連載小説【夢幻世界へ】 3−6 セラフィタ
【3−6】
「では次の話。すでに先の話から二百年が経とうとしているが、それは後で調整が効くのでよしとしよう。貞子さん、おぬし、好きな人はいるかのう?」
「まあ、いないこともありませんが、もうそれなりの歳でして、なんだかねえ。そういう意味でなく、例えばお父さん、お母さんが好きってのでもいいのでしょ、あと猫も好きよ」
「それらすべての好きの気持ち、愛情、愛といったものが、どこから来ているのかといった話をしよう。色々な愛の形もあるじゃろ」
「そうね、なんとか愛、っていっぱいあるものね。略奪愛とか」
「おお、そのような激しいものが最初に来るとは」宗玄は驚愕した。
「いやいや、たまたまテレビドラマでそういったテーマのものがあったのでしてね。私が好きなのはフィロソフィア、『知恵を愛する』ってのがあるわ」
「さすがここに来るだけのことはあるのう。よろしい、では登場願おう」
「こんにちわ。セラフィタです」ドウシャ・グレカ(魂まで暖かいの意)のマントを纏った貴婦人が現れた。
「バルザックくんが描いたセラフィタじゃ。両性具有の彼=彼女の持つ両義性から、愛の原型を取り出してみよう」
「見てっ」
彼=彼女から、とめどない情が押し寄せる。
暖かく穏やかで、淫靡でありながら清潔で、強烈な圧力がかかったかと思えば、ナイフのような亀裂が入り、そこから一体化の欲情が出てくる。
快楽と同一化、
その後の慈しみと庇護の情、
めくるめく絶頂と急速な弛緩、
そして失望と希望………
「大変、なんだかもよおしてしまったわ…でも、それだけじゃない、なんていうか、幸せな気分」
「セラフィトゥス=セラフィタは、アニムス=アニマの弁証法の二重の擬人化だけにとどまらず、現世の存在と不死の存在の統合をあらわしておる。スウェーデンボルク的な天界の原理で作られたセラフィタは、愛の垂直的な力動を形作るが、これはヨーロッパ大陸的な表象の現れで、アジア的、アフリカ的にはまた別のイマージュが乱立しておる。普遍的な愛のイマージュは、他にも偏在しているが、概念としての『愛』を考えるには、その中に割り込んで入っていかねばならぬ」
「割り込んで入っていく?」
「そう、そのやり方をそろそろ貞子さんも習得せねばならぬ。ステージ2、レベルアップじゃ」
「これがなかなか、私なんかも最初はまごつきました」宗玄が笑いながら言う。
「でも、世界の見え方が変わるのを実感できます。コツは冷静になることです」
「じゃあ、もう一回行くわね、えいやっ」セラフィタが掛け声をかける。
セラフィタからの「愛」がまた流れ込んでくる。貞子はその流れに翻弄されながらも、目を凝らし続けた。正確に言うと心の目を、だ。
感情のエネルギーの迸りが幾十にも重なる。それがまず、見えてくる。そのエネルギーひとつひとつにある種の特徴、色、のようなものがある。その色のついた迸りのひとつひとつを凝視する。
これは、肉親への愛だ、と貞子は感じた。
これは、異性への愛だ、と貞子は感じた。
これは、自分への愛だ、と貞子は感じた。
これは、世界への愛だ、と貞子は感じた。
肉親への愛の中に割り込んでいくと、そこには父、母、がいるだけではなく、なかにはその他の要素(眼鏡、法律、命令、規則、権威、乳、ベッド、風習、異性、自分、エトセトラ…)が構造として埋め込まれていることに、貞子は気づいた。更にその中へ突き進んでいくと、ポツポツと複数の概念の塊が見えた。
「女性的なもの」「男性的なもの」、「子供」「老人」、「英雄」「穢れた者」、「神聖なもの」「慈愛に満ちたもの」。関係性が収斂しているエネルギー体とでもいうべき塊があらわされ、それらは固有の波動を持っている。その波動が貞子に乱反射してくる。
透き通った視点で貞子はそのひとつひとつを凝視した。そして時間をかけて(恐ろしい時間が経っていることに貞子は気付いていないが)、それらの原子素を、最小単位を会得した。最小単位の中には、全てがあった。
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