体温忘れて程遠い

店員

馴染みのコンビニ店員に「高校卒業したの?」と聞かれて「ま、まぁ・・・」みたいな返答をした。
全然親の前だったので人生で一番の苦笑いをした。
こういうやり取りをしないために馴染みのコンビニ店員を避け続けて、ちょっと離れた店舗に行ったりしていたというのに・・・!

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靴紐


ずっと、靴紐がある靴が苦手だった。
わたしは紐の類いを結ぶのが下手で、
すぐに固結びになってしまう。
何回か正しい結び方を覚えたりしたけど、
どうもうまくできない。
この手のバランス感覚のようなものが本当にない。
俗に言う不器用というものだと思う。

けど、仕方なく靴紐のある靴を履くようになった。
もう私くらいの歳の人間に向けられた靴は
その手のものしか売ってない。
本当に嫌々履いていたけど、
案外悪くないかもなあなんて最近は思う。
単に見映えがいいし、
見映えがいいってのはちょっと気楽になる。

悪くないかも、といいつつも結ぶのが下手だからすぐにほどける。
一度出掛けると五回くらい結び直している。
なんだかなあと思いながらも、
それで嫌にならないくらいには、
靴紐がある靴を許容できるようになった。
こうやって色々なことに対して少しずつ歩み寄れるようになれば良い。

でも、きっと夏になればクロックスのパチモンみたいな穴あきサンダルばっかり履くだろうから、
もう少ししたらしばらく靴紐は結ばなくなるだろうなあ。

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冬物


私の性格上、冬物のコートのポケットには、
決まって丁度一年前のレシート類が詰まっている。
一年も経てばもう遠い過去のように感じられるそれらは懐かしくって捨てにくい。
そういう、早熟のノスタルジーによって捨てられなくなったレシートはだいたい部屋の隅に転がっていって、
それをまた見つける頃にはもう立派に熟れきってしまっているから尚のこと捨てにくい。そうしてまた私は遠い冬を思い出す。
どんな些細なものでも、捨ててしまえばもう二度と目に触れることのないものになる、というのはとても悲しい。
人も物も移ろいゆく。
すべての物事は変わりゆくもの、ということが変わることはなくて、
変わってしまったものは二度と戻らない。
だからこそ過去はひどく綺麗に写るし、変わらないことは美しい。
変わらないことは美しいけれど、
変わってしまう人や物を受け入れられるように、
私も変わっていかなければならない、それを強いられていく。

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涙腺


わたしの涙腺はかなり都合が悪くて、悲しい時に限って涙は出ないけれど、誰かに向かって怒ってる時とかはぼろぼろと泣く。
端から見て、怒りながら泣くのはかなりおかしい。嫌すぎる。

何年か前、泣きたい時に泣けないというストレスが強くあって、
自分が泣けるであろうルートを通りながら泣けそうな思い出を巡らせて歩く、
泣くための散歩をして結局一滴くらいしか泣けなかったので、
わたしは泣くのに向いてねえんだな、となった。
最悪な気持ちの晴らし方がわからなかったせいで、
そういう奇行に走るくらいに泣けないのがストレスだった。

逆に一番泣きたくない、怒りの時ほど泣く。
怒っている時ほど冷静に自分の正しさを主張して向かいのやつを言い負かしてやりたいのに、
ぼろぼろ泣いてちゃ様にならない。
結局何言ってるのかわからなくなる。
私も悲しみで涙を流してすっきりしたい。

2021.04.19

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