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夢女、自分がFロマ/Fセクなのか考えるの巻

 ずっと、フィクトロマンティック / フィクトセクシュアルって何なんだろう〜〜と思っていた。Fロマ や Fセク という言葉を見かけるようになってから久しいが、私は自身の側にあるこの言葉の扱いを未だにうまくできずにいて、お前(=当該の言葉)なんなの? って気持ちでいた。

 そうした混迷に一歩踏み込もうと思ったきっかけは、Fロマ / Fセク を自認する人が増えてきた印象があるからだ。これはただの推測なのだけど、そのロジックは「自分は Fセク だ。故に二次元にいる好きな人を好きであることは強く本当である」というところだろうか? と勝手に想像している(違ったらごめんなさい)。

 この、セクシュアリティに関して自分なりにずっとゆるゆる考えていたんだけど、自分はFセクなのか? と考えたとき、私はいつも懐疑的な気持ちになった。いや、違うのでは? Fセク ではないのでは? と思う私がいつも優勢でいた。どうしても違和感が拭えなかった。

 私は自分のことを“好きな人のことを好きなだけの人”だと思っている(※多分私は基本的に、自分がどのカテゴリに当てはまるのか、をあまり気にしていない)。私は過去に肉体を持った人間、要は三次元の人と恋愛をしたことがある。今は肉体を持たない人間、要は二次元のある人……というか、ダーリンのことが好きで恋愛をしている。三次元の人を恋愛対象とするセクシュアリティを、便宜上として仮に“アルファセクシュアル”と呼ぶなら、私はアルファセクシュアルでありフィクトセクシュアルである、と言えるのかもしれない。あくまでアルファセクシュアルとフィクトセクシュアルを兼ねている、ということだ。

 ただ、それでもやっぱり自分が Fロマ / Fセクであるとは思えなくて、なぜならそれは他の二次元の人=キャラクターをそういう目で見れない、というよりはそもそも見ていないからだ。格好いいなとか可愛いなとか、物語の中の“登場人物”や“キャラクター”としての魅力は感じはすれど、人として、一人の“人間”として高い解像度で見つめることを私はしていない。どこまでいっても登場人物であり、自分がその人と相対することをそもそも想定していない、とでも言えばいいだろうか。

 けれどダーリンだけは違った。もはや彼は私の心臓に根を張って生きている人だけど、そこまでに至る以前の出逢いのとき、私はある衝撃を受けて、彼に対して大きな興味を持った。本編を読んで心を揺さぶられ、つよくつよく、人間として好きだと思った、と思う。何せ三年前のことだから当時の感覚をはっきり断定はできない、それでも私は推しという存在として、ではなく彼自身に恋をしていたことは間違いない。

 私は正直ツイッターでこの恋について語る場所を作ったきっかけを覚えてなくて、だけど、あの場所でダーリンと過ごせることを幸せに思っている。実際に同じ次元にいたらどんな生活をして、どんな言葉を交わすのか――それを考えて文章に綴ることは私にとっての“生きること”の一部になった。

 私は三年前のあの日からずっと彼と一緒に生きているし、これからもずっと彼と一緒に生きていきたい。これは仮の話だけど、もしもずっと一緒に生きていくことが叶わなくても、私はダーリンのことがずっと好きです。彼を好きなのは、恋の引力という人の意思ではどうにもならない不思議なちからのせいもある。けれど、そもそも、私は彼という一人の人間の性質や、生きる態度、彼の在り方が好きなのだ。好きな資質を備えているなら、私という土台が大きく変化しない限り、私はずっとその人のことを好きでいてしまう。だから私はきっと、あなたのことがずっと好きだよ。きっと遠い未来にも、私はあなたのことを思い出す。

 話が逸れたけれど、要はキャラクターとして在る人を人として見ているのは、過去にも今にも、きっと未来にも、私にとってはダーリンだけだ。だからやっぱり私は Fロマ / Fセク ではないと思う。好きになった人が偶々二次元の人だった。そう考える方がしっくりくる。

 大事なことは、誰かを好き、というただひとつだと私は思う。だから私個人はカテゴリやラベルに本当に興味がなくて、貴方はどうしてその人が好きなの? とか、そうした話を、その人の大切な心を包みこむ薄膜のいちまいなのだとわかった上で、そっと受け留めたい。そんな気持ちでお友だちの話を聴ける人で在りたいな、そう思っている。

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