこと現れるようになった。

その子どもは、
八尾の美容院ではじめて出会い、
大阪駅のレストランで2回目の出会いとなった。

そして、どうもその子はわたし以外には見えず、またわたしにも顔は見えない。

そんな不思議な存在だった。

四六時中出てくるわけではなく、
わたしが友達や家族といてワクワクしている気分のときにどうやらイタズラっ子のように出てくるのだ。

そして性別もわからないが、じつはわたし自身も子どもを物理的な目でみているわけではなかったらしい。

そんなことが起こってから、
わたしはまた出てくるのでは?と街中や部屋でパッと後ろを振りかえることが一時期習慣化した。

なんとなく目線を感じる気がするのだ。

だけど、
ついには肉眼で見えたことはなかった。

そして大学生活が始まって、
部活と勉強とバイトと遊びで忙しくも楽しくて幸せな毎日が始まった。

オーバーオールの子どものことは頭からすっぽりと消えた。

高校生と大学生のあいだに起こった心霊?現象だったが、どうして起こったんだろうか?

子どもは何を伝えたかったんだろうかを考えてみた。

わたしが出した結論は、
あの子は座敷童だったんだなあということ。

あまりにも大学生活が楽しすぎたし、子どもから邪な気を感じたことは一切なかった。

感じたのは、構ってオーラと無邪気な遊び心だけだった。

座敷童は幸せを運んでくる子どもの妖怪だ。

ほんとは座敷童というのは家につくのがスタンダードらしいのだけれど、

わたしの場合はどうもわたしについてきてくれたようだった。

もしかしたら、家にずっといてくれたけど
お出かけも出来るハイブリッドな座敷童だったのかもしれない。

服装も着物でなく、オーバーオールだったし。なんかしらの文明を取り入れてたのかもしれない。

兎にも角にも、オーバーオールの座敷童は
わたしに幸運を運んでくれた。

その成功体験と過去への解釈が、
大人になっても見えない世界も大切にしようと思う自分の仕事を支えている。

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