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TVドラマ版この世界の片隅にを見終えて

この世界の片隅に。日本だけでなく世界に旋風を巻き起こしたアニメ映画であるが、その原作はこうの史代先生の漫画である。太平洋戦争下の日本に生きる凡庸ながら力強い女性を描いた傑作だ。この劇場版アニメの大ヒットはおれが今ここで語る必要もなかろう。

それがTBS日曜劇場でドラマ化されるときいた。ただ事ではない。ドラマだと?漫画が、アニメが、ドラマ化されると聞いておれたちが総毛立つのに説明は必要ない。すばらしい作品を汚すな!その一点のみにある。

そしてドラマの放映を迎えた。原作を改変した部分は確かに多い。だがいい。非常にいい。松本穂香さん演じるすずさんは独特の感性を持ち、ぼーっとしていながら、ときにあまりにも鋭い女の勘を発揮する、まさに「すずさん」であった。
松本桃李さん演じる周作さんも誠実さこそを美徳としており、それ以外に気が回らぬ不器用な男。まさしく「周作さん」であった。
すずさんと周作さんを取り巻く人々もまさにこれぞという完璧なキャスティング。そしてその演技。いちいちCMに入り現代の消費社会に戻されるのが心底恨めしいほどに完璧な「この世界の片隅に」だった。
ドラマ版オリジナルキャラクターもいたが、その中でも幸子さんについては特筆すべきだろう。序盤で元々周作さんのことがすきだった、というラブコメをつとめ、後半に至っては同じくドラマ版オリジナルキャラクターである周作さんの同僚とゴールインする(その過程には原作でも重要なエピソードである「自分の息子だったことをわからなかった母」が絡んでくる)。

リンさんにきいた「あいすくりーむ」を知らぬすずさんに、周作さんがデートを装いつつ手回しをして「あいすくりーむ」を食べさせてあげるエピソードなどまさに「この世界の片隅に」ではないか。原作漫画、劇場アニメ双方のファンであるおれの心配などよそにこのドラマ版片隅は己の道をずいずいと進んでいくのだ。

最大の懸案事項は現代編だった。なにか物知り顔の女と、その婚約者の男が、本編の舞台となった旧家に住むだの住まないだのダラダラダラダラとつまらん話をするのだ。そもそも「この世界の片隅に」は「すずさんの現代劇」だからおれたちも身を入れて見れたのだし、そこに現代編などといったノイズは完全なる不要と思っていたのだ。だが、その物知り顔の女と婚約者の男のダラダラとしたいちゃいちゃの間にある女性が登場する。

香川京子さん演じる節子はすずさんを知る年老いた女性だ。もうこの人はすずさんと周作さんが広島でひろったあの子だということがわかる。だが、これは非常に危険な試みだ。なぜなら「この世界の片隅に」が現代と地続きである実感を担っているのは「すずさんが今もどこかで暮らしているかもしれない(もしかしたらもう亡くなってるかもしれない)」というふわっとした現実感だからだ。節子さんの健在はそのまますずさんの安否につながってしまう。年老いた、現代に生きる彼女が「すずさんは今はね」と言うだけでその我々にとって「この世界の片隅に」とのつながりであるすずさんの安否が決まってしまうのだ!

そして彼女は言ってしまう!「これからすずさんに会いに行きましょう」

おれは信じられなかった。というのもここまでのドラマ版片隅はなんか上の方からの圧力みたいなのをちょくちょく感じながらも忠実にかつ原作を超えるドラマを展開していたからだ。確実に制作陣はこのドラマの肝をわかっているという実感があったからこそ現代編で「これからすずさんに会いに行きましょう」などという根本を覆すようなセリフが出てきたことが信じられなかった。

ここから最終話ネタバレです。

だが最終話。節子さんは現代編の男女を広島市民球場につれていく。そして多数の広島ファンのなか、カープの応援をする一人の老婆の後ろ姿と、終戦後のすずさんの姿がオーバーラップし「頑張れ広島ー!」と叫びこのドラマ版この世界の片隅には終わる。

これは間違いなく平成三十年西日本豪雨災害にあえぐ広島へのエールだ。

間違いなくこの片隅現代編は違うEDを想定していたに違いない。もしかしたら本当に節子さんとすずさんの現在を描こうとしたのかもしれないし、それはあきらかな蛇足であっただろうと思う。だがそうはならなかった。あきらかに不自然な展開で、広島カープを応援する老婆、頑張れ広島というエールを発するすずさんたち。ここに収束させた手腕は見事であるし、これが西日本のみなさんの応援になればと思うし。こんなに原作を忠実に再現しながら、独自展開を盛り込みつつ、放送された時代に対して誠実なドラマは空前絶後と言わざるを得ない。

原作や劇場アニメ版が好きすぎて、ドラマ版のテレビ欄用テキストをサブタイトルだと揶揄した人たちはちゃんと謝りなさい。

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