憶と録 / 2021.11.?? 雑記

もう記憶の中にしかない思い出の場所や瞬間なんかがいくつもあって、例えばその場所や存在自体が今もまだ現存するものだったとしても、その時代のその瞬間のそれをもう一度見たいなんて思うことがある。

何かしらのきっかけで不意に顔を出してはまた記憶の奥の方へと帰っていき決して取り出すことはできないそれらを抱えていくたび、いつしかもう二度と思い出せなくもなって、思い出せなくなっていることすら忘れていることが無数にあるのだと思うと、わたしはなにもかもを記録したいと思ってしまう。

旅行中みたいなタイミングだとそういう意識が現れやすいから記録にも残りやすいんだけど、後々本当に振り返りたいのは何気ない日常の瞬間だったりするから、もっと小さい頃からなんでもない町並みとかを記録していればよかったと思わなくもない。被写体そのものだけではなく、その時の端末で撮る質感や画質の粗さとかも含めての記録として。

祖父母の家を訪ねると半世紀以上前の写真なんかが色褪せども物として残り続けているけれど、わたしが数年前のスマホで撮影した写真なんかはデータが飛んだり故障したりで大きく欠落している期間があったりして、そう考えると今の時代に記録したものの方がアナログの時代に比べて残りにくいのかもしれないと感じる。

ずいぶんと昔からわたしはこういう考えだったような気がするけれど、今改めて見返そうにもあんまりデータが残ってないのは、きっとこういうデジタルの弊害もあると思う。

10年前の書籍なんかは容易に手にすることができるのに5年前の個人のサイトは閉鎖されて見返せないみたいな歪みは今後更に増えていくし、ネット魚拓やインターネットアーカイブからもあぶれた歴史の遺産みたいなものが生む損失はどんどん大きくなっていくのだと思う。Twitterだってきっといつかは廃れて潰れるんだろうし。

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