幸せのなり方
「幸せ」ってなんだろう、これまでも何度となく自分に問いかけた。
なるべく小さな幸せと
なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう
ーーーTHE BLUE HEARTS 『情熱の薔薇』歌詞より
「大きな幸せ」なんてなくて、「小さな幸せ」一つ一つを拾って集めるイメージ。
でも「不幸」にも出会わないわけにはいかない。
それがなるべく小さいものであるようにと願いながら、そいつも拾っていく。
「自分で自分の機嫌をとる。」ということについて、なんだか突き放された様と感じることもある。
だけど自分のご機嫌なんて、やっぱり自分で上手にコントロールするもの。
小さなお楽しみや、自分で自分を盛大に褒めて(無料です)、時にご褒美して(プライスレス)、ご機嫌とればいいのです。
「幸せ」はそこにある物でも、誰かに与えられる物でもなくて、お金では買えない。どこかから降っても来ない。
小さいやつを丁寧にひとつ拾って、ひとつ拾ってをしていく、地道な作業のよう。
逆に「不幸せ」「かわいそう」な自分になるのは簡単。
自分を決めつけ、レッテルを貼ればいい。
「私なんてバカだから」「ブスだから」「病気だから」「できないんだもん」適当な決めつけ、手当たり次第のレッテルで。
「ダメ」はある。ダメな自分も自分。認めて、甘やかして、抱きしめていこう。
誰かの語った「正解」だけを後追いしても、自分の幸せにはならないね。
「置かれた場所で咲きなさい」これもちょっと突き放された感じしたんだよね、最初。それでもすとんと心に落ちた瞬間があった。
その場所に「不幸」とか「だからダメ」とかのレッテル貼ったの誰ですか? 他人の貼ったレッテルは正解なのかな? 自分で貼ったレッテルだけでも剥がして、そこにある例の小さなやつ、探してみよっと。
追記:あなたの誤解、曲解を恐れずに言えば、意外に「幸せ」と「不幸せ」は同じ物なのではないか? ある物事の幸せの面を大きく受け取るのか、不幸せの面を大きく受け取るのか、決めるのは自分。
真っ暗闇の世界と思っても小さなキラキラした小さいやつがある。小さなやつを無視して、真っ暗闇だったって言うだけなのは、私は納得いかないよ。
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