最初に感じる 虚無感

「虚無感」とは
「すべての物事に意味を感じられずむなしい感情」という意味を表します。 「虚無感(きょむかん)」という言葉は、「虚無感に包まれる」「虚無感にさいなまれる」などで用います。

大阪に住んでいた頃は、虚無感に襲われたとしても

・気になっていたお店を覗きに行く
・友達と約束事を作る
・猫をなでる愛でる
・子供と散歩
・徹底的に掃除

色々作があったし、ひょんな事から人から頼み事をされたりして何とか自分を奮い立たせていた。
引っ越してから一年前までこの虚無感を意識しないように散歩、ボランティア、ママ友と交流、イベント参加、仕事の手伝い。
思い付く限りやっていたのに

「あ~楽しかった明日も頑張ろ♪」

にならない

「あ~疲れた。思ってた以上に疲れた。」

自分って
どんな事からでも学べるスイッチがあるから
少々嫌いな人がいても好奇心で何とかなったりする
と思っていた。

今は、相手を分析しないと落ち着けない。

岩手に来てから 言えない。 が暗黙の了解だと知ってしまった。

言えないのだから、こちらが探るしかない
言えないんだから、下手に攻撃しては会話すらきつくなる。

意志疎通の出来ない子供が大嫌いだったけど
大人の方が何倍も厄介で、素晴らしく面倒臭い。

少しずつ少しずつ
義理の自分を作って防衛力を高める
上手く出来たと感じると虚しくなる。

自分と妹の関係もこんな感じ。

妹の事を思い姉として振る舞ったわけじゃなく
親に言われたから必要最低限の形でやりました。
二人きりの空間にいるくらいなら1人がいい。

二人きりの姉妹だし、歩み寄る努力もしたけど
他人といるよりしんどいものがあって
この距離感って半分自分の意思で半分は親の願いだと思っている。

友達は兄妹が嫌いと言いはなっても
話せば会話は弾んでるし、一緒に何かしたり、本音で喧嘩もする。
我慢が絶対と洗脳された脳はまだまだ溶けてはくれなさそうです。

娘と私の時代の差

娘「のび太のママって酷いよね!うちの子じゃありません!なんて言うんだよ」

私「お母さんの小さい時なんて、お前は川で拾った子やからなーって普通に言われてたよ」

娘「え?それって本当なの?なんでそんな嘘つくの?」

実際うちの親は「川で拾った」って言ってないのだけど、確かに酷い言葉だなと思う
でも、そこにはちゃんとした信頼関係があればなんの問題もなかったりする。

うちの家系はモラハラ一家なので
そんな事言えてない。回りから自分の評価がマイナスになるような事は言わない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?