母親がいないことについて

私が7歳の時に母親が42歳で亡くなり、私が23歳の時に54歳で父親が亡くなり、すこし早めに両親を亡くしています。
10代、20代の頃はそのことに関して何にも思っていませんでしたが、30代を折り返して母親の亡くなった年齢に近づいてくるたびに、漠然とその年齢を超えられるのか気になっています。

死の体験旅行

母は私がお見舞いにいった数日後の朝、亡くなりました。断片的に覚えているのは、大動脈弁閉鎖不全で転院して手術する予定になっていて、転院日が決まるのを待っていたところの急変でした。よく調べてはないけれど、今では簡単に手術ができて、急変しても死ぬ病気ではないかもしれません。

この経験から。人の寿命って思ったほど短いし、思うように生きられないのだろうというのが私の実感としてあって、だからこそ限りある人生を全うしたいという気持ちを強く持つようになりました。
死ぬことは生きること、死ぬことは生きること。
ではどう死ねば、生きれば満足できるのだろうといつもかんがえてしまうことから、死の体験旅行に参加しました。

経験してみて

死の体験旅行は、話を聞きながら、自分の大切なものを一つ一つなくしていくことで、自分の今までを振り返ったり、自分が大切にしているものはなんなのか?を考えていく作業です。そこで私が最後まで捨てられなかったのが「母親」でした。予想外だったけれど、今まで自分がなんか求めていたものの正体だと分かってしまった気がして、泣けてきました。私は、じつは母親がいないことに折り合いがつけられていないのかなと認識しました。

母親のこと

私の母親の情報はとても少ない。どんな性格なのか?という基本的なことから、どんな子供時代を過ごして、どういう学生時代だったとか、どんな仕事をしていたとか、全く知らない。他人から情報として聞かされたことはあっても、それに推測や他人の個人的な考えが入っている場合も推測され、その情報が真実かどうかが分からない。もちろん、どういう子育てをしていた、したかったなども知ることができない。父親に聞く前に、父親も亡くなってしまった。
私の記憶の中の母親は、頭痛で死にそうになっている姿と、そのころ父親の経営していた飲食店で働いていて、目が合うと笑ってくれた面影だけ。
そこから30年余り経って、不都合なことは忘れ記憶も美化されていると思う。私と母親をつなぐものは、私の母子手帳と、おそらくもらうのが最後になった誕生日プレゼントの包丁だけだった。
今まで、それでなんとも思わなかったし、それでよかった。

母親を考えるとき

最初は、長男が生まれた時に初めて考えました。その後は子どもの年齢が、私が母親を亡くした年齢になったときも。
子どもが生まれた時に、この子どもが成長していく過程をみていくことになるんだな~とふと思ったとき、私は母親に子供を抱っこさせることもこの瞬間も共有できないのだなと思いました。

次に、産後に子育てつらいなと思ったときに考えました。
少し体調の悪いとき、ぎっくり腰になってしまったとき、子どもの世話に追われて晩御飯が作れなかったとき、子どもをほんの少しだけ預けたい。
でも保育園やファミサポを利用するレベルでもない。
気軽に預けられるママ友もまだいなかったとき、こういう時にふつうは自分の母親に預けるんだろうなと思いました。私はそれができない。

さらには子どもの長期休み、長い連休のたびに、友人のところへ友人の両親が遊びに来た話を聞くたびに、考えます。
おじいちゃんおばあちゃんのところに帰省する話を聞くと、うらやましい通り超えて多くの人が当たり前にしていることをできない自分を責めてしまっている自分がいました。実に不毛だと思う。
私は理不尽なわがままを言えたり、頼まなくてもなんだかんだやってもらえることがないのだと思いました。

こういった話をすると、夫の存在と役割について不思議に思う人がいると思いますが、あくまでも私に両親がいないということが葛藤の根源となっていて、夫が超がつくほどできた人でもイクメンでも、この感情は変わらない、根深いものになったと思っています。

知らない間に長い年月を経て、母親の存在を切望するあまり、母親のいないことがコンプレックスになってしまっているようでした。

ゆっくり折り合いをつける

コンプレックスを蓄積してきた年月と同じように私も年を取って、それなりに様々なことを見聞きし、親が存命であることが必ずしも幸せであるとは限らないということも学びました。

それと同時に分かったことは、これまで、私が「できない」と思ってきたことは、親も同じように「できない」のだと。

また、振り返ると親がいない分、自分の周りには恵まれてきたことにも気づきました。今でも連絡を取り合える友人や、しばらく会ってないけれどいつも会っているようにしゃべれる友人の存在に助けられてきたこと。

さらに実家がない分、すぐに戻る場所がないからこそ、地縁のない場所での暮らしに踏ん張れたのかもしれません。
現在は、人とのつながり、自分の関係人口を増やして、助けてもらえる/助けられる環境をつくろうとしていること。それが、ままちょこの活動にもつながっています。
そして、あらためて、自分の子供にはこんな思いをさせないように努力すること、でもやはり自分がいなくなっても平気な子育てをしておくこと、これからも自分の周りを大事にしながら生きようと思っています。


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