末っ子症候群
みなさんには兄弟がいるだろうか。僕は、3人兄弟の末っ子だ。
外見はしっかりしていて高身長なせいでお兄さんっぽいとよく言われるが、中身は丸っ切りの甘えん坊だったりする。天下無敵の甘えん坊将軍だった。
甘えん坊将軍
※今も
兄と姉の失態(成功よりも目につく)から真似して、
いかに怒られず(邪魔されず)やりたいことを貫くか、それだけを考えて育てった少年期。例えばゲームがやりたければ「宿題が終わった」という。
保育園児の頃に、中学生の兄の怒られる姿を見て覚えた。
宿題なんて園児の僕には、無かったのに笑
怒られずに(邪魔されずに)やるか
それからスポ少や親の集まりに同席すると、一先ず可愛がられた。
「○○ちゃん☺️」と言われるたびに違和感を覚えたが兎に角、可愛がられたそこに行けば誰かのお母さんが面倒を見てくれて、
初めの頃は甘え方が分からず黙りこくっていたけれど、段々と喋ることの大事さを覚えていった。
喋れば他者とはいえ応えてくれて、損のない凄い一手なんだなと気付き悪用できそうだったが、
悪知恵がつく前に思春期を迎え、そこまで酷くなることはなかった。
兎に角、可愛がられた
ただここで邪魔が入る。兄と親父だ。
母やお母さんたちに可愛がられ甘えに行こうとすると、彼らメンズは横槍をいれてくるのであった。
明らかに小馬鹿にした口調で「ぼくちゃん」とこっちを見て話しかけてくるのだ。
それがなんと苦しかったか。
彼らは勿論、小馬鹿にしていた………つもりが無い純愛だとしたらこちらの受取ミスだけれど、どうも悪戯心を感じたのだ。
それが悔しくて、恥ずかしくて、
彼らに見つからないような甘え方しかできなくなった。
小馬鹿にされて、悔しくて
あの時の悔しさに抗う力(レジリエンス)はもしかしたら
これからも暫く続くのかもしれない。著名な心理学者も3歳、5歳までに性格や好き嫌いが大方決まる、と明らかにしている。
だがところ変わって令和の現代、少産多死の世界。子どものいない世界がやってくる。
そこに、国土強靭を目指した地方水準の上昇が功を奏した(?)中流階級の家庭が地方に増えた事実が、突き刺してくる。
消費が多く都会に憧れる地方都市では、子どもへの時間より稼ぐ時間が増すのが必然。子どもへの愛は、優先度が下がってしまう。
きっと子どもに必要なのはタブレットでもおむつ替えの託児所スタッフでもなく、純粋な母父の愛で過ごす時間なのに。
自信のない軸のない親の愛では、子どもに巻きつくSNSのフィルターを通ってはくれなそうだ。
こんな世界があっていいの?
23年の月日が経ち、今度は親の目線に近付いた。
まだ若造だけど、少し考える能力と感覚がついて、あの時甘えを遮られた経験は、そんな親と子の愛の話の際に、連想せずにはいられなかった。
親の愛を阻むSNSのフィルター
地方で育つ、子どもの歩み。
そんなことを考えながら、今いる宿泊所付きカフェラウンジの、新しい居場所構想を、書いていた。コンセプトは「町のお兄さん達の寺子屋」。
はみ出しものも、マイペースな奴も、自分の頑張り方で頑張れる、そんな空間を作っていけたら最高だ。
お金で見るのも、データで見るのも大事。でももっと大事な「魂をのせる」ことを忘れないでいく。
かっこいい大人と
かっこいい子どもに囲まれたいな。
2022/5/13/金/1:27
#寺子屋の名前 、なににしよう
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