インビジブルシャーク

サムがへっぴり腰で肉塊を拾い直そうとしている。
そのときレベッカの目に額を流れた汗が入った。
シャツの裾で目をこすっていると、向こうでドバという重い水音があがった。
サムの姿はない。
波打ち際の泡がじんわりと赤く染まっていく。
人食いサメだ!
理解してからのレベッカは早かった。カメラを取って―――


夏のカリフォルニアの日差しは頭蓋を突き抜け脳を直接焦がす。
サムが叔父から借りてきたオンボロのピックアップトラックから降りたときには、すでにレベッカの意識は帰りたいの一色だった。
「コイツは必ずバズる」
レベッカ・オースティンの恋人であるサム・テイラーはTwitterでのフォロワー集めに夢中だった。かわいいチワワがシャンプーする動画。イケてるストリートダンサーの動画。廃墟探索の動画。そういったものをアップし、リツイートされ、いいねをもらい、フォロワーが増えることが至上の喜びだった。
そのことにレベッカはうんざりしていた。
だが彼女も元々はそんなサムのフォロワーのひとりで、『おもしろ動画』を見ていたら同じ大学であることがわかり、それをきっかけに付き合い始めたのでなにか言える立場でもない。と自覚はあった。
しかし今は私という彼女がいるというのに。
腰ほどある草をかき分け、木々の間を進んでいくとフェンスゲートが現れた。チェーンで固く閉ざされている。
が、サムがとっくに承知といったふうに用意していたボルトカッターでチェーンを切り、ゲートの先へと侵入していく。
振り向くと彼はこういった。
「ようこそ、人喰鮫の浜へ!」

人喰鮫の噂は昔からあった。ようだ。
聞けばやれ「俺の親父が」だとか「隣のおじさんが」だとか「酒場で会った知らねえジジイが」だとかどうやら一定以上の年齢の人から聞いた話として「巨大なサメに誰かが喰われた」話をした。
「『人喰鮫の浜(マンイーターズ・ビーチ)』っつうんだ」
コロナビール2本を渡すと赤ら顔のビル”スコーチ”フリントは声を潜めて教えてくれた。
「ホントはちゃんとした地名がある。俺は知らねえけどな。俺はそう呼んでる。今かんがえた」
「この町にそんな場所があるだなんて、聞いたことなかったわ」
「フン。よく知らんやつは『サメ』のことしか知らん。本当のことを知ってるやつも『サメ』の話しかしねえ」
2本の瓶の栓をひっかけあって抜くと、ぬるい泡がこぼれた。
「話のキモは『浜』さ」
1本を一気に飲み干し、大きなゲップを吐いた。
「巨大な人喰い鮫が縄張りにしてる浜か…!それで、そこはどこなんだ?」
「ひゃひゃひゃひゃ!知らねえよ!言っただろ?本当のことを知ってるやつは『サメ』の話しかしねえって」
「『浜』の話をしたのは本当のことを知らないから、ね」
レベッカは肩をすくめた。ビール2本分の話にしては肩透かしだ。
「しかしな、話をどこまでたどっても『サメ』を見たやつはいねえんだ。なんでかっつーと簡単で、『浜』に行ったやつは全員死んじまってるんだ。
 なのに、なんで『サメ』ってことになってんだろうな」
何かを考え続けていたサムがひらめいた。
「シャチかも知れない…ってことか!」
「ひゃひゃひゃひゃ!そうかもしれねえな!」
サムは満足気にスコーチの肩を叩くと、席を立つ際にいくらかチップを置いた。
「こいつでもう1本やってくれ」

面積だけは広い街でも海岸線などたかが知れている。
GoogleMapで調べればすぐに「誰も話に上げない浜辺」は見つかった。
左右を突き出した岬に挟まれた1kmにも満たない浜。近くには大きな建物がある。この建物は貸別荘で、既に営業はしておらず、おそらく廃墟と化しているのだろう。
そしてこの浜は敷地内のプライベートビーチということらしい。
サムとレベッカはいまその浜に来ていた。
陸の方を見上げるとなるほど、遊園地の城を思わせる尖塔を持つなかなかちゃちな建物が見える。
貸別荘にしてもこれはセンスが悪い。廃業するのも仕方ない。
浜はそこそこ角度があり、波打ち際からそう遠くない場所に漂流物が体積している。
サムは背中に担いだボクサーバッグから子犬ほどあるビニール袋を取り出した。中にピンク色の生肉が入っている。
「豚肉だよ。コイツでサメをおびき出す」
漂流物に三脚を突き立て、カメラを設置し、画角を調整する。
こういった作業はテキパキとできるくせにどうしてこの男は……。
「じゃあキミはカメラを見ておいてくれ。倒れたりしないように。あ、もう回しておいて」
そう言ってビニール袋を抱えて小走りで波打ち際まで行く。
カメラの液晶をちらりと見てみると、ちょうどいい感じの画になる位置がわかっているようだ。手振りで『ここでいいか?』と聞いてきたようなので両手で丸を作って応える。
そしてサムは、肉塊を袋から取り出すと、海に向かって投げた。
が。肉は思ったよりも手前にばちゃっと落ちた。波に洗われてはいるが形が見える。
サメをおびき寄せるのだからもっとちゃんと海に落とさなければ。
サムがへっぴり腰で肉塊を拾い直そうとしている。
そのときレベッカの目に額を流れた汗が入った。
シャツの裾で目をこすっていると、向こうでドバという重い水音があがった。
とっさにそちらを見やるが急なことで目のピントがあわない。
サムの姿はない。
波打ち際の泡がじんわりと赤く染まっていく。
人食いサメだ!
理解してからのレベッカは早かった。悲鳴を上げて現場に近づくようなバカはしない。
サムは浜にいてなお喰われたのだ。
すぐさま踵を返し、いや、その前にカメラを回収し、来た道を戻る。
心臓が激しく脈打ち、息は乱れ、生い茂る枝葉で傷がつくこともお構いなしに、フェンスゲートを通りサムの叔父のピックアップトラックまでたどり着いた。キーが刺さっていない。あのバカこういうことだけキチッとするからつまらないんだ。
車の日陰に座り込み落ち着いたところでケンに電話をかけると、すぐに来てくれるという。
レベッカの手には『人喰鮫』がサムを食うビデオがある。
Youtubeの広告料がだいぶ下がったとはいえ何千万も再生されれば……。

レベッカは警察署に拘束されていた。はじめは簡単な取り調べで開放されるはずだった。
私はサムに誘われて行っただけということ。サムは人喰鮫を撮影しようと計画していたということ。不法侵入だとわかっていたが好奇心でついていったこと。そしてサムはサメに喰われたのだということ。救出など恐ろしくてできるはずもなく逃げたということ。
それらを説明し泣き崩れた。バカな女を演じるのは得意だった。
しかし警察は『撮影』という点で食い下がってきた。
ビデオはない。浜に置いてきた。サムのカメラだ。使い方もわからない。私は知らない。
浜に三脚が倒れてた。撮影をするのだからカメラがあって当然。では携帯で撮ったのか。携帯を提出しなさい。
なぜそんなにビデオに固執するのだろう?重要な証拠であることは確かだが、こんなにも『バカな女』がわからないわからないと泣いているのに。
警察に不信がられるのはマズイが、あのビデオは一攫千金のタネだ。渡すわけにはいかない。
レベッカが限界までグズる覚悟を決めたとき、ケンが例のカメラを持ってきた。
「すみません、片付けは僕がやってて」
「……中身は見たのか?」
「SDカードが一枚…」
「そうではなく、動画は見たのか?」
「いえ」
「ならいい」

開放されたレベッカはケンの車でアパートまで送られた。
車内でケンから差し出されたSDカードを突き返す。
「いま私がこのデータ持ってたら、ダメでしょ。あなたが持ってて。誰にもバレないように」
「そうか」
「あっちはカラ?それともなんかダミーのデータ?」
「違法アップロードされてたゴジラvsコング」
「なんて供述すればいいのよ……」
「サムのだから知らない、でいいだろ」
「それもそうね」
「それで……俺はいくら貰えるんだ?」
「動画の広告収入、山分け」
レベッカは『彼氏』に別れのキスをし、アパートの自室へ帰っていった。

翌日、ケン・イマイは無残な姿で発見された。
自室のPCに座っている下半身と、マウスを握った右前腕だけが残されていた。
監察医は頭から巨大な動物に食いちぎられたとしたが、そんなことはありえない。公には死因は不明とされた。
カードリーダーにはSDカードが刺さっており、血しぶきにまみれたモニターには浜辺の動画がループ再生されていた。
第一発見者である母親は、男性が海に何かを投げ込み、そのまま海に入っていくだけの動画だったと証言しているが、状況が状況だけに彼女の証言の信憑性は怪しい。
その後SDカードは行方知れずになっており、詳細はわからない。

レベッカは彼女の周囲で急に二人の男性が亡くなったことからあれこれを疑われたが、サムについては証拠こそないが『人喰鮫』の仕業であろうとされ、ケンについては死に方が異常であることから最終的に事件自体が問われなくなった。
またゴジラvsコングの違法動画については聞かれることもなかった。

『人喰鮫』の噂は爆発的に広がった。噂を検証しようとする者たちが街の、時には州の外からやってきて、再び厳重に封鎖されてた『人喰鮫の浜』へ侵入した。
しかし誰も何も発見することはできず、噂は噂として風化していった。

ブームにうかされた人々が『人喰鮫』のことを忘れたころ、1本の短い動画がYoutubeにアップロードされた。
何かを抱えた男性が小走りに波打ち際に向かい、それを海に投げ入れ、自身も海に飛び込む動画だった。
しかしその飛び込み方がどうにも不自然に素早い、妙な動画だった。

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