俯瞰 / 2021.11.?? 雑記

自分そのものと、それを俯瞰で見ている視点みたいなのがずっとある。

一人称視点である本来の自分とは別に、それを俯瞰から見ている第三者視点がずっとあって、それは俯瞰なだけあって社会的、大衆的な価値観の目線な訳だけれど、わたしは社会的価値観に合うような人間ではないのでそこの意見がまあ噛み合わない。その上、状況によって思考の比率は変わり、ふたつの塩梅によって意見や価値観がコロコロと変わるから一貫性もない。

これらが引き起こすことの例として、友達といる時のわたしと家でひとり過ごしている時のわたしの価値観には大きく差があり、ひとりの時のわたしが良しとしているものを友達といる時の元気なわたしは恥ずべきものとしている、みたいな相違がひとりでしかないわたしをかなり生きにくくしている。

劣等感を感じるのは自分を俯瞰で見てしまうからで、自分ひとりで他人がいる場に出向くことがかなりのストレスに感じるのはそのせいだろう。ひとりで外にいると本当に劣等感みたいなものが異常値を越す。

他人がいるということは他人の目があるということで、より一層被害妄想に近いような思考になっていく。自意識のバケモノが顔を出し、ふだん意識の外に追いやっていたコンプレックスなどが無意識下にぶり返して全てが気になってくるんだろうなあと思う。

誰も見ていやしないなんてのは理屈としてはわかっていても、理屈でわかっていることがその通りに出来る人間だったらこうはなっていない。どんな状況でもわたしを操縦できるのは一人称視点、つまり本来のわたしだから、三人称視点からどんなに正しさを理解していようとその通りには動けないので、すれ違う人々の目線が恐ろしくてスマホか地面しか見られなくなる。

逆に友達とかといる時は、完全に一人称視点でのわたしになれるので全く気にならないどころか多少誰かに迷惑掛けたって別にいいやみたいな真反対カスの気持ちになる。それはそれでどうなんだ。両極端。

本心としては自分の価値基準の物差しだけでやっていきたいしその方が絶対的に楽なんですけど、もうどうしようもないですね。

↑ぜんぶなにいってんだかわかんねー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

↑こういう締め方をするのは第三者視点によるものだなということだけ覚えて帰っていただいて……………

あとこれ全く同じこと前にも書いてるような気がしなくもないね……………………

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