僕はあの日、35人の人生を殺した。

僕はあの日、35人の人生を殺した。

辛く険しい峠を共に何度も乗り越え、
成功の喜びを分かち合った家族のような仲間たち。

彼らの人生に【リストラ】という汚点を残したのは、
何を隠そう、僕自身だ。

あの日、社長の発表を聞いて、
泣いている人もいた。

魂が抜けたように空を見上げ、呆然と立ち尽くす人もいた。

僕にできることは、ただ、自分を奮い立たせて、
全員の顔を見渡すことだけだった。

残されたメンバーもいる手前、
「俺は逃げない。」という強い意思表示を見せるべく、
情けなさで崩れ落ちそうな自分を精一杯、
奮い立たせていた。


独立する前に僕が働いていた会社は、
大学の先輩が創業したベンチャー企業。

学生時代から仲良くしてきた僕には創業間もなく声がかかり、
マンションの1室から2人で事業スタート。

僕はすでに、1部上場企業に1年ほど勤めていたものの
そちらでの仕事を持て余していた、というか干され気味だったので、
良い機会だと思い、周囲の批判も全く耳に入らず、さっさと転職を決めました。

正直、会社を大きくするというプレッシャーに比べると、
大企業でサラリーマンをやっていた方が楽。

「自分が結果を出さなければ会社はつぶれる。」
「自分がミスをすれば会社が致命傷を負う。」

そんな状況で仕事をするのは、スリリングではあったけれど、
それと同時に「生きてる!」って言う実感は非常に強かった。

事業の方はどうにかこうにか軌道に乗せることができ、
3年後には年商5億の規模にまで成長。

スタッフの数は社員以外に外部委託も含めると数百人規模になり、
いつしか、駅前の新築ビルを2フロア借りるようになりました。

スズメの涙のような売り上げしかなかった状態から、
僕らの会社がなぜこれだけのスピードで成長できたのか?

ここで、ベンチャー企業が成功するための秘訣を
教えてあげましょう。

斬新なアイデア?
画期的なサービス?

そんなものはごく一握りの話じゃないでしょうか。

何の信用も実績もないちっぽけな会社にできることは、
他社が嫌がるような案件を積極的に受け入れることです。

炎上するのが目に見えているような案件も、
「はい!うちにやらせてください!!」と、
どんどん手を挙げてきます。

どっかの会社がヘマして炎上させた案件も、
「はい!うちが後を引き継ぎます!!」って、
どんどん受け入れていくんです。

うちがやろうがどこの会社がやろうが結局、
炎上は免れないような案件でも、なりふり構わず受注します。


おかげさまで、ずいぶんと火あぶりにされました。


朝から晩までクレームの電話のコール音と
「申し訳ありません!」と謝罪する社員の声が
オフィスに鳴り響くのは日常茶飯事。

新しく採用したバイトが、
怖くなって1日で止めることも
「あ、またか。」っていう状態。

ブラック企業かどうか?で行ったら、
吸い込まれそうになるほどの黒さだったと思います。

どの案件をやるにしても、
「自分たちにできるのか?」って、
いつも不安がありました。

「これをミスったら、損害賠償の金額がヤバくない?」
って考えると、震えるほど怖かったです。


でも、やるしかないんですよ。ベンチャーだから。


僕たちが生き残るにはこれしかないから、
選ぶ余地はありません。考える前に行動しなきゃいけません。

毎日が薄氷を踏むような感じで、
おっかなびっくりではあったけれど、
案件を無事に終えるめどが見えてきたときの安堵感と言ったら、
言葉では言い表せません。

先の見えなかったトンネルの出口が見えるのは、やっぱりほっとするし、
「うおっしゃ~~!!!!やったぜ~~!!!」って、
アドレナリンがほとばしるような興奮を覚えます。

ただ、なによりもうれしいのはやっぱり、
「ありがとう!助かったよ!」って言ってもらえること。

僕らのところに来る案件って大半は、
何かしらの問題を抱えているわけですが、
そんな案件を抱えたクライアントはそりゃもう、
顔面蒼白なわけですよ。

「どこも引き受けてくれない。。。」
「炎上して手の付けようがない。。。」
「無事に終わらせる可能性がまるで見えない。。。」
「このままじゃ俺は、会社で居場所がなくなる。。。」

そんな人に「うちがやります!」と
救いの手を差し伸べて、無事に決着させるんだから、
そりゃもう、ひどく喜ばれますよ。

僕よりも二回りも年齢が離れているような人から、
「君たちに頼んで良かったよ!!」と、力強く握手を求められ
心から感謝されるのは、本当に気持ちが良かった。

月並みですがやっぱり、
困っている人を助けることがビジネスなんだなって、
この時に痛感しました。

で、こうやって難しい案件をどんどんこなしていくと、
業界でも次第に注目されるようになります。

「どんな案件でも絶対に引き受けてやり遂げるらしい。」

そんな風に噂されるようになってようやく、
大企業から声がかかるようになります。

大企業の担当者に存在を認知さえしてもらえれば、
どこの会社が受注しても失敗しようがないボーナス案件も
ちょろちょろと発注してもらえるようになります。

大企業から見たらしょぼい案件でも、
小さな会社にとってはそれこそドル箱です。

ちなみに、大企業になればなるほど、新規の業者に仕事を出してヘマするなら、
すでに取引実績あって安心できる既存の業者を使うものです。

万が一、何か事故があっても言い訳をして逃げ道を作りやすいですからね。
「いつも使っている業者を選んだだけ。」って。

そんなこんなで、業績がどうにか安定するようになり、
社内もだいぶ落ち着いてきました。

一時期はまるで、暴風が吹き荒れていたオフィスも、
花を飾る余裕が生まれたり、昼飯をゆっくり食べられるようになったり、
落ち着いた雰囲気になってきました。

ベンチャーキャピタルから
「出資させてくれ!」と逆にオファーをされるほど、
財務状況もばっちり。

この時の数字だけ見てみたら、
当時のマザーズの上場基準を満たしていました。

ただ上場を目指すなんて1ミリも考えたことはなく、
僕らがやりたかったのは、
自分たちの独自サービスや商品で勝負すること。

受注型商売だったので、顧客先に行っても、
実は自分たちの会社の名前を出せなかったんです。

だからこそ、自分たちの会社名で勝負できる
事業を始めたいと、常々思っていました。

業績も安定してきたわけだし、
良いタイミングかなと、以前から検討していた
新規事業にようやく着手。

主力メンバーを新規事業に移して、
さぁこれから!というときに、
まさかの事態が起こります。

主要取引先からの突然の契約終了通知。。


会社の売り上げの8割以上を占める最重要顧客から
翌月末に案件を引き上げると言われたんです。

別に僕らに落ち度があったわけじゃなくて、
その会社のさらに親会社の意向によるものです。

10年スパンという話でスタートした案件なんですが、
行政の方針が変わったからという理由で親会社もあっさり方針転換。

環境のせいにするのは簡単。

ただこれは完全に僕らのミスです。


「この案件があるから大丈夫。」みたいに、
楽観的に考えしまったたことが、
自らの首を絞めることになりました。

この案件を受注するために、
人もモノも増やしていたことも仇になりました。

翌月には案件が完全に終了するので、
単月赤字に転落することは確定。

すぐに別の仕事を受注できそうか?というと、
それもすごく厳しい状況。

かといって赤字を抱えたまま今の体制を維持していたら、
数か月で資金が底を尽きるのは火を見るよりも明らかでした。

苦渋の選択を迫られ、
僕らはやむを得ず、
リストラを断行しました。

オフィスも、
備品も、
人材も。

残された資金を無駄に食いつぶすことは出来ないので、
新規事業に集中させることに決定。

既存事業にかかわるものは一切合財、
切り離すことにしました。

リストラを発表したあの日。

泣いている人もいれば、
呆然とする人もいました。

リストラをする側とされる側の間に、
見えない溝が出来上がっていたかのように思います。

あのつらく厳しい時期を一緒に過ごした仲間を、
僕らはどんどんリストラしていきました。

「これからどうすれば良いんでしょうか?」
と相談されることもあったけれど、
僕には何もしてあげられませんでした。

あれだけうるさくて、
あれだけ狭く感じていたオフィスも、
人もモノも減っていくにつれて、
ガランと寂しい場所に変わっていきました。

この時期、家に帰るといつも、
奥歯が痛み、腕がしびれるようになっていました。

「虫歯?筋肉痛?それともリストラの呪い??」
なんて考えていたんですが、ある時、原因がわかりました。

オフィスにいるときに、感情を押し殺すために、
無意識のうちに奥歯を強くかみしめ、
腕にもぐっと力が入っていたんです。

本当は、悔しくて泣きそうだったし、
不甲斐ない自分にイライラしていたし、
どうすることもできなかった。

けど、リストラをする側だった僕が、
そんな姿を見せるわけにはいかない。

辞めていく人たちには
「お前だけは辞めさせられることはないだろう」
という嫉妬の目でジロジロ見られたんだけど、
それもどうしようもないほどに辛かった。

社長には「俺は無休でいいから1人でも多く残してくれ!」
と懇願したこともありましたが、うやむやにされました。

子供の出産が控えていて、
何かと物入りだったことを社長も知っていたからです。

新規事業さえ軌道に乗れば!!!
これが上手くいけば一発逆転できるのに!!

そんな思いも抱えていたんですが、
現実は非情でした。

新規事業の方もさっぱりうまくいきません。
自分たちにできることは精一杯やっているつもりだったけど、
上手くいく気配が1ミリもありませんでした。

新規事業のために残していた資金も、
とうとう底が見えるようになったので、
僕らはやむを得ずリストラを再開。

昨日まで僕の隣に座っていた戦友が、
また一人、また一人と姿を消し始め、
最後はまた、僕と社長だけという状態に。


新規事業が上手くいかない原因も、
実はうすうす気づいていました。

戦略とか戦術うんぬんの前に、
自分たちで手を動かそうなんて、
全く考えていなかったことが原因です。

未知のチャレンジを始めているのに、
自分たちは頭を使うだけにして、
面倒なことはすべて人任せにしたんです。

そんなんじゃ、うまくいくわけありません。

まさに、ノウハウコレクターのような状態で、
ノウハウは知っているけれど実践はしない、みたいな。

これじゃダメだとなんとなく感じていたけれど、
既存事業でずいぶんと苦労したせいで、
「これからは楽に稼ごう。」という誘惑に、
勝てなくなっていました。

それからとうとう、
僕も会社を去ることになります。

最後の社長命令です。
正直、ほっとしたような、
そんな気分でした。

幸いにして資金はそれなりにあったし、
これで食べていけそうというネタもあったので、
独立の不安は、そんなに感じていなかったものの、
決して順風満帆というわけではありませんでした。

いろんなことに手を出して、
「どれかが当たれば良いな。」と、
楽観的に考えていました。資金もあったので。

ただ、結果的に
やることなすことすべて失敗。

ことごとく狙いを外す状態が数年続き、
またもや資金ショートのピンチに直面します。

あと、○日で資金が底をつく。。。

そんな危機的状況に追い詰められて初めて、
僕はある事実を認めました。

俺にはビジネスセンスも才能もない、
ってことを。

頭で稼げるほど賢くもない。

俺は無能なんだってことを、
ここでようやく認めて受け入れました。

独立してからも僕は、
楽して稼ぐことしか考えていなかったので、
面倒なことはやっぱり人任せ。

自分は儲けるネタを探すために奔走するだけでした。

この時の自分に、
こんな状態で稼げるわけがないって、
説教してやりたいです。

自分で自分のほっぺたを
ひっぱたいてやりたいです。

資金が限られた中で、
果たして自分に何ができるのか?

あと半年だけ頑張ってもだめだったら再就職しよう。

そんな風に思い今から思い出しても、
死にもの狂いで記事を書いてはブログに投稿する日々。

気が付いたら1日15時間くらいぶっ続けで、
記事作成・ブログの更新していたことも珍しくありませんでした。

結果的に努力が実ったわけですが、
あのころは「やったぜ!!!」というよりも、
「いや~、本当に助かった。ヤバかった。。。」と、
ほっとする気持ちの方が強かったです。

35人の人生の息の根を止めた僕が言うのもなんですが、
何か起きてからは遅すぎます。

むしろ有事の際は信頼していた人・会社から、
ズバッと切り捨てられることだってあります。

身動きが取れるうちに、最低でも、
自分の身を守る手段を身に着けておくべきです。

収入が増える見込みが全くないのに、
銀行の口座残高だけがみるみる減っていくのも、
精神衛生上、本当に良くないです。

家賃とかで大きなお金がガクンと引き落とされると、
縮みあがります。

毎月届く数々の請求書が、
怖くて怖くてたまらなくなります。

口座残高を確認するのが、
不安で不安でしょうがなくなります。

そんなことになる前に、
できることはやっておきましょう!

今は、ネットというツールがあれば、
いとも簡単に一人社長として事業ができる良い時代です。

ブログでも、youtubeでも、せどり・転売でもなんでも、やったもん勝ちです。

学生でも主婦でもニートでもそんなこと関係なく、
小さく始めて小さな失敗を繰り返して、
その過程でちょっとずつ収益を増やせるわけですから、
やらないのは損だと思いませんか?

何をやって良いのかわからないのであれば、
とりあえずツイッターでもやってフォロワーを増やしてみると、
人生が変わるきっかけがつかめるかもしれませんよ。


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