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LOTUS(第4回阿波しらさぎ文学賞落選作)

 ここは私の夢、暗くつめたい私の夜。
 泥の中で幾多の木片や土器の欠片と一緒に眠りについた私は幾万の日を超えてまた歌う日を夢見るも、泥に塞がれた夜はしっかりと帳をおろし、光が届くことはない。八方塞がりとはこういう事をいうのだろうか、花を咲かせることはおろか芽を出す事も難しい。固い鎧で私自身を守りながら光も射さず空気も届かぬ泥の中で私は再生の日を待ち望んでいた。
 その日は突然訪れた。私の上に積み重なっていたぬかるんだ泥は執念深く掘り返された。突如として私を掘り当てたやさしい手に掬い上げられ、私と二人の姉妹たちは眠ったまま暖かく明るい地上へと歓声と共に迎え入れられたのだった。
 身に纏っていた鎧は削り取られ、透明な器に張られた水の中に横たえられて数日経た頃、私は戸惑いながらもゆっくりと腕を伸ばした。同じように水の中に横たえられた姉はそのまま目覚めることなく、妹は目覚めて芽を出したものの、発育不良だったのかそれとも環境に適応できなかったのか、成長することなくすぐに息絶えて枯れてしまった。見守る人は残った私だけでも大きく育てようと、今度は鉄の器の中に根を生やさせようと土を据え水を張って私を植え付けた。私は大きく腕を広げ、まだ小さい掌で道の雨の粒を一身に受けた。雨粒は掌に留まることなく、ぱらりとはじけて地面に落ちた。おずおずとつま先を土深く背を天に向けて伸ばし、人の手でかいがいしく世話をされて三ヶ月、私はあざやかな桃色の花弁を広げ、眩しすぎるこの世界を見渡した。私が花を咲かせたその日、人は驚いた様子で私を取り巻き、驚嘆を顕わにした。目覚めて花を咲かせるまでは私からすれば瞬きをする間のことであったが、私を見守る人にとっては一日千秋にも及ぶ長い時間であっただろう。
 聞けば、私を掘り起こし鎧を削り取り見守るように育てた人は学者であり、南満州で私たち蓮と呼ばれる姉妹である実を発芽させ、私たちの宿る実はその殻の守りの硬さ故に世界最長寿であるとする論文を書いたという。しかしその地で掘り起こされた姉妹たちはおよそ三百年から五百年ほどの眠りから目覚めたとされているのだから、私にすれば彼女たちは早起きの部類である。あるいは朽ちかけた木の舟と共に二千年を越えて眠っていた私がよっぽどねぼすけだとも言えるだろう。
 花托に宿る私の分身は次々と成長し固い鎧をまとい、下へと伸びてゆく私の体も日に日に丈夫になっていった。根分けと呼ばれる離別の時だ。泥から掘り出された私の下肢は切り分けられ、見知らぬ人の手に渡った。そしてまたそれぞれの私が見知らぬ泥の中へと埋められ、またその場所で見守る人の手を借りながら、脚を伸ばし腕を突き上げ花弁を広げてあたたかい世界を見晴らすのだった。
 ある時、根を張らそうと植えられた水瓶から空を見上げようと顔を出して、時折吹きつける風に塩辛い匂いが混ざっている事に気がついた。どうやら海が近い場所のようだ。見守る人やご近所らしき人がいつ咲くかと気忙しげに様子を伺いに来る。ある朝早くに薄桃色の花弁をほころばせると、待ちかねていた皆が私の美しさを口々に誉め称えてくれたのだった。くすぐったい称賛の雨はひとしきり続き、しばらくして「この花でまちおこしをするのはどうじゃろか」と言う人まで現れた。自惚れと承知ではあるが、私を誉めてくれる人が増えるのはやぶさかではない。話はとんとん拍子に進んだとみえ、海風が通り抜ける休耕地に水が張られ、私はそこで育てられる事になった。中央には観光客が通る立派な桟橋と、私の所縁を書き連ねた看板まで立てられたのには些か面映ゆいものがあった。
 土地に根を張るとは水瓶の中と違ってその土地や昆虫や動物と共生する事である。病害虫にやられはせぬか、鴨や猪に根を食われやせぬかと内心怯えながらの新しい生活が始まった。
 二千年の眠りを経ての新世界は随分と様変わりしていた。人の操る車輪のついた巨大な鉄の道具が、音をたてながら私のすぐ側の舗装された道を目の回る速度で走っていく。陸は隔世の感あれど水の中は変わらぬだろうと近くに咲く姉妹たちに話を聞くと、世間には人の手を借り海を渡ってきたという若芽を摘む赤い鋏を持った凶暴な虫が水の中に潜んでいたり、根や収穫前の蓮根を食い荒らし減収を招く凶暴な亀が住み着いているのだという。外来種というのだそうだ。耳打ちしてくれた姉妹たちはこの地で代々潮騒を耳にし体に受けながら食用の蓮根となるべく育てられているのだった。私のような観賞用に好事家が育てている品種は珍しいのか、姉妹たちはその白い花弁を益々青白くさせて、いかにワニガメ、アカミミガメ、カミツキガメとやらが怖い存在であるかを伝えてくれた。外来種とやらもそうだが、持て囃して勝手に野に放して増やしたかと思えば今度は邪険にしたりと人間とは物好きかつ不思議な生き物である。
 ある水の温む春、噂の外来種とやらが這い出してきた。私の記憶にない鋭く大きな赤い鋏だ。その鋏をカチカチと鳴らしては、尾をくねらせて私の体を掠めて泳ぐ小さく黒い蛙の子を狙い朝夕の食事にありつこうと待ち伏せている。気を揉む事しか出来ない私の頭上からすっと白い影が舞い降り、細い嘴が水面をすくう。次の瞬間には赤い鋏の虫は嘴に捕らえられてもがいていた。 
 普段ここに来る白鷺よりも一回り大きいぐらいだろうか。突如舞い降りたその鳥は赤い鋏を持った凶暴な虫を鋭い嘴でかみ砕いてひと呑みにすると満足そうに喉を鳴らした。
「ここの水場は餌に困らないからしばらく厄介になるよ」
 そういって飛び立ち空へと舞い上がる。大きく広げたその羽根で陽を遮って私の真上に影を落とし、優雅に中空で旋回してから去っていった。
 遠ざかっていくその白く大きな躯と羽根先の黒い風切り羽根に見覚えがあった。
 コウノトリだ。昔はよく見かけたものだが、思えば目覚めてから間近に見たのは初めてだろうか。
 次にやって来た時、彼は脚に巻かれた脚輪を見せびらかして、いかに自分が貴重な個体であるかとうそぶいた。
「これは個体識別用の脚輪なんだとさ」
 丁度吹いてきた強い潮風のおかげもあって、カラフルなその装飾めいた脚輪から目を逸らしふいっと顔をそむけた。
「なんだいあんた、お高くとまっちゃって」
「私にも名前があるわ。古代蓮、大賀蓮っていうの」
「へえ」
 興味無さそうに泥にくちばしを突っ込んで掻き回して餌を漁っている。
「あなたこそ、名前は」
「J0044、でも『ゆうひ』でいい」
 面倒がってかコウノトリはぞんざいな返事をよこし、また泥を掻き回してヤゴを捕まえる。若い蛙が一目散に逃げていった。
 そうやって私たちはちょくちょく顔を合わせるようになった。気に食わなかろうが鴨と違って根が食される被害を心配しなくていい上、根を傷つける生き物を捕まえてくれるのだからそう邪険にすることはない。餌をくわえて飛び去っていくそのコウノトリの獲物といえば、近くの汽水域から捕まえてきたのだろうハゼであったり、大きな蛙であったり、時にまだ甲羅の柔らかい亀の子であったりと、中々の大食らいのようであった。私の掌が広く大きくなると、蓮畑は一面緑の掌で覆われて水面が見えなくなり生き餌を捕まえるには不便な場所になった。それでもその鳥は時折現れ、水中のお邪魔虫を捕食していく。そして蓮始開(はすはじめてひらく)とされる夏の早朝、私は花弁を静かに開いてみせた。呼んだわけでもないのにあのコウノトリはひらりと蓮畑の畦道に降り立ち、いつものように嘴で土をさぐるように掻き回しては餌を嘴にくわえ飲み込んでいく。
「古代蓮は咲いとうし、コウノトリはおるし、早起きしてよかったわ」
「そろそろ咲くかと思うて来たけど、蓮畑にコウノトリが来るなんて運がええ日なぁ」
「ここはほんまの極楽みたいじゃ」
 私たちの様子を遠巻きに眺めていたのであろう見物客の声が潮風にのって聞こえてきた。
 広げた掌が緑から黄色を経て茶色に染まり、菊花開(きくのはなひらく)とされる秋口が過ぎ、干されて静かになった蓮畑は静かである。あのコウノトリもしばらく見ない。より餌の豊富な餌場を求めてどこかをふらついているのだろう。まあ、そんなことはいい。私もまた喧騒の春が来るまでしばしの眠りについたのだった。
 春が近づき、大地に降る雨の冷たさが和らぐ頃、蓮畑に水が張られて私も目覚める。土の下で息を潜めていた生き物たちも動き出しはじめた。そしてよく晴れた日、久しぶりにやって来たコウノトリは番らしき若い雌のコウノトリを連れていた。
「あさひっていうんだ」
「以後お見知りおきを」
 若い二羽はこの周辺を棲みかと決めたらしい。ご勝手にどうぞである。やれ羽根の黒が艶やかで綺麗な事といったらだとか、あなたこそ嘴が立派で誰よりも勇ましいといった具合の惚気に混じって「手頃な塔と巣作りの材料まで用意してもらっちゃったもんね」などと自分たちがいかに優遇されているかを自慢げに語るので「あなたが乗ってるその桟橋は私のために作られた物なのよ」と牽制する。後で知った事だがその巣とは元々電柱と呼ばれるもので、巣の材料とは電線と呼ばれる電気が通る紐のことであったらしい。誤って電気が流れ、巣作りを始めた夫婦が感電死しないよう、二羽のはじめての共同作業のために電気の流れを急いで止めたというのだから、本当に人間とは酔狂な生き物だなあ、と思わずにはいられなかった。その年はそうやって若い二人の行く末をやきもきと見守りながら過ぎていった。
 次の年にはいよいよベビーの誕生をと勝手に見守るギャラリー達の期待が高まっていたものの巣の上で雛の鳴き声が響くことはなかったようだ。喧嘩をして二羽が巣を飛び出した後、戻ってきてみれば鴉か鳶にやられたか、ただ卵の殻だけが残されていたというのである。傷心の二人は一度産まれた里に帰り、また意を決して戻ってきたのだった。
 そしてその翌年の春、仲睦まじく連れだって蓮畑に来ていたかと思うと、ほどなくしてどちらか片方だけがふらりと現れては飛び去っていくようになった。温め始めた卵が無事孵ったのだろう、その若夫婦がひっきりなしに雛の為にと餌を嘴にくわえて飛び立っていくのを私は間近で眺めながら、他人事ながら子育てというのはかくも大変なのだなと、すっかり軽口をたたく暇もなく餌を運ぶ様子をなぜか少し寂しく感じた。雛の声でも風に乗って届いてはこないかと耳をそばだてるが、巣はここから距離があるらしく小さな野鳥の囀りが時折聞こえるばかりだった。
 ぱしゃんと水音がして蛙が蓮畑に飛び込む。待ち構えていた赤い鋏の虫が蛙を捕らえようと動いたその時、頭の上から白い影が舞い降り、あの時と同じように水面を細長い嘴が掠め、狙いすましたように獲物を捕らえた。
 嘴を高々と空に向けて獲物を誇らしげに見せびらかすその鳥は、まだ小さく幼いけれど特徴的なあの羽根先が黒い風切り羽根を持っていた。
 易々と獲物を飲み込んだその若いコウノトリに私は声をかける。
「あなた、名前は」
「『蓮』。蓮って書いて、れんって読むんだ」
 そう言うと、ああ、私の名を冠した若い雄は水飛沫を盛大に撒き散らしながら高く高く大空へと飛び立っていった。右によろけ、左にもつれ、なんて不格好な飛び方だろう、大きく広げた掌の上に零れた水の珠が震えてころりと下に落ちる。
 蓮と名乗るコウノトリに会ったのは、それが最初で最後だった。飼育下では人に守られ三十年生きられるとしても、野生下では怪我による衰弱、送電線接触が元での感電死、交通事故など不慮の事故で寿命を縮めるケースは枚挙にいとまがない。それでもコウノトリの夫婦は毎年のように卵を産み、次の世代へ餌を運ぶべくせっせと空を行き来する。今年も彼の兄弟姉妹となる小さな雛が巣の上で誕生して餌をねだる鳴き声をあげているのだろう。そして巣立ちの季節になる度に、若鳥達は不格好にも初めて羽根をはばたかせて大空へと舞いあがる。いずれは羽根の扱いを覚え潮風に乗って優雅に帆翔する姿を目にするようになるだろう。
 咲け、天空の蓮よ。天は長く地は久しい。
 コウノトリの夫婦と産まれた雛の成長を見守ろうと準備された減農薬の水田には春を待ちかねた生き物が集い格好の餌場になっている。食害で農家を悩ませていた外来種のカメも捕獲作業が進み、少しずつではあるが蓮畑も穏やかさを取り戻しつつあった。
 切り分けられた私の体はまた新しい土に植えられ、花弁が散った花托からこぼれた私の分身も、温かい水の中で鎧を脱ぎ、目覚めてはその地で命を繋いできた姉妹たちと共に伸びゆく。空に棲む私の名を分けた友人とその兄弟たちが、再び天の庭で自由に繁栄する日を夢みて、私はまた音もなく花を咲かせた。

 鳴門市島田島に咲く古代蓮「大賀ハス」は、元を辿ればただ1粒の蓮の実から成長したものである。1951年、古代蓮研究者、大賀一郎博士は千葉市検見川に位置する泥炭層を掘り下げ、地下6メートルから3粒の蓮の実を発掘した。発芽処理が行われ2粒が発芽したが1株はまもなく枯死した。残った1株の実生苗から育てられた蓮の繁殖に成功し、以来各地で「大賀ハス」又は「古代蓮」という呼び名で親しまれている。鳴門市島田島に咲く大賀ハスも地元の人々やボランティアの手によって育てられ、六月下旬から八月上旬まで鮮やかな大人の掌ほどもあるピンクの花を咲かせ、散策橋に立つ観光客の目を楽しませてくれる。
 鳴門市の蓮根畑は国内でも珍しい野生のコウノトリの繁殖場所としても知られ、運が良ければ餌を求め涅槃を思わせる蓮畑へと羽を広げて舞い降りるコウノトリの姿を捉えることができるだろう。
 二千年の時を越え、泥から出でて汚れなく咲くと称えられたその花は、蓮華蔵世界と見紛うほどに美しく鳴門に根付いている。

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