防衛機制「スプリッティング」について

自分は、スプリッティングと呼ばれる防衛機制に悩んできました。

物事を1点でしか捉えられず、心のバランスを崩してしまいました。こうして両面のうちの片側しか、1点しか見れなくなることを、スプリッティングといいます。

例えば、勉強することなら、勉強しなきゃいけないんだと自分を追い詰めるだけ追い詰めては、心のバランスが伴っていないためにもう片側のしたくない気持ちが抑圧されて、抑圧したために爆発してしまう感じです。

むしろしたくない気持ちが優位な時は、最近はやる気を起こすのは簡単です。やる気のない気持ちがスプリッティングを起こしているのに気付き、スプリッティングをほどいてからやる気を起こすように優しく辛抱強く語りかける。別の防衛機制でいう退行を起こすような、片側のしたくない心が幼ければ幼いほど、大人になりたいという気持ちは実は強い気がします。

ですが、行動化という防衛機制が起きるくらいにやつれた心をスプリッティングから救うには、上で書いたしなきゃ感・義務のようなものから解き放ってあげる必要があって。その心の解き方をどうするか、手をこまねいています。義務感や恐怖でスプリッティングを起こしている場合、それらトラウマ、ネガティブや分裂(スプリッティング)した不安を感じてしまっているのです。

退行する防衛機制にしても、行動化する防衛機制にしても。同一化という状態には細心の注意を払う必要があって。それら3つの不安を感じると、それからの逃走として、防衛機制が出てしまいます。防衛機制が出ると、防衛機制よりも下の層に落ちて、それらがしたくない気持ち、向き合いたくない気持ちです。

不安からも防衛機制からも逃げると、したくない気持ちなどが現れてしまい、そのD層と呼ばれるしたくない・向き合いたくない気持ちと同一化してしまいます。自分で言えば、退行という防衛機制が強かったときに、このD層が大きかったです。でも退行のD層はさっき話したように、スプリッティング(不安)をほどいて、やりたい気持ちを引き起こしていくことによって、解決できました。

ですが、行動化の防衛機制・C層を起こしている中で、冷静に不安を分析して、スプリッティングをほどいていく作業は、自分には難しいです。行動化のD層、劣等感や復讐心にどうしても駆り立てられてしまいます。

もう少し、研究します。

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