暗室で暗いと泣く

本能

自分が起こす行動や思考には全て言葉が付いていて、
何らかの枠組みにカテゴライズされる。
私の思考の中に芽生える私の感情は全て何らかの言葉で表せてしまう。

例えば恋心というのは、種の存続の為の本能的な心理作用な訳だけれど、
種の存続の為に誰かと恋に落ちて人類を繁栄させなければ!と思いながら人を好きになるわけではないのに、
本能的にそういう意識が当たり前のようにプログラミングされているからこそ人は自然と誰かに恋愛感情を抱く。

そんな感じで、人間のこころの動きは大抵解明されてしまっている。
当たり前なことだけれどとても不気味に感じる。
自分が抱く感情は自分だけのものであってほしいでしょう?

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らしさ

家族や友達、知り合いの言動というのは、
その人を深く知っていれば知っている程、
「その人らしさ」を大きく逸脱することはなかなかない。
それは単に、私に同じ面のみを見せているから、というのもあるのかもしれないが。

例えば自分が「自分らしさ」を意識して行動を起こす事は全くないのだけれど、
端から見たら大抵のことが私らしい行動に見えているのかと思うとどこか気味が悪い。

自分の事というのは自分が一番わかっているようで、理解から一番遠くもある。
自分を完全に俯瞰で見るのはなかなか難しい事で、どこかで自分に都合よく補正が掛かったりする。

人間は多面的で、相手によって見せる顔や行動なんてのは変わってくる。
親相手には子供という仮面を、友達相手には友達という仮面を、そうやっていつもどこかで色んな仮面を付け替えて、
思考にひとつロールプレイというフィルターが掛かることで
それが作用してその人らしさに繋がっている、ということなのだろうか?
そうなるともう、どこが本質かなんてわからないし、そんなものはないのかもしれないですね。

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バイト


私がバイトで一番嫌いだったのは、同僚との会話だった。

人見知りに接客業は向かないというけれど、
むしろレジを打って客の応対をするのはそんなに苦手ではなかった。
それにははっきりと理由があって、
客の前では「店員」というロールプレイをしていればいいから、というのが大きい。
店員の言うことには大抵マニュアルがある。
ああ言われればこう言えばいい、という答えが明確にあって、その通りにしていればいい。

だから、面倒な客に怒られたりしてもそんなに重いストレスになることはなかった。
そりゃあムカつきはするけれど、
その攻撃性の刃は私自身ではなく、
私の前にある「店員という役割」に向けて投げられたものだったからだ。

でも、同僚相手だとそうもいかない。
私が、私として言葉を選んでやりとりをしなければいけない。
何か失敗をすれば、「店員として」ではなく「一人の私」として怒られて、嫌われて、攻撃を受ける。
それが本当に嫌だった。

そもそもコミュニケーション能力が著しく欠如しているので、
普通に問われた質問すらまともに返せなかったり、
言われた事の意図を汲み取れない、みたいなことが毎日のようにあって、
その上で指示通りに行動ができず失敗したり検討違いの事を成すので嫌われるのは容易く、
弱々しく振る舞ってしまうから攻撃もされやすい。

自分にしか聞こえない位置で舌打ちをされて、その相手との会話中に手の震えを指摘されて笑われるとか、明らかに聞こえる位置で自分のミスに対する陰口を言うもんだから全部聞こえてくるとか、そういうようなことを何人かにされて、
一度そんなことがあると、他の人にも怯えきってしまうから同じ流れを何度も繰り返した。
その結果、自分に対して優しい人相手にもそうなってしまったし、いらぬ被害妄想ばかりをしていた。

そういう事が本当に嫌でバイトは辞めてしまった。
辞めたというか、無断欠勤を繰り返した後に連絡を断ってしまった。
本来店に返さなきゃいけなかったものなんかも未だに家にある。
自分にずっと優しく対応してくれた人達にはとても申し訳ないことをしたけど、
そもそも連絡を返すのも怖くて全て無視してしまっていた。
未だにその時の恐怖心が抜けないので、全然関係ないコンビニの店員とかですら目が合うと怖い。
大人はみんな怖い。
かといって別に同世代も年下も怖い。
他人はみんな怖い。
そういうことがないというだけでも、
この一年、中身は空っぽだったけれど本当に気楽だった。
悪い願いだけど、これがいつまでも続いてほしい。
なんとか、のらりくらりと労働から逃げ続けて生きていきたい。

2021.04.19

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