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正しいこと

正しいことは美しいけれど

正しいから声を大きくしてもいい
正しい方に従うべき
っていう思考は取り扱い注意だと思ってる。

正しいって
すごく広いことだと思ってる。

自分は誰や何を大切に想って
どうやって大切にするかを
自分で
一生懸命考え続けるって決めてる。

言葉は、丁寧に丸く使う。



よく家族の中で話すのだけれど

自分の方が正しいのに
なぜしてくれないのか
してくれないなら
嫌な気持ちにさせるよ!
わたしはこんなに傷ついている!

という行為を
すきなひとにされると
自分のこころが傷ついているのを感じるのです。

傷つくのがわかっていて
傷つけようという意思を感じるから。

それは
自分がそれをしたら
そのひとを傷つけるということも
示していると思っていて。

だからと言って
正しくないことをしてもいいとか
傷つけた方だけが悪いとかではなくて

正しくないことを
してしまうことは
誰にでも起こりうることで

正しくないことが悪いのではなくて
正しくないことで傷つくひとがいることが
望ましくないのだと
そういうふうに理解しています。

正しい、を基準に
前ならえをするのは
社会であって
人間関係ではないのだと
わたしは考えていて、

社会にとって
正しいは必要だけれど
人間関係でのものさしに使うには
鋭利なものだと思っているので。

だから、
ひとと向き合う時には
そのひととのものさしを
一緒に作ろう、と。

わたしたちのものさしは
どうしようか、と。

そういう家族でいようと。

わたしは、
自分の力では動かせないものを
動かそうということを
しないことにしています。

大切なものは
自分の力で動いてしまうものの中に
いつもあるから。

ひとりのにんげんが
動かせることって
範囲って
そんなに大きいわけがなくて

でも
それでも

ひとりのにんげんが
動かせることもあって、

目の前のひとの気持ちだとか
自分の範囲にいるひとの感情だとか

自分が動かせる
動かしてしまうもの。

自分の範囲の中のものは
知らずに傷つけてしまうことがあるのだと

この人生で学んだから。

大切にしたいひと、ものを決めること。

それはすなわち
自分の範囲に置くということで

それはすなわち
傷つけることもできるということで

だからこそ
それをしないように
大切にすると決めて
それに向かって行動し続けること。

どうせ欲を張るなら

周りのひとの
自分の大切なひとのしあわせに対して
欲張っていたい。

いつもそう考えられる自分でいる。

大切なものを大切にするために

傷つけてもいい
傷つけてやる

そういう気持ちを持たない。

そういう選択を
続けられる自分でいるって決めています。

わたしは、SNSを
社会として使用しているつもりはなくて
人間関係として使用しています。

なので、反応することも反応しないことも含めて
何かを傷つける意思は持たないでいます。

何が言いたいのかというと、

わたしいつもこんなふうに
ちゃらんぽらんですけど

今わたしの近くにいるあなたを
大切にする意思があります
ただそれだけです
という

とても周りくどいラブレターです。

いつもありがとう。

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