完全武装

共存

他人の感傷や憂鬱ほど滑稽に感じるものはないが、
それは結果として自らが持つ似たような物を蔑ろにすることになる。

他人を反面教師にすればするだけ、許せる自分が減っていく。
誰かに押し付けた嫌い、は自分にも刺さるし、それを紛らわす為に押し殺し続けると、その先には確実に歪みが生じる。

更に言えばそれによって生まれなかった表現というのもたくさんあると思う。
それは本来生まれなくてよかったのかもしれないけれど、ちょっと寂しい。

そんなようなことを約二年前、ぼんやりと考えていた時期に、サカナクション山口一郎のインタビュー記事を読んでかなり府に落ちた一節があった。

このインタビュー記事を読んだ私は、2ページ目中盤の「SNSはセンチメンタルを殺した」という言葉を読んだ瞬間に
「思っていた事がとても簡潔に的確に美しく表現してある!」と勝手に喜んでしまった。

このくらい綺麗に感情や現象を言語化できる人になりたいし、それを為せるのはセンチメンタルを殺さずに保ち続けた結果だと思う。
私も、センチメンタルを殺さないように心掛けたいな~と思ったのでした!

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経験

中学生以下の子供が中二病という概念を知っていたら中二病にはならないし、
尾崎豊の曲を聞いたことのある子供は思春期に校内の窓ガラスを割って回るほど大きくグレないと思う。

きっとこういうことは他にもたくさんあって、人が成長する過程で自然に経ていくそのようなものを、それを経験する前からいくらでも情報として手に入れられる時代はちょっと怖いなあと感じますね

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観察

わたしは、自分が好きなものに対する世間の反応を読み漁るのが好きで、
好きなバンドの熱狂的ファンが書いているブログや、
既発曲のリリース当時のツイート群を遡って読んだり、
匿名掲示板でのアンチの書き込みまでを隅から隅まで読んだりしている。これが結構楽しい。
自分の好きなものに対する批判意見を見るのも好きで、わからんでもないな~という事ばかり指摘されていると面白い。
一般ファンのブログなんかは、時間と共に変わり続ける人の思考や価値観が削除でもされていない限りすべてアーカイブされてログに残り続けるので、だんだんと書き込んでいる人の人物像や生活、好みが見えてくるのが面白い。
自らもなんらかの形で発信をするならばその矛先は自分にも向く可能性があることを忘れてはならないんだけれど、
他人を一方的に観察するだけであればこの仕組みはとても有り難いね!

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味覚

ここからはまじの雑記。
私は偏食がひどく、それはまあいいんだけれど、
食事方面の感覚が過敏なせいで一番困るのが、
洗った後に水でしっかり流して強く擦って拭いた皿を使っても、
洗剤の匂いを強く感じたり、
食事の味の中に洗い流した筈の洗剤の味を感じること。

家の洗剤が悪いのかと思ってたけど変えても変わらないので謎。
もしくは食器自体があれなのかもしれないけど、
わざわざ全部買い直すのもそれはそれで大変だ、
となって最近はもう100均の紙皿ばっかり使っている。

家ではもうそれでいいんだけれど、
これのせいで、親戚の家とかに行った時に
使うコップを一回嗅がないと安心して使えない嫌な人になってしまった。
使う直前に洗ったものは洗剤の匂いが強いけど、
しばらく置いて乾かした後のものだとだいたい拭いたタオルそのものの匂いがする。

これ抜きにしても普通の味覚で産まれてたら
まじで人生の楽しさ3倍くらいだっただろうな~と思うけど、
もうこの価値観が強く根付いているから別にそこまで願ってもいない。

ちなみに紙皿で米類を食べる時は米が乾いて紙皿にくっついちゃうので、
米を食べる時はサランラップをかけてその上から食べましょう。
雑すぎる暮らし。

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