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おまえが平成最後の夏にFINALFANTASYXVをやるべき理由

夏に対しておまえはどんなイメージを抱くのか。
友人との旅。
一度きりの冒険。
嫌々やる宿題。
青い空輝く太陽白い雲。
そんなおまえは平成最後の夏をFFXVとともに過ごすべきだ。

FFXVは夏休みのゲームだ
FFXVをプレイ済みの諸兄はこの見出しだけで涙腺がうるりとゆるむだろう。Stand by meをバックにエンストした車を押す四人。カメラが引いて荒野を突き抜ける道の先に広がる青空に、真白の文字でFINAL FANTASY XVと描かれるのがこのゲームのオープニングだ。
そしてプレイヤーに開かれるオープンワールドは湿り気が強い。
荒涼とした砂漠。ゴージャスな海辺。じっとりとした森と湿地。温泉街。滝と洞窟。片田舎の灯台。
とことん暑さを感じる舞台をともに駆け抜けるのは1台の車と3人の友人。
FFXVは男の夏休みである。

快い仲間たちと車
旅の仲間はいずれも古き良き友人だ。
プロンプト。幼馴染のカメラオタク。
イグニス。お目付け役のドライバー。
グラディオ。お目付け役の兄貴分。
かつていた、かつていてほしかった、そして今そばにいるかもしれないし今そばにいないかもしれない、友人がそこにはいる。
ホスト4人旅と揶揄されたこともあるが、彼らはホストではなく友人としてプレイヤーに接してくれる。

プロンプト。愛すべき親友。
プロンプトはこのゲームで最も大事なキャラクターだ。彼は自分のカメラで写真を撮ってくれる。一日の終りに宿やキャンプで「今日はこんな写真を撮ったよ」とみせてくれる。ゲームのスクリーンショットではなく、旅の中で撮った写真だ。彼の存在がFFXVをゲームから体験へと引き上げており、その思い出も作ってくれる。

イグニス。頼れるドライバー。
FFXVで特筆すべきは移動手段が最初から与えられていることだ。その名はレガリア。ご存知の通り高級車だ。それを運転するのがイグニス。
マップでここに行きたいと指定すればそこまで運転してくれる。
ファストトラベルを実行するとしばしの暗転のあと「ほら、ついたぞ。起きろ」と言ってくれる。まるで運転してくれる後ろで寝ていたみたいに。
彼が運転する高級車レガリアで世界をうろつくのが一つのキモと言える。

グラディオラス。エスコートの達人。
戦闘で活躍するのが戦士グラディオラスだ。彼は「王の盾」を名乗り、戦闘においてはプレイヤーにふりかかる攻撃を身を挺して防ぐ。彼のおかげでプレイヤーは戦闘を楽に進めることができる。

彼ら三人の仲間がいてこそ、楽しい旅ができるというわけだ。

ノクティス。プレイヤーでありプレイヤーの最も大事な友人。
そしてFFXVで特筆すべきは主人公ノクティスのプレイヤーとのスタンスだ。
彼の心のうちは熱く、人情も厚いが、表に出る対応は冷たくそっけない。
このキャラクター性がプレイヤーと自然に合致していく。
クエストを受けたときに「ちっ、めんどくせえな。こんな事自分でできねえのかよ」とプレイヤーは思う。そしてノクティスは本当にそういうことを言ってしまう。だが、人情に厚いノクティスは本当に拒否するわけではなく「ま、しょーがねーな。やってやるよ。そのうちな」と結局クエストを引き受ける。
この心理は「こんなところでクエスト拾ってめんどくさいけど報酬や実績のためやらなきゃいけない」というプレイヤー心理そのものである。この「クエストやイベントはめんどくせー、けど仕方ねえなやってやるよ」というスタンスはノクティスの基本スタンスである。同じ気持ちでめんどくさいクエストをこなすうちにプレイヤーとノクティスは一体化するのだ。
そしてノクティスは、プレイヤーがもたない己だけの宿題と向き合う。

FFXVという世界
(FFらしくない)黒ずくめの四人のホストが、(FFらしくない)高級車にのって、(FFらしくない)道路の引かれた世界を旅するのがFFXVだ。とずっと言われていたし、俺もプレイするまではそう思っていた。今でも確かにファンタジーとしての整合性やら妥当性やらということを考えるとツッコミどころは多い。
だが、FFXVとは世界設定の話ではない。
FFXVとはおまえが体験する夏の思い出なのだ。
そこに整合性は必要ない。おまえがFFXVをプレイするとき、自分が生まれ育った世界に対して設定の不備や矛盾を唱えることはないのだ。
かの世界の一員となり、かけがえのない友人と共に突き抜けるような青空のもと、夏の思い出を作るゲーム。FINALFANTASY XV。
これぞ平成最後の夏にふさわしいので、おまえは夏休みが始まるのに備えてFFXVを買っておくべきだとおれは思う。
Steamで買うと今の所でてるDLCが全部はいってる。

ノクティスが最後の夏休みの宿題を解く姿を見てほしい。


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