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しょうもな。

しかしまあこの数十年の間にしょうもない世界になったな。その前からしょうもないとこはあったけど。

加速度がすごいな。

あれかな。
昔からしょうもないことはしょうもなかったんだけど、技術の進歩がしょうもなさを加速度的に具体的に実現してるのかな。


便利さとしょうもなさはトレードオフなんかいね。


SNSもなあ。
便利やけど、昔だったら一生目に触れないで済むようなしょうもないもんが一瞬でダイレクトに届くもんなあ。


しょうもないもんが発信力だけ強くなっちゃったんだなー。

それでしょうもないもんをすごいって思っちゃってるんだなあ。
おめでたい世界だなあ。よかったよかった。


発信者のしょうもなさと受け手のしょうもなさのシンパシーの外にいるからTL静かやわあ。


しかしあれやな。
しょうもなさで荒れ果てた痩せこけた大地でも逞しく育つ生命はおるな。
逞しさに涙ちょちょぎれるね。


逞しさってのはあれやな。
たぶん。
気にしてないんだと思う。
人のこと。
鬱陶しいと思うのと別の意味で。

しょうもない人ってのは人のことめっちゃ気にしてるのかな?
知らんけど。
しょうもない人としょうもなくない人の決定的な違いは、しょうもなくない人が人に対して気にかけるところ(気にするとは違う)を完全にすっ飛ばしてるってのはあると思うわ。

そこに気づかない限りは生まれ変わってもしょうもないんやろうなあ。
しょうもなさの輪廻って断ち切れないのかもね。
人類ずっとこんなんだしねえ。


こうなるとあれやね。
しょうもなさっていうのは、いわゆる、環境というか、舞台演出とでも思っておくべきかね?人生の。
そう考えるとあれだ。
わ。
しょうもな。
ってセリフが与えられてるわけだ。
人生には。


で。
わ。
しょうもな。
って、セリフを与えられて生まれてきた人生に意味があるのかと考えて然るに。
そのセリフはしょうもなくないものをこの世界に浮かび上がらせるためにあるのだ。


そう思えばしょうもなさの中にも愛があることに気づくだろう。
わけねえだろ。ボケー(泣)!
あー。しょうもなあ。

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